以前から近藤重蔵とその息子の富蔵の生涯が分かる本を探していたのだがなかなか僕の知りたいことについて書かれてある本に出合えなかった。ところがこのようなそのまんまの表題の本が既に20年ほど前に出ていることがつい最近知った。古本でしか手に入らないからネットで調べたら44円から1000円までなんとまあこうも価格に開きが出るとは驚きである。無難なとこで真ん中ぐらいのものを購入して読み始める。文章が読みやすくほぼ1日で読了。作者の久保田暁一さんは最近同じ題材で新しいものを出しているのでそれ以降に新しく仕入れられた情報が織り込まれているのかも知れないなあ。それも読んでみようかと思っている。
2010/08/25
2010/08/23
julie samuel
2010/08/22
マージー河のフェリーボート
この写真は「マージー河のフェリーボート」という映画のポスター(というより宣伝の写真)である。この映画を見た人は多分1965年に封切されたときに見ているはず(僕は見ていない)。ただ、DVDは出ていない。どうも本国(イギリス)でも出ていないようである。ジェリーとペースメーカーズというバンドが主役の他愛もない映画なんですが、ビートルズのヤアヤアヤアの後にブライアン・エプスタインが作った映画でジョージ・マーティンも映っているからマニアなら持っておきたいDVDである。それに先日から書いているゴールド・フィンガーのマーガレット・ノーランが美術学校のスケッチのモデルとして出ていて後姿であるがガウンを脱ぎ捨てるといったシーンもあって(ユーチューブで見れます)楽しそうである。上の写真はジェリー・マースデンがモデルを見ながら絵を描いているところ。相手の女性はシラ・ブラックかなと思っていたが似ているけれど違うようです。
2010/08/20
目黒新富士
これが昨日書いた「目黒新富士」の浮世絵であります。広重の作品らしい。遠くにほんまもんの富士山と手前に富士山のような格好をした山(丘?)が描かれてある。今のわれわれにはちょっと理解できないものが流行ったんですなあ。さらにネットサーフィンしてたらこのような富士山もどきが東京にはかなりの数あったそうで、ちょっと関東に住んでいないと馴染みがないのかもしれない。
昨日の続き、近藤重蔵はこの新富士を庭に作っていたわけであるが、大阪に転勤の時に隣の任侠あがりの男に世話を頼んだらしい。この男商売がうまかったと見えて隣の垣根を壊して、自分とこは蕎麦屋を始め、新富士を眺めながら蕎麦を食べるという趣向で大いに儲けたらしい。そこに重蔵が帰ってきた。「おまえ何を勝手なことやっとんねん」とまあこんな感じでもめだしたのではないかと推察してます。
2010/08/19
近藤富蔵
八丈島のことを調べるならまず「八丈実記」という書物から入るのが常識なんだそうである。アップしたのがその書物である。東京都所有。この書物を書いたのが八丈島に島流しをされていた「近藤富蔵」という人で、父は「近藤重蔵」という。ここまできたらなんか日本史に出来たよなと思う人が多いであろう。北海道の択捉島にロシアに取られないように標識を立てた人で、間宮林蔵とかみんな「蔵」が付くなあと思って覚えたものである。なんで息子が島流しになったのだ?というと東京の目黒の重蔵の所有する土地をめぐって隣の住人を皆殺しにしたという罪なんですが、事実は事実らしいがそのいきさつについては見方がいろいろあって面白い。この事件で親父さんの方も滋賀の高島に放逐されている。この隣人とのいざこざを調べていたら「目黒新富士」というあまり聞きなれない言葉が出てくるので、ついでにそれも調べていたら面白い事実がいっぱい出てきた。時々仕事で行く東京の恵比寿や中目黒のあたりに近藤重蔵が別宅を持っていたらしい。そこの庭に土を盛って富士山に見立てた山(丘)を作ってそれが評判になって「目黒新富士」と呼ばれたようである(どんなでかい敷地だったのか?近藤重蔵は当時は北海道開拓のおかげで出世していたようである)、今は残っていないが公園に史跡があるようです。安藤広重もこの新富士と本当の富士山を並べた絵を描いているくらいである。それと富士山信仰というのがあったことも知らなかったですね。やたら富士山もどきを作って拝んだようであります。興味のある人は調べてください。で、近藤富蔵は明治になって赦免されて本土に戻ってくるが2年間ほど本土にいて父親の墓参りとかを済ませた後は八丈島に戻って死ぬまで暮らしたそうです。数奇な人生の話が好きな僕としては興味津々の話です。八丈島では英雄のようですよ。
ariane friedrich
2010/08/18
墜落遺体
2010/08/17
1979.8.16
2010/08/15
鈴木貫太郎
終戦の日
2010/08/14
1985.08.12
この写真は非常に有名な生存者が助けられるところです。この方は平穏に暮らしておられるという記事を読んだことがありますが、そのような記事も迷惑なのかもしれません(迷惑だと思います)。524人の搭乗者のうち4人が生存、つまり520人が亡くなっております。この事故についてもいろいろな諸説が展開されてまして、古くはタイタニックや近くでは9.11の貿易センタービルテロ事件などにおいても様々な陰謀説みたいなものが面白おかしく出てきますが、やはり公式な見解は不自然なように感じます。公式見解が不自然という感じは、ケネディ暗殺事件の公式報告書(名前は忘れました)が出たときも同じような反応だったように記憶しております。ケネディについては今や当時のベトナム戦争推進派の陰謀だったことが当たり前のように語られていますが、日航機事故は「そのような風説」は今のところ出てませんね。真相が果たして明かされるときが来るのでしょうか??
2010/08/12
JA8119
突然この写真、いわゆる日本航空123便の写真であります。ちょうど25年前の1985年8月12日の18時~19時の間に起こった墜落事故です。偶然この事故でなくなった(ほとんど亡くなっている。4人しか助かっていないのだから)方の子供さんと仕事を一緒にしたこともあったり、助かったお方の一人は僕の出身校の先輩がやっている看護学校に来ていたという話を聞いたり、全くの他人事とは云えない気持ちを持っている。仕事で出張がかなりありますが、北海道に行く時以外は新幹線にしてます。一時期この事故に関する本を何冊か読んだことがあります。なぜ落ちたのか?という原因究明の話は多分水掛け論だと思うのですが、遺体収容の苦労話の本は涙無しに読めなかったですね。関係者の苦労は凄まじいものがあったことがわかります。
simon & garfunkel
先日のモンタレー・ポップ・フェスティバルのところでサイモンとガーファンケルを去り行くものとして取り扱ったのですが、このあたり、かなり個人的には苦悩してまして、サイモンとガーファンケルは1970年にはこのアルバム「明日に架ける橋」を大ヒットさせております。僕も大好きですばらしいレコードだと思っておりますが・・・、やはり1967年においてすでに追い出されるべきものであったのではないかという気持ちを今もって持っております。もうデュエット・ユニットの時代でなくなったということは本人たちが良く分かっていたのではないか?じっくり歌を聞かせる時代でなくなったのではないか?ということを良く弁えていたような気がします。でも俺たちにはこれしかないという最後の逆転満塁サヨナラホームランであったような気がするのは間違いでしょうか?
2010/08/11
helen shapiro
2010/08/10
monterey pop festival 2
2010/08/08
monterey pop festival
1967年にカリフォルニアのモンタレーというところで「monterey pop festival」というのが開催された。ロック史の価値としてはウッドストックがはるかに及ばないくらいの価値のあるものである。何故かといえば、これによってジミヘン、ジャニス・ジョプリン、エレクトリック・フラッグ、ブルース・プロジェクト、クイック・シルバー・メッセンジャー・サービス、ポール・バタフィールド、アル・クーパーといったその後大活躍するアーティストが紹介されたからである。主催者は当時大人気の「ママス&パパス」で、皮肉にもその後1年後に解散。このフェスティバルはなかなか含蓄があって時代と共に去るものと来るものの競演である。来る者はすでに紹介したが、去る者は当時の人気バンド、アソシエーション、サイモン&ガーファンケル、バーズといったアーティストである才能がないとは云わないが時代に合うというのはなかなか難しい。
2010/08/04
goldfinger 2
2010/08/02
goldfinger
登録:
投稿 (Atom)