2011/07/31

MUSIC LIFE

「 ニュー・ミュージック・マガジン」の対抗馬としては「ロッキン・オン」という雑誌がふさわしいと思うけれど、僕にとっては読むべき記事が全く無く買わなかったので知らない。個人的には文章は「ニュー・ミュージック・マガジン」で、見るのはこの「MUSIC LIFE」を見ていた(まさに見ていた。読んではいない)。このMLの表紙はテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー(ウッドストックの映画からでしょうか?)でギターに書かれたピース・マークが時代を物語っております。この時のアルヴィン・リーのギターには驚いた。こんなに早いピッキングは見たことがなかったから。映画では演奏後に大きなスイカを担いで帰るのが印象的であった。ミュージック・ライフは2000年を迎えることなく廃刊になった。まあ次から次と変身するシンコーミュージックですからそれほど象徴的な出来事ではないと思うけれど、MLは代表選手だったからある意味では大きな出来事だったかも。他に1964年当時はポップスという雑誌もあった。70年代には音楽専科という雑誌もあった。ただなんというか音楽に立ち向かっているスタンスの雑誌という意味では「ミュージック・マガジン」だけのような気がする。だから今でも購入しているのかもしれない。


2011/07/29

ミュージック・マガジン

1980年の1月号から「ニュー」がとれて「ミュージック・マガジン」になった。今から考えたらこの時点で定期購読をやめてもよかったことになるが、その時点でそれほどしゃかりきに読まなくなってなっていたのと、このころになると本屋に配達を頼んでいたので、発売日が待ち遠しくてという感じではなくなっていた。気がついたら6か月分くらい積んでることもあった。創刊からほぼ10年、時代はどう変わっていたのか正直忘れてしまった。8.8ロックデイも近所の万博公園でやらなくなったし、僕自身もなぜか仕事が面白くなってあんまり頭で音楽は聞かなくなってしまった。ただ学生の時に比べたら自由になるお金があるので、ミュージック・マガジンの点の高いものを買って聞いたりはしてみた。しかし当然ながら感激は薄れていたですね。いつからか100点満点の評価がなくなって(本当は消えたわけではないが小さく表示されるようになった)、一番の特色がなくなった。96点と97点の1点の差は????という非常に難しい難問に悩むこともなくなった。正直なところ一番の目玉がなくなったので商品価値は数段落ちたと今でも思っている。5つ星でなく100点満点というのが実に日本っぽかった。

2011/07/28

ニュー・ミュージック・マガジン(5)

1974年の4月号では無事5周年ということで創刊号が丸々載せられている。正直なところこんな雑誌(まるでガリ版のミニコミに近い)が5年ももつとは思っていなかったような気がする。僕の周囲には僕以外に購読者は1人もいなかったし、電車の中でも読んでいる人をあんまり見かけなかった。本当のところ発行部数はどれくらいなのかなと思っていた。5万部くらいは出ていたのかな?当時200円くらいだったはずだから売上は200×50000=10000000、つまり1000万円、これで雑誌が作れたのだろうか?当時(1974)の僕は寮生活をしていて、この本以外にもML(ミュージックライフ)や音楽専科やスイング・ジャーナルやステレオなどという雑誌をランダムに買っていたけれど、ニュー・ミュージック・マガジンの愛読者は寮の中でも僕だけだったように思う。実にマイナーな雑誌だった。

2011/07/27

ニュー・ミュージック・マガジン(4)

1971年の9月号、いわずと知れた「レッド・ツエッペリン」の特集である。記憶を手繰ればこの時に初来日したのではなかったか。確か2800円だった。大阪フェスティバルホールの伝説の4時間半ライブを体験した。


2011/07/26

ニュー・ミュージック・マガジン(3) 新ロックアルバム100選

1973年の4月号では「新ロックアルバム100選」が発表された。この間書いたけれどこの時点で個人的には「え~なんでこんなしょうむないレコードが選ばれるんや」というものが入っていて、既に2年後には時代は拡散の方向に向かっていたように思う。収束傾向にあったのは69年だけだったのかもしれない。ほんまに「ROCK=69」偶然とは言え不思議な因縁を感じる。


2011/07/25

ニュー・ミュージック・マガジン(2) ロックアルバム100選






この雑誌が出てしばらくして1971年の4月号で「ロック・アルバム100選」というものを特集して出した。当時本当にすばらしいレコードがわんさかと出てきて、いったいどれを買って聞けばいいのかわからないという状況だったのでこの特集は時代が要求したものだった。そこに選ばれた100枚はどれを買ってもまあ「この推薦はちょっとおかしいのでは?」と首をかしげるものは少なく、まあ外れはなかったと思う。この100選というのはその後も2次の特集がなされたが、一番初めに比べたら、もう時代が拡散し始めていて、何を買っても感激するというものではなかった。もう自分に合う音楽は自分で探さないといけない時代になっていた。初めに選ばれた100枚についてはアルバイトしては1枚ずつ集めていった。さすがに全部は集められなかったと思う。また絶対に趣味が合わないというのもあったから全部集めるつもりはなかった。ただそれは趣味の問題で選ばれたものにはそれなりの尊敬の念を抱いたものである。





2011/07/23

ニュー・ミュージック・マガジン

中村とうようさんの創刊した「ニュー・ミュージック・マガジン」(自分の持っているものをスキャンしても良かったが面倒なんで古本屋さんのHPからもらいました。左のが創刊号)は実に面白い雑誌だった。今から考えたらずっと僕らの世代のための雑誌にしてくれたらもっと面白かったのにと思う。(まあ レコードコレクターズがそれに近いとおもいますがちょっと違うね)。いまのミュージックマガジンはいったいどんな人が読んでいて年齢層はどんな分布になっているのかなと思う。(さすがにKPOPの特集は全然意味がわからないし興味もない。)



RY COODER JAZZ

ロゴが好きなジャケットというものがある。これなんかその範疇に入る。いわゆるジャケ買いの部類。イッツ・ア・ビューティフル・デイとは違う類のジャケ買いです。曲者ライ・クーダーの「JAZZ」と銘打ったアルバム。内容も曲者です。

2011/07/22

中村とうよう

中村とうようさんが亡くなった。自殺だそうである。以前にコレクションのレコードや資料を寄付されたという記事を読んだときに生きる情熱が消えたのかなと思った記憶がよみがえった。僕もかなりの収集癖があるけれどこれがなくなる(整理して寄贈する・・・友達に分け与える・・・等々)時はかなり生への執着が無くなった時だと思うので危険信号だと思う。たいていの人はこの「中村とうよう」という人物を知らないと思う。今の「ミュージック・マガジン」の創刊者(当時は「ニュー・ミュージック・マガジン」)である。今のミュージック・マガジンは正直僕には良くわからない雑誌ですが(いまだに惰性で40年以上買っている)、創刊されたときは実に面白い革命的な雑誌でした。なんといってもその月に発売されたレコードを100点満点で採点したこと。これが偏差値世代に受けた。そのころから発売されるLPレコードがどんどん増えたので買う時にこの点数は役に立った。ただ採点者の癖(性格)を考慮しないと失敗することになる。それと「フォークからロックへ」とか「カントリー・ミュージックは嫌い」とか一刀両断に決め付けるところがあって、当時はそれが面白かった。音楽評論家になりたいと思ったのはそのころである。ただなんか段々ととうようさんの切れ味が鈍くなって(というか僕の感覚と合わなくなって)、あんまり彼の主張を読まなくなった。あんまり音楽をどうのこうの分析することに意味がないように思えることも増えてきた。サラリーマンになって仕事の方が面白くなっていったこともある。それで段々「中村とうよう」という人の存在も忘れていっていた。今までの著作をまとめて読もうとも思わないけれど、1969年本屋で変な雑誌を見つけて買ってむさぼるように読んだことを昨日の事のように思い出す。 「ニュー・ミュージック・マガジン」を創刊した功績は永遠に残ります。あの時にあの本を出したということが出版の歴史に残ると思う。レコード評だけでなく他の記事も実に面白かった。



2011/07/20

The Everly Brothers

ビートルズがアメリカに上陸して、それまで人気を誇っていた(保っていた)歌手が急速に消えていった(ように僕が思っている)歌手がかなりいる。その一つがこのエバリー・ブラザーズです。異議を唱えられる方もいらっしゃるだろうが、偶然かもしれないが50年代にあれだけヒット曲を飛ばしていた彼らが急速に衰えて行った感がある。僕は今でもよく聞くし、ビートルズやビーチボーイズのお手本みたいなコーラスである。リック・ネルソンも消えた。デル・シャノンも最後で踏ん張ったけど息絶えた(ごめん)。エバリー・ブラザーズもリック・ネルソンもデル・シャノンも好きで今でもよくかける。みんないい曲が多い。ただ64年を境にヒットしなくなった。見えない一線が敷かれたように思う。見方を代えればイギリスのグループなら何でも一応ヒットするというバブル的な時代になったともいえます。 ある意味アメリカ勢受難の時代になってしまった。

2011/07/19

ゴールデン・スランバー

ゴールデン・スランバーを DVDで見る。昨年の初めだったかな?本で読んで面白かった。ほとんど邦画は見ないので正直俳優さんの名前も出てこない。昔NHKの新撰組で山南敬助を演じていた人が主役。あの時も存在感があった。今回もなかなかいいです。主題を取り違えると面白くない映画かもなあと思う。何故こんな姑息な罠をを誰が何のためにやったのか?という疑問には全く答えない。またまあ作り話とはいえ偶然が多すぎるよなあ・・・と思ったりしてしまう。テーマは相互信頼、俺には仲間がいるという思いが強かったのは60年代の若者の世代かも知れない。だからそこまで持っていったのかも??設定は何年ころの話なんだろうか?ケータイ持ってる世代はゴールデンスランバーは聞いていないはず。まあいいかいいかそんな整合性は。
伊東四朗やマンホールのじいさん役の人とか渋いですね。伊東四朗は新撰組の時もいい味出してた。昔のベンジャミン伊東とは思えない。昔のベンジャミン伊東も好きでしたけどね。「電線音頭」・・・懐かしいなあ・・送別会は全員でこれでした。 伊東四朗ってなんか最近渋くって存在感が増してきた。いい生き方してる気がします。面白くって頑固っていうのはいいと思う。



2011/07/18

Parker 45

突然パーカー45の話を・・・。
万年筆が好きだということは既に書いた気がするが、僕が中学の時の舶来の万年筆の最高峰はパーカーであったように思う。モンブランとかペリカンというドイツのブランドが上陸してくるのは後だったような気がする(というより中学生が気にする範疇のブランドでなかったのかもしれない)。とにかくパイロット、セイラー、プラチナをそろえたらパーカーが欲しくなったが高嶺の花だった。大学を出て就職したころダイエーでパーカーが安く売られるようになった。どういう仕組みか判らないけれどダイエーは安かった。ダイエーという企業は価格破壊という意味で非常なインパクトを与えた企業である。インパクトいう意味では他のスーパーの比でなかった。
で、パーカーである。パーカー45が2000円くらいだったように思う。即購入して長い間使いました。大きさの割りに軽く、書き安かった。さすがに10年位前に退任してもらってリタイアされたケースに入れてある。まだ書けそうな気がする。
この写真は僕のではないです。ネットではまだ売ってます。(その写真です)

2011/07/15

Donald Pleasence (2)

昨日書いた浜美枝をはべらせたブロフェルドである。いい役ですよねぇ(うらやましい)。浜美枝はこの時英語がもう一つで関係者が苦労したとか、いろいろと当時の事情が当時の関係者の思い出としてあがってきて興味深い話も多いけれど、結果的にあの「007は二度死ぬ」のメインのボンドガールとして世界中のネットに載っている。まあこれが今の浜美枝さんにとって好ましいのかどうかはわかりませんが。





2011/07/14

Donald Pleasence

相変わらず刑事コロンボを見ている。昨日は「別れのワイン」というのを見た。コロンボシリーズベスト3に入る(そんなランキングがあるのかも知らなかった)ものらしい。面白かったですがこれは謎解きというより人情ものですね。犯人役に「Donald Pleasaence」が出ていて懐かしい。個人的には「007」です。浜美枝と写っているポスターを思い出した(ダイアナ・リグと浜美枝に挟まれている)。この俳優さんどちらかといえば悪役は苦手みたいで人のよさがでてしまうので「007」は苦しかったように思う。それから大脱走でもどちらかといえばお人よし系の役どころでした。このコロンボでの役はなんというか「はまり役」みたいな感じがしました。まだコロンボは1作目から20作くらいを見ているところですべてをもう一度見るのはなかなか時間がかかりそうである。










2011/07/13

GERRY GOFFIN & CAROLE KING

キャロル・キングを歌手だと思っている人が多く、僕みたいに60年前半の天才ソングライターだと思っている人は少なくなってしまった。正直、シンガー・ソングライターのキャロル・キングは偉大さを評価するけれど僕は1枚も持っていない。
SMAPのロコ・モーションのコマーシャルを聞くにつけ、やはりこの曲はすごいなあと思っている。グランド・ファンクのロコ・モーションもいいよねえ。

2011/07/12

the shirelles (2)

キャロル・キングの「will you love me tomorrow」という名曲がある。本人も歌っているけどこのシレルズのが好きである。もうひとつ好きな曲がある。それは「soldier boy」という曲でなんというか摩訶不思議な感じの曲である。 ビートルズの「baby it's you」もこのグループの持ち歌でいわゆるリバプールの若者達が気に入りそうな曲が多い。


2011/07/11

vera miles

コロンボのピーター・フォークが先日亡くなったので、本当に久しぶりにレンタルでDVD(最近は郵送してくれるのがある。実に便利です)を見ている。今から考えたらもう40年くらい前からスタートしているので懐かしい俳優さんのお顔を見ることになる。今日見たのはベラ・マイルズが化粧品会社の社長役をしていました。実に懐かしいでした。一般的にはヒッチコックのサイコのジャネット・りーのお姉さん役で有名かな。

2011/07/09

shelley fabares (2)

ちょっと年配になったシェリー・フェブレーです。なかなか感じがいいままにお年を召されているようです。今も結構コアなファンがアメリカにもいるみたいでファンのサイトが結構あります。テレビドラマの準主役で大ヒットし、歌えば全米No.1、映画ではプレスリーの相手役を2回(ひょっとしたら3回だったかも・・・調べたら3回です。こういうのはまずない)、記憶ではそこそこの富豪と結婚されて順風満帆の人生を歩まれたと思っているのですが・・・・本当のとこは本人しかわかりませんけどね。

2011/07/08

shelley fabares


どういうわけかシェリー・フェブレーになってしまいました。あのころ(1960年前後)のアメリカのホームドラマは実に夢がたっぷりで、自家用車、大きな冷蔵庫、大きな家・・・見るたびにアメリカっていう国はすごいと思ったものである。

2011/07/07

Donna Reed Show

突然「うちのママは世界一」です。この番組の女性2人がぴか一。お母さん役のドナ・リードと娘役のシェリー・フェブレー、シェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」は全米No.1ヒットですぞ。

2011/07/06

roy buchanan

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンはペット・サウンズ以降スマイルの製作過程で疲れてしまって精神的に病んで復活まで長期のブランク期間が生じた。そんな話を思い出していたら、疲れてしまって死んでしまった天才ギタリストがいたよなあ・・・と記憶が回転しだし、この「ロイ・ブキャナン」を思い出した。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが死んだ時、後釜に請われたとか、ジェフ・ベックがロイ・ブキャナンに捧ぐという曲を演奏している(ブロウ・バイ・ブロウだったかな?)とか世界でもっとも無名な天才ギタリスト(意味がわからんですねえ)とかとかく上手いと評判のギタリストが気にしていた存在として有名だった。レコードも10枚以上出ている。僕はライブの2枚が気に入っている。1枚は日本公演です。ただイギリスで出されたのがお勧めです。
ロイ・ブキャナンといえばテレキャスターです。レス・ポールも弾いていたときもあるけれどなんといってもテレキャスターです。



2011/07/05

Brian Wilson presents PET SOUNDS



僕には難解な「ペットサウンズ」をブライアン・ウィルソン本人がライブで演奏している。ほぼそのままである。完全にそのままであるのかどうかは僕の知識ではわからない。僕にしたらもうピンクフロイドの狂気のライブと同じ感覚である。このライブが意外と聴きやすいのである。どう表現すればいいのかわからないが、僕はこれを何べんも聞いている。正直1966年に出たペットサウンズよりこちらの方が聞いた回数は超えたかもしれない。

一言で言えば聞きやすい。あのオリジナルに感じる気負いみたいなものがない。

2011/07/03

Pet Sounds

世紀の2大作品といえば、ビートルズのサージャント・ペッパーズ・・・とこのPet Soundsになる。もうこれが一流?ROCKマニアの常識である。このペットサウンズは1966年の夏発表でサージャントは1967年の初夏である。
一般的にはサージャントは発表間もなく世間に受け入れられてその絶大なる評価を手にするが、このペットサウンズはそうなるまでに時間を要した。
要したと書いたが、実は要しているという表現が正しいのかもしれない。というのはこの自称一流ROCKマニアの僕がまだこのレコードのよさがサージャントのように実感出来ないからである。何べん聞いたかわからない。レコード、CD,ボックスセットまあいろいろ買ってます。あの世に行くまでにわかるかなあ?という不安がよぎる。
ブライアン・ウィルソンの「SMILE」はすぐそのよさが実感できたのに不思議である。
話が変わるが村上春樹がペットサウンズという本を翻訳していてあとがきに当時の思い出が書かれてある。村上春樹のそのころ、その話題のエッセイは実にいいです。





2011/07/02

SMILE THE BEACH BOYS

ビーチボーイズを語るには欠かせない幻のアルバムがこの「スマイル」というレコード。幻というわりにはジャケットもあってレコード番号も決まっていた。このレコードにまつわる逸話は本にもなっているし、ネット上にも学術論文にもなりそうな立派なものもある。英語のものを探したらもう山のように出てくる。このアルバムに本来収められるべきだった曲が細切れになってその後のレコードに入り込むからいよいよミステリー染みて、もともとブライアン・ウィルソンがイメージしていたアルバムはどんなものか?という謎解きが延々と30年以上も繰り広げられることになる。
こういうのはビートルズにはない。

2011/07/01

THE BEACH BOYS CONCERT

このレコードが出た時、ほんまに欲しかったですね。当時の僕のお小遣いではビートルズを買い集めるだけで精一杯で他のレコードまではとても手が出なかった。前の左からアル・ジャーディン、カール・ウィルソン、ブライアン・ウィルソン、マイク・ラブ、後ろのドラムがデニス・ウィルソンというメンバーでご存知のようにウィルソン3兄弟です。マイク・ラブも従兄弟かなんかでほとんど身内のバンドです。このレコードは厚紙ジャケットで豪華な作りになってました。見開きだったのかな??僕は残念ながら紙ジャケのCDをようやく手にしたのがこのレコードが出て40年後なので感無量でした。(中身自体はもうテープにとって擦り切れるくらい聞いてましたが)ジャケットがいいですね。この格好アメリカですね。ストライプのボタンダウン・・アメリカじゃ~あ~りませんか。