2008/12/31

音無しの構え

この写真は、中里介山の「大菩薩峠」の新聞で連載が始まった時の挿絵です。この小説の主人公は机龍之介といい、必殺技(プロレスみたいですが)は「音無しの構え」・・・どんな構えなんでしょうか??
この小説は本当に不思議な小説で文庫本で20冊を超える大作、最後の方はもうほんまに不思議な世界です。気になる方は挑戦してみてください。今は「ちくま文庫」から出ております。絶版になっていないのがすごいと思います。

2008/12/30

見かけなくなった!

この写真は映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」のDVDのジャケット?であります。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」という名前は同名の小説から来ておりますが、1969年か70年の芥川賞を受賞してます。作者は庄司薫だったかな?数作発表してその後は見かけなくなりました。
写真に写っている女性は森和代というモデルさんでしたがこの方もこの時期2~3本の映画に出た後パタリと見かけなくなりました。皆さんどうされているのでしょうね?
あの時代に目立った人は、だらだら生き恥をさらすより、隠遁してしまったほうが格好いいかも。

2008/12/29

伏見奉行所

仕事で近鉄の桃山御陵前という駅で降りることがある。そこから数分歩くと写真のような石碑がぽつんと立っております。新撰組の土方歳三が薩摩と戦った時に陣をはった所です。一瞬時代錯誤に陥る。そんな雰囲気がこのあたりにはあります。140年まえくらいあっという間にタイムスリップ出来そうです。ただ周りにはなんにもありませんけどね。


2008/12/28

smile

ビートルズの最高傑作はと聞かれたら、今は結構分散した意見が上がりますが、一昔前なら「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だと答えるのが常識でありました。この1967年に出た「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というレコードは、ファンだけでなく、同業者(つまり同じ音楽家・・ストーンズとか、ホリーズとか)に多大なる影響を与え、例えばローリング・ストーンズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は「サタニック・マジェスティーズ・リクエスト」が相当することになっている。
さて写真のジャケットはアメリカのビートルズの最大のライバルであったビーチ・ボーイズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に相当する「スマイル」というレコードです(正確にはレコードのジャケットです)。レコードは発売されなませんでした。レコード番号も決まっていたのにね。その理由は興味のある方は人はお調べください。ネットにいっぱい載ってますから。

2008/12/27

伝説の歌手


写真のお方は今となっては伝説となってしまっている歌手さんで、名前は分かる人が見たらすぐ分かるでしょうから伏せておきます。
いわゆる一発屋さんの部類に入るのですけど、他の一発屋さんとは一線を画してまして、その辺の一発屋さんとは格が数段違う。この歌手の生き方はある意味ですごいなあと思っております。個人的な評価では山口百恵と同格です。
さて、誰でしょう??

ボンバルディア

この写真は「ボンバルディア」というまあ短距離少人数用の飛行機です。今までに2回(正確には往復で4回か)乗ったことがある。もともと新幹線には週に多かったら3回くらいは乗る仕事をやってますが、飛行機はまずない。たまたま四国の仕事が入ったから、伊丹から松山まで乗りました。
それで目的の会社に着いたら、その会社の人たちが口を揃えて「飛行機、大丈夫でしたか?」という。初めは何のことかわからなかったんですけど、「あのボンバルディアという飛行機、かなり不安な飛行機なんですよね」という。その会社の人たちは東京、大阪に行くのに、この飛行機に始終乗っているので常に不安を感じながら乗っているということであった。
しばらくして高知空港に胴体着陸したニュースをみて、おぉそうかやっぱりと頷いた次第であります。つい先日も片方のプロペラがおかしいということで、片方のプロペラを止めて伊丹に戻ってきてました。
気をつけてチェックしていると他の機種に比べて圧倒的に故障の記事が多いように思う。もう乗らへんで。

2008/12/25

初めて買ったレコード

自分の小遣いで初めて買ったレコードというものはたいていの方なら覚えていると思う。正確には初めて買ったLPレコードである。多分記憶では1964年7月18日に買ったはずである。ジャケットを見ていただければお分かりのとおりビートルズの2枚目のLPである。1枚目は「ミート・ザ・ビートルズ」というLPでその年の春に出ている。1枚目は友達が買った。当時はレコードは高価なものだったので共同戦線で順繰りに買っていこうということになった。
確か、期末テストの終わりの日に買って、夏休みはこのレコードばかり聞いていた。9月になって2学期が始まったら3枚目の「ハード・デイズ・ナイト」が出る。もう頭の中はビートルズばかりであった。

sheena easton

昔、毎日お酒を飲んで帰っていた若い頃、行きつけの居酒屋さんに、シーナ・イーストンの大きなポスターが貼ってあった。当時、シーナ・イーストンは宝酒造の焼酎「純」のコマーシャルに出ていて、その店にも「純」を置いてあったから業者が貼って帰ったのだろう。 確か記憶では「日、出ヅル国ノ宝物。」というキャッチコピーだったと思う。
時々、5時に会社が終わって、即その店に直行して飲んでいたら、客は僕一人ということもよくあって、僕はシーナ・イーストンと向いあって、なんともいえない彼女の瞳を見ながら、勝手に幸せな気分になっていたのを思い出してしまった。

2008/12/23

ロッドの1枚目のソロアルバム

上の写真は「セイリング」でおなじみのロッド・スチュアートのソロアルバムの1枚目です。CD化されて今も購入可能ですけどこのジャケットではありません。実はレコードの時代でもこの写真のジャケットは早々に消えてしまって、黄色に名前とタイトルが印刷されている実に無味乾燥なジャケットになってしまいました。
みているとなかなか雰囲気のいいジャケットだとおもいます。見開きジャケットですので内側の写真もなかなかいいのですけど見ていただけないのが残念です。また、このジャケットの写真を撮っているのが今となっては幻の写真家キーフだと思います。
レコードの時代は、レコード+ジャケットで作品という認識でしたから、いつも黄色のレコードを見て残念に思っています。
実は写真のレコードは持っておりません。(写真を掲載するにあたりキーフの特集を組まれていたHPを見つけましたので、そこから拝借しました)

2008/12/22

lena philipsson

この方は表記のとおり「lena philipsson」というスエーデンの歌手さんです。結構大物でいらっしゃるらしい。「らしい」というのはそれほど多くの情報が日本にはやってこないからである。インターネットの楽しいところは、日本に紹介されていない各国の歌手や映画俳優さんを自分で発掘し見ること(聞くこと)が可能になったことである。国と国の間の紹介作業というのは様々な分野において行われてきたわけであるが、その時に生じる恣意性が避けることが出来なかった。その恣意性を取っ払うことが可能になったことは素晴らしいことだと思う。ただ情報の洪水に溺れてしまって自分の進む方向を見失う恐れが多分にある。
この「lena philipsson」さんも全く別の調べ物のついでに現れて、すっかりとりこになっちゃいました。ユーロビジョン・コンテスト1位に輝く時のパフォーマンスはなかなかのもんです。是非見てください。

2008/12/21

bonnie & clyde




昔、「俺たちには明日はない」という映画を見て、大変感激した記憶が残っている。実物のボニー&クライドの写真がこれ。フェイ・ダナウエィと比べたらちょっと可哀想かな。この映画を見た時は妙に感激した。しかし、この間見たらなんでこんな映画に感動したのか不思議な気がした。これが年というもなんでしょう。ただ、当時はひょっと間違ったら警察から追いかけられる人生になるかもしれないと思うような予感みたいなものをかなりの若者は感じたものである。今は平々凡々の人生ですが。それが単純に懐かしいだけでいいのか分かりませんけど。最後のシーンの警官に気がついた時の2人の目の表情はその後のマシンガン乱射のシーンより僕には記憶に残る名シーンだと思っている。



2008/12/20

誰がカバやねん

「 誰がカバやねん」でおなじみの吉本の往年の中堅タレントだった原哲男さんが出ていた「オリバーソース」のコマーシャルの1場面。
今の吉本も若手が出てきて面白いですけど、過去の迷優さんたちが消えてしまったのは実にさびしいです。木村何とかさんという人が吉本建て直しの功労者で活躍されていますが、正直なところもろ手を挙げて拍手は贈りにくい感情が残ります。

2008/12/19

ミス・マネーペニー


007という映画は僕が中学1年つまり1963年に公開された(と思う)。たしか「007は殺しの番号」とかいう題名でどちらかというとハリウッド的な豪華さではなく、さりとてフランス映画のような粋な雰囲気でもなく、地味なイギリス映画としてやってきた。当時段々と西洋文化に興味を持ち出した者としては(というより西洋のきれいな女優さんが気になりだしただけでありますが)当時の「映画の友」や「スクリーン」という雑誌でアーシュラ・アンドレスという俳優さんの写真を見てどうしても映画が見たかったのを覚えている。
写真は、この007シリーズの映画に「マネーペニー」役で出た3人の女優さんです。左のルイス・マクスウエルが一番有名ですがあとの2人も結構気に入ってます。

2008/12/18

気になる写真


昔から気になっている写真が上の写真。
いったい何者だ??
この疑問に答えてくれたのが鈴木明という人の書かれた「維新前夜」という書物。残念ながら今は絶版で古本屋でしか入手不可能です。新撰組ものも好きですが、この時代はわくわくする話が多い。

2008/12/16

荒野の用心棒

昨日は「マカロニの安」の思い出を書いたので、今日はマカロニ・ウエスタンの記念すべき第1作「荒野の用心棒」の話を。
僕はこれを京都の四条河原町の映画館で見た。確か1965年の12月である。記憶ではビートルズの「ヘルプ」とはしごした。
メインは「ヘルプ」なのであるが、この映画も捨てがたかった。特に初めから印象深い口笛のテーマソングで、しかも当時のヒットTV番組の「ローハイド」のロディことクリント・イーストウッドが主役である。その時はイタリアに出稼ぎに行って撮った映画だとは知らなかった。しかも黒澤の映画「用心棒」のことも知らなかった。なんにも知らずに引き込まれて見てしまった映画である。
テーマソングの「さすらいの口笛」は後にイギリスのベーブ・ルースというバンドがカバーして僕はこれを今も気に入っている。
クリント・イーストウッドが今のような大スター&監督になるとは夢にも思わなかった。

2008/12/15

マカロニの安

昔、高校の同級生に「マカロニの安」というニックネームの友達がいた。なぜ「マカロニの安」かと言えば、名前が「安田」でマカロニ・ウエスタンが大好きであったからである。そのマカロニの安が日本で公開されたマカロニ・ウエスタンの一覧表を作っていて小さな小冊子にして僕にくれた。そしてその小冊子を時々返してくれと言って、追加の映画を記入してくれるのであった。
僕も「荒野の用心棒」をリアルタイムで見ただけに結構すきであったが、マカロニの安の世界には到底及ばなかった。今もDVDに埋もれた生活をしているのであろうか??
写真は、マカロニを超えたカルト映画として名高い「続夕陽のガンマン」である。
なぜか今となってはこれが一番好きである。

2008/12/14

桜井の駅

この写真は奈良の桜井という駅です。
近鉄とJRが仲良く並んでます。近鉄が高架の上、JRは下のほう。ただ近鉄は複線で本数も多いのでこのあたりは近鉄が主役です。JRの方は添え物的な位置づけなのかなって思いますが、でもJRでしか通えない人もいるでしょうから重要であることには違いない。特にこの桜井から奈良までのJRの線にある駅名は異常な読み方が多いので好きな方はアタックしてください。「京終」??信じられない振り仮名がついてる駅が続いてます。




2008/12/13

お気に入りの写真


どこかから取り込んで一番大事にしてる写真。多分1962年の秋ごろの写真だろう。
誰だかわかりますか??
左から4人がビートルズ。それから4人がジェリー&ペースメーカーズ、次に立っているのがブライアン・エプスタイン
その後の5人(右から5人)がビリー・J・クレーマー&ダコタスです。
ポイントはブライアン・エプスタインがマネージャーを努めていた御3家であります。
まだ、とんでもないアーティストになるなんて夢にも思っていなかった時代のビートルズが楽しそうに写っています。
白黒の雰囲気もいいですし、なんとなくイギリスっぽくて(場所は多分リバプールなんでしょうね?それともロンドンでしょうか?)とても気に入ってます。

2008/12/12

八鹿駅


今日はほぼ10ヶ月ぶりに八鹿まで行く。
写真が八鹿駅の風景。昔は「ハチ北」高原までスキーをしに行くスキー客でにぎわったらしい。
それが車の普及で人が減り、さらに温暖化で雪が降らなくなり、かっての面影はなく閑散としている。
その昔八鹿高校事件で世間を驚かせた町とはとても思えない。時代は変わる。ボブ・ディランでしたかね。

2008/12/11

行ってみたい


行ってみたいなよその国・・・っていう歌があったけれど、よその国でなくて日本でも行ってみたい所が結構ある。
そのひとつがこの写真のところ。何だと思います?なんと駅なんだそうです。
広島か島根か山口か(ほとんど分かってませんねえ)その辺の県境にある駅だそうです。
エレベーターなし。階段のみ。トイレは下。上に上がってからトイレに行きたくなったら最悪。

聖徳太子


時々、仕事でこの石碑のある町に行く。
聖徳太子ゆかりの町である。太子町という名前がついているだけでも大変な威光が残っている。
○○太子という学校名もあるくらいである。
大化の改新645年・・・これだけ覚えていれば褒められた時代が懐かしい。
中学受験したときに出た記憶が残っている。
その隣に立っているのは、小野妹子と書いてある。遣隋使(習いましたね・・)の小野妹子であります。
このあたりに行くとタイムスリップしてしまいます。
れっきとした大阪府ですけど・・・こう考えたら大阪府も広いです。

2008/12/09

1960年


この写真は1960年のイタリアにおけるローマ・オリンピックのマラソンのエチオピアのアベベのゴール間際の写真である。
この写真では確認できないが裸足のはずである。
裸足のランナーが金メダルを取ったということで当時小学生だった僕の耳にも聞こえてきた。
アベベは翌年、大阪から岸和田城まで走る(確か当時は毎日マラソン)に参加したのを覚えている。このときは平凡な記録だったはず。オリンピックで2連勝はアベベとチェルピンスキーの2人がいるが、チェルピンスキーはボイコット事件のモスクワ大会で勝っているので、実質的2連勝はアベベだけだと個人的は確信している。
なんか哲人的な雰囲気むんむんの姿はもう単なるマラソンランナーを超えたオーラを感じたものである。そう感じたのは僕だけでなかったようで日本にはアベベファンが今もかなり残っているようである。

2008/12/08

雪景色



今日は仕事で富山まで。北陸トンネルを過ぎたら一面銀世界であった。
高岡あたりが一番真っ白でこの写真は、やや雪が少なくなってきた富山駅近辺の写真です。
関西から富山って言うのは飛行機が飛んでいなくて、東京より時間がかかる。
往復大方8時間くらい移動時間がかかる。
まあ無事帰宅。
昔々、名古屋に出張していた時、ちょうど同じ日にジョン・レノンが撃たれて死んでしまった。
名鉄の車中で新聞の見出しで知った。もう何年経つのだろう。
僕はどうもこの日は出張が多い。

2008/12/07

廃墟



仕事で時々和田山に行く。昔の山陰線のターミナル都市である。和田山駅は昔はここで機関車を入れ替えたりなかなか重要な位置を占めていた駅でもあります。その駅から見える機関車のメンテを行っていた建物が残っている。
よく見たらボロボロで可哀想である。
屋根の上にはなんかキャッチコピーが書かれていたみたいあるが消えかけていて写真では見えない。
写真の右手にある建物もJRの寮だったような建物であるが、ここもがらんどう。
道路の整備とともに人の流れは完全に移ってしまい、駅前もほとんど人影がない。
もう夜の7時ぐらいにぽつんと一人で列車を待っていたら、周りは真っ暗でそれこそ無人駅にいる感じがする。

2008/12/05

戦々恐々


今日は、我が家に税務署がやってきた。家中戦々恐々。
何とか無事(でもないか?)に終わる。
終戦処理は後日に。

まずやってみよう。


まず、やってみようということで、つれづれなるままに書いてみます。今日は「Quadrophenia」を見た。WHOの大作(これは音楽)の映画化である。随分昔に見たものを引っ張り出してまた見る。というのは最近ブライトン・ビーチのきれいな写真を見たから。
ということで、今もWHOを聞きながら買いとります。