2011/01/29

小杉英則さん

昔々大阪の専門学校に行っていた頃、学校帰りに一杯飲んで帰っていたことがある(もう20年以上前のこと)。場所はJR大阪駅の線路の下になるんでしょうね(最近行かないからわからない)。そこにセブンシーズというスタンドバーがあってそこの雇われマスターが「小杉英則」さんと確か言ったはずです。僕はサラリーマンが寄り出す前に帰っていたから客が少ないこともあって彼とよく喋った(通ったのは数ヶ月だったから短いですけど)。多彩なお方で投稿マニアでいらっしゃり原稿のコピーを見せてもらったこともあります(特にウルトラQのジャミラの話とか今も記憶に残っております)。そのうちに次第にいろんなところに小咄、俳句?、4コマ漫画等々掲載されるようになりました。ひょっとしたら超売れっ子になるかなと思ったりしておりましたが、風の便りにセブンシーズもお辞めになり雲隠れされたようにお聞きしてました。
そしたら最近こんな本を見つけました。「小杉英則→小杉なんぎ→小杉なんぎん」と変態してます。会ってもわからないと思いますけど応援してます。ただ僕は言葉の世界苦手なんですよね。阪神やからなんとか付いていけるかな・・ということで買い求めます。アマゾンに在庫あるかな??

2011/01/28

jimi hendrix

天才ジョブスのことを考えていたら、偶然このCDを聞いていたところであった。こちらは夭逝してしまった「天才ジミヘン」こと「jimi hendrix」で新しいのは当然出てこないが色々と企画物・掘り出し物が出てくる。まあその都度「あんまりこういうものに手を出すのも業者の手にうちにはまるようなもの」と思いつつ輸入盤だと1000円ちょっと(プラスDVDつき)で買えてしまう。考えてみればスターバックスのコーヒーにクッキーつけたのを節約したら買えてしまうのでついつい全部買ってしまっている(結局全部買ってるんですが)。昔に比べたら異常に安いというか、昔のレコードが高すぎたということで1970年くらいなら今出ているBBCセッション(CD2枚プラスDVD1枚)だと5000円くらいで出たと思う(今ならネットで1500円で買える)。話が脱線してしまったが、聞くたびにこのジミヘンは凄いといつも思う。それでこういう演奏していたら早よ死ぬよなあといつも思ってしまう。鬼気迫るというのはこのことだといつも思ってしまう。凡人の俺はジミヘンの分まで長生きしなくては(どんなロジック?)。

steve jobs

appleの株価が大変である。ジョブスの病気療養の噂でこれだけ株価が影響されるとは改めてそのカリスマ性に驚くばかりである。昔々、まだOKIがアップルのプリンターを売っていたころにマッキントッシュを使っていた。その理由は「エクセル」を使いたかったから。どうしてもロータスでは出来ないことがエクセルでは出来た(当時はエクセルはビルゲイツが開発したのにマックでしか使えなかったのだ。面白いですねえ)。当時のアップルは高かった。ビルゲイツに比べてジョブスは不器用でビジネス界では成功しそうに思えなかった。アップルを追い出された後も結構心情的に応援していたと思う。ピクサーの話も機会がある都度英語であっても読んでいた。ジョブスが戻るまでのアップルは駄作ばかりというか何を作りたいかの方向性を示せない連中ばかりでこれほどトップが大事だということを示した経営者もいないと思う(だから株価が下がる)。ベンチャーからメジャーになっちゃったappleを応援するか??誰もがipodやiphoneを持っている。いつもの僕なら興味がなくなって次のベンチャー企業を応援したはずであるが、このjobsはやはり別格かな。元気な姿を見たいものです。またびっくりするような製品でびっくりさせて欲しい。

2011/01/27

高石かつ枝(2)

you tubeでこの「高石かつ枝」さんを検索したら結構な数がヒットした。どのような方々がアップされているのか知らないけれど多分僕より年上の方々ですよねえ。それで色々と見ていたらこんな曲(花の決死隊)もレコーディングされている。昭和37年から数年間活躍した歌手とは思えない選曲のように思える。今から考えたらかなり時代錯誤的な選曲(本人よりスタッフがですね)だと思う。誰がこういう歌があの当時に受け入れられると思ったのかなあ。どういうマーケティングだったのだろう。例えば僕の親父たちの世代も聞かないと思う。この「高石かつ枝」のファンは多分昭和15年から25年頃に生まれた層だと思うけどこんな歌が受けいれらるとはとても思えないのですがね。当時のレコード会社のスタッフがもっと優秀であればとつくづく惜しい気がする。
ただこの歌で歌われている史実は実に悲しいお話でそれはそれとして別の話。ただ昭和38~40年頃にどちらかといえば青春・純情路線の歌手に歌わせる曲だったのかなあと思ってしまいます。
それとこの時代までは、歌手は大先生(作曲家・作詞家)の作品を歌うロボットみたいな感じで自分を出すということは全くないことがよく分かります。そういう意味ではビートルズから湧き起こった日本でのグループサウンズ・フォークブームというのは歴史的に意義があったと思いますね。大先生の作品って変なものが多かったですもんね。なんか着物着て気持ちの悪いじいさんが多かったように記憶してます(かなり偏見があります) 。

高石かつ枝

前回がイギリスのプログレバンド「camel」で、今日は「高石かつ枝」であります。我ながらひどい飛び方である。ビートルズが日本に上陸してくるのが1964年の春である。その時以降ビートルズの世界に入り込んでしまったのは間違いないが、ではそれまで僕はどんな音楽が気に入っていたのか?ということを考えてみた。1963年は中学1年である。63年は坂本九の「スキヤキ」がアメリカで1位になっている。そのあたりいわゆるアメリカ・ヨーロッパのヒットを翻訳して歌っていた歌手達(弘田三枝子や森山加代子・・・)を好んで聞いていた記憶がある一方でlこの「高石かつ枝」が好きだったような怪しい記憶がある。1963年の紅白歌合戦(多分67年くらいまでは見ていたように思う。それ以降は忌み嫌ってますが)は翌年オリンピックを控え日本が変わる予感ムンムンの時代です。その63年の大晦日にこの「高石かつ枝」が初出場しています。しかもセーラー服姿で(蛇足ながら舟木一夫も詰襟で多分高校三年生を歌ったのでしょうね。アップしたのは多分その時のメディアの記事の写真でしょう)。
この「高石かつ枝」のいう歌手ですが、不幸なことに吹原疑獄という事件に巻き込まれてあっという間に姿を消してしまいます。短期間ながら吹き込んだレコードはかなりの数です。全部はよう聞きませんけど。先日他の2人(本間千代子と高田美和(知っている人いるのかなあ・・と思いますがいるから出すんでしょうね。レコード会社もマーケティングしてるはずやから)の3人のBOXセットが出ましたがさすがにそこまで手を出せませんでした。100曲以上も聞けんわね。僕は今でもこの「高石かつ枝」のプロマイドが残っているような気がする

2011/01/25

camel harbour of tears

昔々、ビートルズを聴き始めた頃、何時くらいまで僕はこのような音楽を聴くのだろうかと思ったことがある。ロックンロールの黎明期のプレスリーファン(僕の1世代前)は今どうしているかと見回したことがある。アメリカのことはすぐには分からないけど、日本では過去のヒット曲を引きずって小さい地方公演とか温泉のホールとかそういうところで日銭を稼ぐことになるのかなと勝手に(誠に勝手ですが)想像してました。そういうホールには過去のファンが思い出を餌に集まってくるとこれも勝手に思っていました。
何が言いたいかといえば、全てこれらは思い出がキーとなっていて新しいものではないということです。ところがあなた!ここにアップした「camel」というバンドは一旦活動を止めて(何年たったかなあ・・)また活動を再開したイギリスのどちらかと言えばやさしい系のプログレバンドです。それで再開してオリジナルアルバムを出すのですがそれがなかなか力作で個人的には今のほうがいいのではと思うこともあるくらいいい出来です。
こういうのっていいですよねえ。頑張って欲しいものです。日本だけでなく世界中でも中高年がたくさんいるのだからもっと中高年バンドのCDが売れてもいいと思いますけどね。ツェッペリンやディープ・パープルもオリジナル新作出して欲しいですね。過去の埋もれた録音やベストばかりでなくってね。

2011/01/23

burlesque

神戸の三ノ宮からポートライナーに乗って仕事に行くことが時々ある。エスカレーターに乗ってポートライナー(モノレール)のホームに上がっていく時にこのポスターが張ってある。左がシェールである。このシェールという歌手(女優)を初めて知ったのは1965年であるから既に46年経っている。1965年に「ソニー&シェール」といくフォークロックの代名詞みたいな売られ方で登場してきていきなり「アイ・ガッチュー・ベイブ」で全米NO.1を獲得、その後も「バンバン」「オール・アイ・リアリー・ウォント・トゥ・ドゥ」「リトル・マン」等々おしどり夫婦でヒットをとばす。その後ソニーとは別れて(その後ソニーは確かスキーの最中に木に激突して死んだという記憶が残っています)女優業にさらに女優をしながら「ハーフ・ブリード」「悲しきジプシー」と大ヒットを飛ばす。そのうちにアカデミー賞主演女優小をゲット・・・とまあ実に恵まれたお方です。インディアン(チェロキー族)の血が何分の一か混じっているということで風貌もなかなか印象に残ります。
このポスターでも普通なら右の女優さんが印象に残るはずですが、やはりシェールの方が目立ってしまう(そう目立つんですよ・・そういえば海軍の戦艦の上でのプロモーションビデオあれなんか強烈な目立ち方ですが・・まあ別の意味もありますけどね)。

2011/01/19

andrew wiles

数学の問題を解いたので昔の中学時代を思い出した。僕の通っていた中学(高校)の数学の先生は実に変わった先生で(数学の先生には変人が多い)、時々丸一時間授業をせず、変な話で終わってしまうことがあった。ほとんど記憶に残っていないが、記憶に残っているものは、「岡潔と小林秀雄の対話の本がいい」という話、「フェルマーという人の定理がまだ解けずしかも賞金がかかっている」という話、「般若心経が素晴らしいから是非読みなさい」という話の3つである。変な先生と書いたが結局一番記憶に残っている素晴らしい先生である。
「フェルマーの定理」のことはその時に知って、30年くらい経ったある日、解けたという新聞記事を目にした。解いたのはこのandrew wilesという天才数学者、10歳の時にこの定理を知ってずっと解きたいと思っていたようである。ただこの化石のような定理を解いても現在の数学にはそれほど貢献もしないということで(なんか分かるような気もする)、他の旬のテーマを取り上げていたらしいが、どういうわけかこの「フェルマーの定理」が旬のテーマになったらしい。それで解いちゃったということらしいが、ずっと思っていることはフェルマーはほんまに解けていたのだろうか?

2011/01/18

頭の退化

今日は自宅で仕事、朝、新聞を見たら難関「灘中学」の数学の問題が掲載されていた。果たして何問解けるか?挑戦!制限時間60分で10問以上あったように思う。あったように思う・・というのは、初めの4問で30分以上かかってしまったからである。そこでリタイア。やってみて思ったのは、筆算の掛け算なんか計算機ばかり使っているからもう頭が退化して出来なくなっていた。
ただこの問題、普通の中学生(おそらく3年くらい)でも全部は出来ないと思う。
アップしたのは今の僕のPCの壁紙。

2011/01/13

santana

santanaは最近はかなり変な路線のCDを出してきていたが、今回は極め付けみたいなものを出してきた。いろんなボーカリストを引っ張り出してくるのは最近の常套手段であるが、今回は全てカバーでしかもメジャーな曲がずら~っと並んでいる。メタリカのようにマニアックな「え~こんな曲まで知ってんの~」という路線でなく、「え~こんなメジャーなのをカバーするの~」という「横断歩道みんなで渡れば怖くない」路線で突っ走ってます。賛否両論(アメリカでは特に否のほうが強く、日本は歓迎路線かな?)ですが僕は気に入ってます。まずサンタナのギターの音が心地よいのでずっとかけていてもOK。個人的にはスーパーナチュラルよりもこちらが上ですね。

2011/01/12

卒業論文

最近の大学は卒業論文を書かなくても卒業できるらしい。聞くところによると学生が選択できるみたいで卒論を書かないと多めに授業をとればいいというシステムになっているようである。自分の経験から言えば卒論を書くために調べたことしかまともな教養になっていないから、書いていないとほとんど大学生としては失格だったと思う。就職難でマスコミは親に「今は昔の大学とは違うんだ」ということをしきりに力説しているが、どう考えてもその年に生まれた人間の半分以上も大学生になる教育制度というのもおかしいと思う。僕の経験では既に中学校でクラスの半分くらいは授業について来れていなかったように思うので統計的にも無理がある。世界のレベルから見て日本はどうなんでしょうね。アップした写真は秀才が憧れるプリンストン大学。

2011/01/09

sylvie vartan

自分で体験しているヒット曲はビートルズ以降からであるが、ビートルズが日本に上陸した1964年の秋から暮れにかけては突然彗星のごとく現れたフランスのこの「sylvie vartan」の「アイドルを探せ」がビートルズより人気をさらってしまった。もともとはその年の秋に封切られた「アイドルを探せ」というフランス映画のワンシーンで1曲だけ歌っている歌手である。(当時はシルヴィ・ヴァルタンがフランスでは大人気の歌手で、その前の年(1963年)の暮れにパリでビートルズとシルヴィ・ヴァルタンが共演していたなんて当時は知らない)その映画には他にいっぱい主題歌と目される曲があったように思う。時間から言えばほんの数分のシーンで、日本では主題歌になり、異常なヒットとなり、映画そのものよりこのワンシーンを見るために映画を見に行くこととなる。
かくいう僕もこのシーンのためにDVDを買っている。ここにあげたショットはその時のもの。実に絵になっております。

2011/01/08

the angels

なぜか1960年あたりをうろうろしだしてしまいましたが、女性ボーカルグループの記憶となるとこの「エンジェルズ」も捨てがたい。当時テレビで見た記憶が残っているが、当時見ることが出来た番組は「エド・サリバン・ショー」や「アンディ・ウィリアムズ・ショー」ぐらいしかなかったように思いますが、果たして僕は何で見たのかなあ。ただ見た記憶と聞いた歌は「My Boyfriend’s Back」であったことは間違いないです。だってその後この歌を口ずさんでましたから。なんか覚えてしまうフレーズなんですね。黒髪の真ん中の女性がリードを歌って、両脇の金髪の2人がコーラスをかぶせるという姿を覚えているから。その記憶だけで何十年も生きてきた。ほんまに今の時代のユー・チューブなんかの存在は夢の世界であります。ただ、何十年も記憶だけで行き続けるという変な能力はこれからの人間には退化するでありましょう(いらんかそんな能力は!)

2011/01/07

the chiffons

このグループはジョージ・ハリソンの「マイ・スィート・ロード」の元歌(という表現が適切かどうかは分かりませんが)の「He's So Fine」をヒットさせたグループとしてその時(1970年頃)に知りました。調べだすと当時は結構な数の女性グループがいることがわかり、ビートルズはそういう時代(1956~60年くらい)の彼女らの曲を聴きながら自分達の曲を作り出してきたということなんだろうと思っている。

2011/01/06

let the good times roll

昨日の「181Good Time Oldies」で他に印象深い曲の一つに「let the good times roll」がある。この曲は相当有名な曲でかなりのアーティストが歌っているが、この年までオリジナルを探したことはなかった。このネット放送局はどうもオリジナルを重視しているようで知っている曲でも微妙に違うものがかかることがある。
で、オリジナルを検索してみたら「shirley and lee」というデュエットらしい。女性のややコミカルなファルセットボイスで人気があったと解説されてあり、雰囲気的にもピッタシなのでこれでしょう。長い間聞いてきたけどまだまだ知らないことがある。若い頃、プレスリー以降はかなり勉強したけれどそれ以前のロックンロールが芽生えだしてきた時期まで入り込んでいないからなあといたく反省(大げさな!)。

2011/01/05

the shirelles

以前にも書いたけれど、持っているCDは何回か聞いたら、かける時にイメージが瞬間に思い出してしまうので、新しいものを追い求める。でももう新しいミュージシャンの感性は僕には合わなくなってきた。頑張って世代の違うミュージシャンと20年くらいは付き合ったが、最近は諦めて素直に自分の聞きたいものばかり聞くようにして数年経つかな。それで最近はメディア・プレーヤーのメディア・ガイドをかけていることが多い。ここは知らないのがかかるので楽しい。ただ「181Good Time Oldies」はほとんど分かってしまう(当然ですわなオールディーズなんだから)。でもここにあげた「The Shirelles」の 「ママのご意見」は何回聞いても楽しくなる。
このグループのベストはいい曲が多く、しかもほとんどの曲がチャートインしたものばかりであります。僕の原点のリバプール・サウンド勢がコピーした曲も多いです。あれどこかで聞いたよな・・という曲が満載です。まあ僕の同時代で言えばシュープリームスみたいなものかなと思ってましたが、彼女たち(シュープリームス)とThe Shirellesとの違いは人種差別の度合いが全く違っていて、これだけヒット曲があっても「The Shirelles」は白人が見るのが主流だった当時のテレビ番組にあんまり出してもらえなかったようです。アメリカの人種差別問題は1960年代にかなり変わるのですね。

2011/01/03

pete postlethwaite

先ほどネットの新聞を見ていたら「pete postlethwaite」が亡くなったという記事がアップされた。まだ64歳、若い。死因は今のところ不明。写真は「ブラス」から。普通はこの映画が一番有名なのかな?調べたら名作がいっぱいあるのですが、僕はこの俳優さんが出ているから見るということは全くなく、別の角度から見た映画に彼が出ていて、なんか一番印象に残ってしまったというパターンが多かったように思う。例えば僕が見た映画は「ナイロビの蜂」「イーオン・フラックス」「ロスト・ワールド」「エイリアン3」というようなどちらかといえば通俗的な映画ばかりで映画通の方向きでない。こう見れば実に己が俗物かがよくわかって嫌になりますなあ。ただこんな映画に出てなんか存在感をアピールできる俳優さんでした。
調べたところこの俳優さんのマストアイテムは「父の祈りを」「ユージュアル・サスペクツ」「マイ・スウィート・シェフィールド」「微笑に出会う街角」「あの日の指輪を待つ君へ」というところみたいです。早速借りてみようと思ってます。

2011/01/02

rush

うさぎのジャケットのレコード(CD)を探していたらなんと「rush」のこのCDを見つけた。「rush」というグループは実に息の長いグループで正直このアルバムは知らなかった。いったい何枚目のアルバムなのでありましょうか?7枚目くらいまでフォローしていたように記憶しているが、今から考えたら何かのきっかけで買わなくなってしまっていた。これを機会に集めてみようと思っている。3人のメンバーの驚異的なテクニックで驚くようなサウンドを展開する。「スペーシー・プログレ・ハード・ロック」とでも表現したらいいのでしょうか?ただ30年以上も同じようなことをしていないだろうから僕の知っている初期の話である。このうさぎのCDは中期なのか今なのかは知らないので今から調べてみます。うさぎ年で調べていて旧知の友の動向を知ったような気持ちです。まだ頑張っていたのねという感じ。

2011/01/01

うさぎ

虎からウサギになった。アップするための写真を探していたら。やたら大きいウサギの写真が結構あったので一つ選んで載せてみた。フレミッシュ・ジャイアントという種類だそうで人になつきやすいそうである。こういうのと一緒に寝たら冬は暖かくって良さそう。ただ記事によってはなんと食用にもなるそうで、食糧難の北朝鮮がドイツに仕入れにやってきているという記事もあったが真偽のほどは分からない。
昔、小学生の頃、転校(都会から田舎に転校)した学校の行事に「ウサギ狩り」という行事があって、何か知らないままに手をつないで山の中を何という掛け声だったか忘れたけれどまあ「ワーワー」言いながら網を仕掛けた場所に囲むように追い込んでいくのを毎年やっていた。ウサギが捕まえられたのかどうかは忘れたけれど、次の日の給食の時間には必ず誰かが昨日のウサギの肉が入っているという奴がいて戦々恐々で食べたものである。
学生の頃に高槻市にある某大ハム会社にアルバイトに行ったことがある。でかい冷凍庫(冷蔵庫)のなかに肉を取り入ったらウサギの格好をしたままの肉の塊があって(さすがに犬はなかった)、当時はまだウサギも食用であったことを思い出した。もともと日本も食用でウサギを大量に飼っていた時代(戦前)もあったわけで、それが段々愛玩用になってウサギの命も格上げ?されたといえるのかな??
とりとめもない思い出から今年も始まった。