2009/10/31

mamo wolde

アベベが出てきたらこの人を出さないといけません。ローマ、東京、メキシコと3大会連続でエチオピアはマラソンで金メダルを取っている。3連覇がかかったアベベは出場をするものの早々に棄権、そのあと日本の君原と金メダルを争ってこのマモが勝利を収めた。本来ならこのマモはエチオピアを代表する陸上の重鎮であるべき人なんですが、エチオピアが社会主義化したり、その後独裁政権になったり、東京オリンピックの時のような皇帝が絶大な権力を持った国家でなくなってしまった。この時の政変で囚われの身になって晩年は釈放されたものの長期に渡る幽閉生活のおかげで健康を害しこの世を去っている。社会主義思想や独裁国家も時と場合では悪いと思わないが、ポルポトやスターリンやウガンダやこのエチオピアの事例を考えたら虐殺が付きまとうのはどうもこの種の連中に多い。違う考えの者を認めない・・ところがある。

2009/10/30

abebe bikila

東京オリンピックの時のアベベである。靴を履いている。このときのアベベは実に崇高な雰囲気が漂っていて単純なかけっこのレースには思えなかった。彼の祖国のエチオピアは今は長距離王国であるが経済は極めて深刻で破綻寸前というか既に破綻しているのかもしれない。アフリカにおいては極めて由緒正しい国家でありますが国の経営っていうのはなかなか難しいです。

2009/10/29

catherine spaak(8)

今回も苦し紛れにカトリーヌ・スパークさんに登場願いました。今手に入るCDのジャケット(手に入るのかな・・・)です。
支持政党は厳密にはないのだけれど、今回の民主党の公約の財源をどうするのかなと思っておりました。今までの自民党の無駄遣いを改めたら簡単です・・・というような話だったので、正直お手並み拝見という気持ちで見ておりますが、段々といい加減さが出てきて、子供の手当てを出す代わりに扶養控除を見直す(なくする??)という話になってきた。多分、手当てをもらう額より税金が増える人がかなり出てくるはず。こういうのは詐欺に近いなあ・・と思う。それと民主党が政権をとっても亀井さんと手を組むことはなかったと思いますね。多分今回の郵政問題の方向転換は10~20年後くらいに昔の国鉄と同じ処理をせねばならなくなると思う。つまり税金で後始末することですね。いまよりかなり高くつくと思います。ディスクローズの時代なんだから公営の団体も決算書を公表すべきだと思う。どんどん赤字が膨らんでいくはずです。

2009/10/28

daphne deckers(2)

苦し紛れに以前出ていただいたボンド・ガールさんに登場願いました。瞳が実にお美しい。
話は変わるが世の中の景気は本当に悪い。昨年の初めくらいから不景気の雰囲気が出てきて、リーマンで爆発してどん底になってしまった。ただ今年の暮れ辺りからボチボチ上向くのではという予測が大方の見方だったのが、どうも来年の秋くらいにならないと回復しないということをのたまう輩が増え始めた・・・。経済学者、評論家の言うことはほんまに当てにならない。しかし、どうなるんでしょうかねエ。
ただ、アメリカの金融会社なんかはもう黒字になってきているし、あいつらには早くも虚業の復興の兆しが見え始めているような気がする。はじけたバブルはバブルでしか救えないのかもなあ・・・。ほんまに経済のからくりは難しい。

2009/10/27

妖星ゴラス

加藤和彦さんの事件で、父親と一緒に行った映画の路線が頓挫してしまった。久方ぶりに戻ります。「妖星ゴラス」のポスターをアップしてますが、真ん中辺りに怪獣が出てます。僕はこの怪獣がお目当てで見に連れて行ってもらったハズ・・・であります。ところが映画自体は怪獣映画ではなく、妖星ゴラスっていう星が地球に向かってきていてぶつかるというストーリーでした(多分)。それでぶつかられたらたまらんということで南極に、要は地球のおしりの部分にロケット噴射装置をつけて当たらないようにしようというストーリーだった(多分)。怪獣はこの南極の工事のときに出てきたので主役ではなかった。この映画に関しては父は完全な付き添いだったはず。一緒に暗い夜道を帰ったのを覚えている。記憶ではお隣のヒロオちゃんも一緒だったような・・。昔は子供だけで(小学校だったはず)行かせるということはなかった。

2009/10/26

加藤和彦(6)

当分、加藤和彦について書こうとおもっていたけれど、ちょっと間隔があいてしまった。段々と週刊誌や三流新聞に遺産の話とかが載りだして、ゲスの勘ぐりで高邁な音楽の話からそっちの方面にも興味が行って我ながら情けない思いがしとります。情けない話のついでにこの「ライブ・イン・ロンドン」もプレミアがついて高いです。個人的にはロキシー・ミュージックよりこっちの方が絶対にいいと思っている。まあ趣味の問題ですけれども。

2009/10/20

加藤和彦(5)

このLPの頃はまだどういう方向でいくのか決めかねている感じがあります。聞くほうも冗談交じりというかパロディというか・・・面白いし、楽しい・・けれど・・という印象が強かったですね。ただ過去のフォークル時代を知らない若い連中と話す機会があった時に、彼らは文句なしに「面白い」と言っていたから・・聞き手も変わっているのを頭に入れていたのでしょう。
こうやって加藤和彦の思い出を繰っていると、随分好きなミュージシャンが亡くなっていることに気がつく。そりゃそうだこっちもええ年になってるから・・。長生きしたい・・・普通の観念ですね。でもなあ何にもしたいこともなくなって生きているのもなあって時々思っていたらこのような「死」に直面してしまった。まあやりたいことが出来ない悩みが死に至らしめたのだから・・大分違いますけれど。加藤和彦の笑顔は、「生きていること自体が楽しいですよ・・」っていうのがピッタシの笑顔だと思っていたのですけどね。

加藤和彦(4)

やっぱりこのレコードが代表作になるんでしょうね。確かにいい出来です。加藤和彦という人はミュージシャンであるとともに企画マンなんですね。まずメンバーを集める。びっくりするような人材を集めてきています。このレコードはフォーク色皆無ですね。それでクリス・トーマスの起用、なんでクリス・トーマスだったのか「狂気」が出てすぐ交渉したのでしょうか?時期的にはあの頃ですもんね。高中のギターもこのアルバムの演奏が一番だと思ってます。

2009/10/19

加藤和彦(3)

これは「スーパーガス」という多分ソロ2枚目の作品だと思います。この頃はまだどういう方向に向かうのかはっきりしないというか模索中の時代のような感じがしますね。温かみのある声は相変わらずです。当時はエンケンとか友部正人とかフォークという分野では結構コアな人もいて、加藤和彦はそういう路線でもないし、この時期どのような戦略を考えていたのか聞いてみたかったですね。

2009/10/18

加藤和彦(2)

真ん中が加藤和彦さん、左が北山修さんです。いわずと知れた「フォーク・クルセダーズ」です。この写真1968年くらいですよね。この時期はそれほどのファンではなかった。フォークソングのジャンルにはあんまり興味がなかったこともある。ただフォークルは厳密には他のフォークソングのバンドとはこのときから違っていたように思う。もう1人の「はしだのりひこ」だけが普通のフォークバンドのお兄ちゃんってな感じだったと思っている。
この頃、岩下志摩が出ていた「花いちもんめ」というドラマの主題歌を歌っていて、僕にしたらあっという間にメジャーの仲間入りして、独自の地位を築いてしまったような気がした。同じ関西のついこの間までバンドの解散記念にレコードを自費製作していた何処にでもいる学生があっという間に・・・といううらやましいという感情でなく、実に不思議な感覚で見守っていた記憶がある。医者になるのをやめて音楽をやるのだろうかとか・・・彼らの生き方が気になっていたということなのかなと思う。

2009/10/17

加藤和彦

加藤和彦さんが亡くなった。自殺らしい。意外である。この人は自然に寿命をまっとうする人だと思っていた。モダンな好々爺という感じがピッタリだと思っていた。個人的には「天才」だと思っていた。先を読む先見性と洒落っぽい生き方が気に入っておりました。洒落っぽい生き方というのは結構しんどかったのかも・・・と勝手なことを思ってしまう。アップしたのはお気に入りの1枚「パパ・ヘミングウエイ」です。この辺りからどんどん独自の世界が広がっていったような気がします。ミカバンドももう1回ぐらい再再々結成があるかなと楽しみにしておりましたが。ご冥福をお祈り申し上げます。

2009/10/14

the longest day

父親と一緒に見た映画というのは意外と少ないと思う。厳密に言えばもっと沢山あるのだが、父親も楽しんで見ていたというものは本当に少ないと思う。この映画は1963年の5月に父親と一緒に見に行った。父親の方がこの作戦の方を良く知っていた。僕は何のことか全く知らなかった。まあ日本が敗北に向かうきっかけとなる作戦を日本人が見に行くというのも今から考えたら変な話ですが・・・。パンフレットを買ってもらった。今も残っている。その後、テレビで放映したら「昔一緒に見に行ったなあ」と懐かしそうに語るのが僕にとっても思い出である。

2009/10/10

るろうに剣心

新撰組への興味が再燃したのは、この「るろうに剣心」という漫画に負うところが大きいような気がする。子供が読んでいた漫画であるが親の方が熱中してしまった。特に斎藤一なんか、それまでそう気にしていなかった人物が、実際の人生も結構面白いことを知って、一時期新撰組の解説本ばかり読んでいた時期がある。

2009/10/08

土方歳三

近藤が出てきたらこちらを出さないとまずいですよね。子供の頃「ひじかたさいぞう」と言っていた記憶が残っている。その記憶ではこの土方という人物は強い・怖いという先入観が子供の時からあったようである。
この土方が僕の頭の中にはっきりとインプットされるのは随分後のことである。大学3年の時に公認会計士試験に受かった先輩(大学4年)がいて、お祝いの酒盛りをやった。偶然住まいが近所だったので、2次会・・・最後に先輩の家まで上がりこんでご馳走になった。先輩のお母さんというのが良く出来た方で、夜中(何時だったか覚えていない・・)にもかかわらず、色んなものを作って出して下されてお酒もたらふくいただいた。その会話の中で、先輩いわく一番感動した本を貸してくれた。それが司馬遼太郎の「燃えよ剣」である。すぐ読んだのかときかれれば・・実はお袋の方が先に読んだ・・いわくものすごく面白かった・・・その後で読んで・・・それから新撰組フリークの予備軍に・・・個人的には大学4年の終わりに借りた本を返しに行った。本人は居られなくって弟さんに言付けた。ご本人の先輩は今や某大監査法人の代表社員であられます。

2009/10/02

近藤勇

久しぶりにNHKの大河ドラマの新撰組を見た。苦労してビデオからHDDに落としてあるので、いつでも見れる。まあマニアですなあ。とはいえ最近はあんまり見ていなかった。昔々子供の頃は、夏は浴衣を着てちゃんばらごっこをよくやった。男の子は木刀を皆持っていた時代である。配役を決めて戦うのであるが、ほとんどの子供が勤皇の志士になりたがって、新撰組のなり手がなかったように記憶している。新撰組が今の時代のように勤皇の志士より人気が高まったのは司馬遼太郎の小説のせいでしょうか?
僕なんか月形半平太というような架空の人物を実在していたと思い込んでいたくらいあの時代の映画は子供をワクワクさせてくれました。
さて、局長の近藤勇は映画やテレビではやたら人を斬る怖い感じムンムンですが、この写真もやはりちょっと怖そう。