2009/11/29

舟場正富

この方は僕の中学1年の時の地理の先生である。型破りの先生でラジオ放送を聞かせて天気図を書かせたり、テストの採点を生徒にやらせたりユニークな先生でありましたが、その後研究活動に戻られて最終的には神戸商科大学の教授として財政学を教えておられたようである。学校を去られてどうされているのかは全然知らなかったのでありますが、雑誌で名前を見つけてメールを出してみたら返事をいただいた。あの当時は楽しかった云々のコメントがありました。残念ながら2007年の急逝されております。まだまだ活躍されてしかるべきだと思ってましたが・・・。

2009/11/17

サテンの夜

これは「ムーディー・ブルース」の「サテンの夜」というレコードのジャケットで日本盤(初期の)である。イギリスで発売されたオリジナルはまあ前衛的な絵らしきものでこれでは日本では無理だとレコード会社が判断したのだろうと思う。それにそれまでR&B(リズム&ブルース)のバンドが今回は摩訶不思議なクラシック的オーケストラのレコードを出してきたから、多分「こりゃ売れんわ」と思ったに違いない。時は1967年ビートルズがサージャント・ペッパーズを出した年と奇しくも同じ。この時期のイギリスは新しいことに挑戦する雰囲気が充満していたのかも知れない。

2009/11/14

太陽がいっぱい

昔はテレビは一家に1台というのが常識で、今のように一部屋に1台というのはある意味で異常である。テレビは1人で見るものではなかった(1人暮らしの人は別ですけど)。それで洋画劇場・・とかいう夜の9時くらいから2時間程度でやっていた映画のテレビ放映もお茶の間で見れるようにある意味手を加えられていたように思う。まあ子供も見ているわけですから過激なシーンとかややこしいシーンはカットされていた。この「太陽がいっぱい」はそのようなカットされた映画ではないのですが、偶然母親と一緒に見ていて最後のシーン・・アラン・ドロンが「太陽がいっぱいだ」というシーンで母親が「格好ええなあ・・」と言った思い出の映画です。まあ今みてもいい映画です。

2009/11/07

石川経夫

昔、40歳くらいの時に3年間くらい学生をしたことがある。社会経験を経ているから昔分からなかった経済の緒問題も結構理解できた。その頃ここにアップした「所得と富」という本が日経新聞で絶賛されていて、早速買い求めて挑戦しましたが全く歯が立ちませんでした。ただなんというかこの本には独特のアカデミズムの雰囲気がありまして分からないながらもいい本ということが実感できるという不思議な書物でした。著者の石川教授はその後さぞ立派な業績を残されているだろうと思って検索したらなんと10年ほど前に51歳の若さで亡くなっておられました。僕はその後全く経済学の本からは疎遠になってしまいましたから気がつきませんでした。それにしても若すぎますよね。

2009/11/02

円谷幸吉

東京オリンピックの陸上で唯一メダルを獲得したのはマラソンの「円谷幸吉」のみである。しかも10000mにも6位入賞を果たしていて、まあ一番活躍した人です。東京オリンピックのマラソンは寺沢と君原が本命でこの2人には金メダルの期待もかかっていた。1960年のローマ大会でアベベが出した世界記録を寺沢が塗り替えて俄然寺沢に対する期待は高まった。その記録は東京オリンピックまでに何人かによって塗り替えられていて、多分この写真の円谷の後ろを走っているヒートリーもその1人だったように記憶してる。ダークホース的存在だった円谷は陸上競技場まで2位で帰ってくる。惜しくも競技場でヒートリーの後塵を拝し銅メダルになったが大健闘であった。円谷選手には次にメキシコオリンピックでの期待が高まったが、残念ながらメキシコオリンピックの年の初めに帰らぬ人となってしまった。個人的には言い過ぎかもしれないが自衛隊が死に追いやったと思っている。

2009/11/01

ron clarke

これは東京オリンピックの10000mのゴールの写真です。722が1番で615が2番、615の後ろにいる白いランニングシャツに斜めのラインの人が3番、右側の2人は周回遅れ。多分、その時の陸上では一番面白かった試合ではないかと思う。3番になった人が「ron clarke」でオーストラリアの選手です。8年前のメルボルン大会の最終聖火ランナー、この時世界記録保持者という話題たっぷりのランナーでした。走る姿は駆け引きなし、ひたすらトップを走るというまことにきれいな走法で「走るロールスロイス」とまでいわれたほどです。このロン・クラークさんは今はゴールド・コースト・シティの市長さんです。こういう人が市長だと親しみが湧きますね。あとの2人(ビリー・ミルズとモハメド・ガムーディ)も忘れられない名ランナーで次回に書きます。