2011/09/30

無重力科学館



仕事で北海道の小さな町に出かけた。そこには「無重力科学館」という施設があって「面白そう」と思ったけれどずっと昔に休館(閉館)してそのままらしい。この町は昔良質の石炭が出て石炭の町として大いに栄えたらしい。鉄道も敷かれていたが1994年に廃線となっている。鉄道が好きなので廃線と聞くとすごく残念な気がしてしまう。ただ本質は石炭を運ぶためだったので石炭が出なくなる(というか石油に主役が移った)といらなくなるのが当然といえば当然。ズバッと切っちゃうと「もう町の役目は終わった」んですね。ただ問題は簡単でなく、石炭を掘り出さなくなったあとも残ってしまった人がかなりいる。その人たちが知恵を出し合って生活の維持を考えている中の企画のひとつが科学館だったようである。住めば都という。生活基盤とは関係なしにすめば愛着がわく。何とかそこで食えるようにしたいそれもよくわかる。でも若者はほとんどいない。
列車で1時間足らずで札幌に出ると札幌がまるで虚業の町のように思ってしまう。関西から東京に出る違和感とまったく違う。
なかなか好きなところで生活するというのは大変なことだと思う昨今である。










2011/09/28

この男は誰?

シルヴィ・ヴァルタンの自分のHPにも出ている日本でのワンショット。この男の人って誰?

2011/09/27

navy blue

英語の映画の中に日本語が出てくることは最近ではそれほど珍しくなくなった。「SUSHI」「NINTENDO」「TOKYO」なんぞはしょっちゅう出てくる。歌でもディープ・パープルは「Woman from Tokyo」なんていうのも歌ってる。日本のことかなと僕が初めて気がついたのは(どうも日本の地名ではないかと思った)このダイアン・リネイという歌手の「ネイビー・ブルー」という歌。恋人の水兵さんが航海に出たので寂しいわという歌だと思う。歌の中で有名な港の名前が次々と出てくる。さてどこが出ているでしょう??
ちなみにこの歌アメリカでも大ヒットして、1964年の初頭、ビートルズの上陸が始まる頃のヒットチャートの上位にランキングされております。

2011/09/26

世界新

マラソンで世界新が出た。世界最高とか世界新とかゴチャゴチャいってますが、まあコースはどうであれ一番早い記録なんでしょうね。2時間3分38秒。なんかこのマカウさん2分台も出せそうとか言っているみたい。
段々、アフリカ勢の時代になってきました。この分野において日本勢は昔からかなり成果もあげてきましたが、ぼちぼち日本は撤退せざるを得ないみたいですね。女子もその兆候が現れだしてます。

2011/09/25

雪村いづみ(3)

時期はわかりませんがいいですね。

雪村いづみ(2)

多分1964年前後ですよね。個人的にはこの時期は、海の向こうで流行っている曲をむやみやたらに歌えばいいというものではなく、何を歌うかによってその人のカラーが出てくる時代になっていく手前だったような気がする。これらの歌はどちらかといえば穏健な反戦歌のジャンルなんで、雪村いづみがそのようなジャンルの歌手としてふさわしかったのか? とちょっと疑問に思ったのですが、調べてみると結構この手の歌を堂々と歌う歌手であったようです。意外でした。




2011/09/23

雪村いづみ

とうようさんの100選に入っていた「雪村いづみ」は多分今も存命だと思うけど、昔々そのまた昔、美空ひばりと江利チエミとこの雪村いづみがよくある3人娘だった。個人的な感想でいえば美空ひばりが演歌、江利チエミが演歌とアメリカのポップスの中間、雪村いづみがアメリカのポップス・ジャズ的なイメージだった。調べたら美空ひばりも江利チエミもアメリカというか西洋の歌を歌ってはいるものの雪村いづみの世界には遠く及ばなかった。小学生の時代なので記憶はあいまいであるが、この雪村いづみという歌手はぴか一だった。

2011/09/22

中村とうよう(2)

先日亡くなった「中村とうよう」さんの追悼版が出ている。ここにとうようさんが選んだ(厳密にはそうでないけれど)100選が乗っている。100枚もあればある程度のものは僕も持っているはずと見だしたけど、なんと持っていたのは雪村いずみの「スーパージェネレーション」1枚だけであった。よく考えたらそうかもなあって思う。でもニューミュージックマガジンで大絶賛したいたものも入っていないしあれは商業ベースだったのかと突っ込みも入れたいとこもあるが、正直ベースではこれなんだろう。
さりとてあとの99枚をさすがに今から買って聞く気はしない。頭で聞くのは愚の骨頂だからである。
それとクロスレビューのマイケルジャクソンのスリラーでの評価0点とコメントが実に楽しい。
このめちゃくちゃさが魅力だったのかもなあ。

2011/09/21

galina chistyakova(2)

やはり東欧・東ドイツ・ソ連の1980年代のアスリートの写真は少なくて限りがある。本国にいけば世界記録保持者だからかなりの資料(データと写真)が残っていると思うが、本国のネットへの公開データがまだまだ少ないということだろう。今なお走り幅跳びの世界記録保持者である。つけているゼッケンに「Bratislava」と書かれてある。スロバキアの方の首都、チェコの方はプラハ。チェコスロバキアって覚えていたのに別れてしまった。なんかソ連が崩壊したら東欧諸国はどんどん分裂というか元の集まりに戻ったっていう感じがする。こういう現象を見ていると国家とはいったい何かって思う時がある。



2011/09/20

手塚治虫

昭和34年(1959)の春に創刊された週刊少年漫画雑誌(マガジンとサンデー)、マガジンが講談社でサンデーが小学館だった。マガジンの表紙が横綱朝汐でサンデーは長島茂雄だった。少年サンデーには手塚治虫が「スリル博士」という漫画を掲載していて、時限爆弾が日付変更線の関係でどうのこうのという内容だったように記憶している。日付変更線という言葉をこの漫画で覚えたからずっと残っている。当時、両方の漫画を買ってもらうというのはなかなか難しく、僕は少年マガジン路線になってしまった。まあサンデーを購読していた友達と毎週交換していたけど。


手塚治虫には様々な面で影響を受けていることが多い。世界が一つになって、国境がなくなっていくだろう。飛行機で世界中を飛び回るようになるだろう。日本にも外国人がいっぱい住むようになる・・・等々漫画の世界が本当になっているように思う。

ただ、そのような世界になってきているけれど、いまいち日本人は元気がない。

2011/09/18

ラピュタ

「ナウシカ」「ラピュタ」「紅の豚」の3つが結構好きで意外と何回も見ている(しかも1人で)。どうも最近の作品は僕の好みに合わない。「魔女の宅急便」「トトロ」もいい作品だと思うがやや一般人受けするところがひねくれた僕の趣味にちょっとねという感じである。ジブリの森に「ラピュタ」のロボットが置かれてあるらしい。出張した時にと思っているが予約していないと入れないということで、そううまくかつ早期に出張する日が決まらないからなあ。難問である。でも行ってみたいなあ。

2011/09/17

片町線

今は学園都市線というのかな。昔は片町線といっていた。京橋から次の駅が片町という駅で、アップしたのがその駅である。
それで、このあたりによく行くのだが、この駅にあった場所が特定出来ないでいる。この辺りだろうというところまでは近づいてますが確証が持てない。記念碑とかがあればいいのですが。京橋から線路が延びていて地下にもぐっている。多分地下にもぐりはじめた所の上あたりだろうと思うのですが。でも上の写真風情があるでしょう。

2011/09/16

千林

突然、千林である。といっても何のことか分かりませんよね。かの「ダイエー」の発祥の地。ここからスタート。あれだけでかい会社が今は・・・もうかっての栄華を知っている人が少なくなっている。1970年くらいはすごかったですけど。ジャスコなんか相手でなかったと思っていたんですがね。ただ人物としてはジャスコの岡田さんよりダイエーの中内さんの方に興味があります。 特に戦争に行く前と戦争が終わって生きながらえて日本に帰ってきてからの中内さんの変化が実にドラマティックです。個人的には一般庶民が充分に食料を手に入れることが出来る社会を実現した時点で中内ダイエーのやりたいことが終わったのだと思う。ただ僕の回りにも中内さんにお仕えした人がいて、彼らの話をまとめると一緒に仕事をするには大変な人だったらしい。1日一緒に仕事をしたら精気を全て吸い取られてしまう気がしたといっている。まさに化け物である。



2011/09/15

ペトラ遺跡

インディ・ジョーンズの3作目だったか、父親役でショーン・コネリーが出てくる映画にこのペトラ遺跡が使われている。この写真のように普通は観光客がいっぱいいるのでしょうが、映画は当然ながら誰もいなくて実に神秘的である。インディ・ジョーンズは今見ても面白い。全然この地方の宗教(地域からしてユダヤ教とかキリスト教なんでしょうけども)の知識を持ち合わせていないので、どういうものか分からないけれど、この岩壁に作られた寺院の奥行きはどれくらいのものなのかなと思う。それとこの光の加減がいい味出していますよね。忽然と姿を現す一瞬のトキメキがなんともいえません。行ってみたいですがこの地域って怖そうですね。でも観光客の姿がいっぱいいますねえ。治安はいいのでしょうか?



2011/09/14

bridget fonda(2)

この笑顔がブリジット・フォンダのトレードマークだと個人的に思っている。この笑顔の写真が多い。 昔何時だったか忘れたけれどプロヒューモ事件の映画を見たことがある。その映画にマンディ嬢役でなんとブリジッド・フォンダが出ていて驚いたことがあった。なんという役をするのだ・・・??何のことか分からないお方は「プロヒューモ事件」、「キーラー嬢」で検索してください。全然話は飛ぶが、プローヒューモの邸宅がビートルズのヘルプの映画に出てくる。ビートルズがトランプをしているシーンの大邸宅。


2011/09/13

bridget fonda

ニキータでブリジット・フォンダを思い出した。結構ファンである。ただ大ヒットがなく、サラブレッドの一家の中では一番目立たない。この間偶然借りてきて見たDVD(シンプル・プラン)なんか実に地味な役で、アサシンだけかな?この人が主役っていう感じの作品は。ルームメイトも主役といえば主役ですがもう一人の方が怖かったしなあ。最近はふと気がついたらここに出ているって感じの脇役が多くなっている。
笑顔がいつも同じ感じがして、この笑顔が好きであります。子供の時にイージ-ライダーに出ているらしいがいったいどこに出ていたのだろう。
その後調べてみたら、テレビにはかなりの番組の主役を務めていて、残念ながらこれらは日本では放送されない。まあお茶の間のスター路線になったみたい。さらに今の旦那さんと一緒になってからはまったくテレビも映画も出演していないようである。



2011/09/12

ニキータ

昔々「ニキータ」という映画のビデオを借りてみたことがある。主役が誰だったかも忘れた。確か監督がリュック・ベッソンだったはず。名作とも思わなかったけれどそこそこ面白かった。しばらくして、リメイク版が出てきた。ブリジット・フォンダが主演で「アサシン」という題名で今でも見ることが出来るはず。そしたら今度はテレビでこのマギー・Qが主役でシリーズ化された。ちょっと興味がある。
「アサシン」といえば暗殺者という意味でゾロアスター教云々とかで、なんかゾクゾクしてしまう。これも昔々エリアカザンという映画監督が同名(アサシン)の本を出した。読んだ時、これは不朽の名作だと思っていろんな人に薦めたけれど、それほどの評価は得られず。今では手に入らない。もう一回読んでみようかなと思っている。時々そういう本があるなあ。自分だけ大感激というもの。まあそれはそれでいいと思う。






2011/09/11

ヤルミラ・クラトフビロバ(2)

今なお世界記録として残っている方々が集まった時のワンショットらしい。こういうのは名誉ですね。
やり投げが2人とクラトフビロバ。残りはジェリモさん。このジェリモさんの記録1分54秒01・・・53秒台が見えてきています。あと0.33秒、彼女がクラトフビロバの記録を破るかもしれないという最有力候補。考えてみるとこのショット世界記録保持者の集まりではないですね。2009年2月26日プラハって書かれてます。

2011/09/10

ヤルミラ・クラトフビロバ



あとはこの人である。チェコの800m世界記録保持者、1983年樹立。以前にもアップしている。以前は今回アップした方々の画像を見つけるのにかなり苦労したが、検索エンジンのパワーアップとともにこちらも大分要領が分かってきた。要はこの人たちは東欧とソ連(つまり共産諸国)の英雄であって、そちらのHPにかなりの記事がある。ポーランド語やブルガリア語、チェコ語??ちょっと想像もつかない言葉のオンパレードであるがグーグルで翻訳しますかって聞いてくるから大体のことは分かる。えらい時代になった。またユーチューブでこの人たちの現地のテレビ番組も見ることが出来る。このクラトフビロバさんも普通のおばさんになって昔のことを回想している(ように見える)。言葉は全く分からないので・・・。ドーピング問題はこのあたりは難しいですね。これから出てくるアスリートがこれら疑惑の記録を破って葬ってやるのが一番いい方法のように思う。
あと、円盤投げと砲丸投げがありますが今回はかけっこということで。すごいお2人がおられます。




2011/09/09

王軍霞



1980年代でないけれど、1993年に出された世界記録が3つ未だに破られていない。 王軍霞の3000mと10000m、曲雲霞の1500m。いわゆる馬軍団なんですが、魔法のジュースとか云々でいろいろと噂されていましたが、さっといなくなって、馬さん復活かという噂もあったけれど立ち消えに。怪しいといえば怪しい。ただこれらの記録はいずれケニア勢に更新されていきそうな気がしている。




ヨルダンカ・ドンコワ(2)

ソウル五輪の100mハードルのフィニッシュシーン。ブルガリアに金メダルである。1980年のモスクワ大会は西側がボイコット(アフガニスタン侵攻に抗議)して、1984年のロスアンゼルス大会は共産国家群(というよりソ連)はボイコットしたいけれどいい理由が見つからない状況で、なんかグレナダ侵攻(どんなモンやったかも忘れている)とかいう行為に抗議してボイコット、当時はソ連より東ドイツ(特に女性)のパワーがものすごく、この人たちが来なければ1984年のロス大会はアメリカの一人勝ちだったような気がする。そんで1988年にようやくみんなが集まっての大会になった。というわけでソウルで1番は世界1位ということになると思う。
ある意味で1980年と1984年の頃にピークだった選手は可愛そうだった。あの瀬古さんは1980年なら多分金メダルだよなあ。1984年ではもう遅かったねえ。アメリカとソ連、資本主義と共産主義・・・こういうのはスポーツ選手(最近ではアスリートと言うんですなあ)には迷惑な存在です。

2011/09/08

ヨルダンカ・ドンコワ

100mハードルの世界記録12秒21が今も残っている。これも1988年8月樹立されている。彼女はソウルオリンピックで金メダル(この時は12秒38)をとって、次のバルセロナでも銅を獲得しているから、まあ評判どおり(実力どおり)の成績を収めたことになる。この人の名前をよく覚えているのはそれ以前(調べたら1986年)に何回も世界新を出して(それも2ヶ月くらいに数回)、その記事が毎回出て、記事が間違ってるのではと思った記憶が残っているからである。まあ走る都度世界新ということね。今では考えられない(いやボルトなら起こるか?)・・・ともかくすごいことをやってのけた選手でありますが、あんまり日本では知られていない。

2011/09/07

galina chistyakova

20年以上も破られていない世界記録を見ていたら、このガリナ・チスチャコワの走り幅跳びの7.52mも破られていなかった。この長く破られていない記録を眺めていると、1988年という年が多いのに気づく。1988年ソウルオリンピックのあった年で、ベンジョンソンもフローレンス・ジョイナーもソウルの看板スターであった。ソウルオリンピックで出ていなくてもそれに標準をあわせてピークに持っていったのではなかろうか。ガリナ・チスチャコワは世界記録を引っさげてソウル入りするが残念ながら金メダルは取れなかった。すごくきれいな女性でムキムキではない。
このガリナ・チスチャコワは、1996年のアトランタオリンピックにチェコの国籍で走り幅跳びと三段跳びに出場しているが決勝まで残っていない。足の手術とかで往年の力は戻らなかったみたいである。
この写真は何時見てもきれい。








2011/09/06

マリタ・コッホ

世界陸上が終わった。アリソン・フェリックスは残念がら個人種目で金を取ることが出来なかった。得意の400mはボツワナのA・モンショーに0.03秒の差で敗れた。モンショーの記録は49秒56だった。世界記録は1980年代に東ドイツのマリタ・コッホという人が持っている47秒60で多分これからも破られないだろうといわれている。こういう記録がいくつかあって、大体女子に多く、しかも東ドイツとロシアに集中している。多分ドーピングだろうと言われているが今となっては知る由もない。この人たちは言われるとおりに練習をし、与えられるものを食べそして飲み、死に物狂いで頑張っただけだと思うので、記録を剥奪したら可愛そうな気もする。
あっそうそう、アメリカの選手にもグレーな記録が残っている。かの有名な「ジョイナー」である。真相は全て闇の中に消えてしまったのだろうか。

2011/09/05

追憶の夜

ほんで次はこれです。山上たつひこ氏は漫画家から小説家になっちゃったのですね。この本までに何冊か小説を出しているのですが、やはり小説家だと胸を張って言える作品はこれでしょう。作風はなんとハード・ボイルドです。ハード・ボイルドについてはあんまり詳しくはないけれど昔読んだことのある「動く標的」を書いた作家っぽく感じるところもあった。読後感もなかなかよかったし結構感動した。個人的にはもっと評判になってもいいと思ったけれど世間は意外と静かな反応だった。この本と「光る風」と半田溶助と逆向春助と「がきデカ」の異様ともいえる作品群がなんともいえない魅力として僕には訴えてくる。こんな作家は珍しい。


2011/09/04

こまわりくん




なんといっても「山上たつひこ」という名前が世の中に広まったのは、この「がきデカ」という漫画が1974年に少年チャンピオンに連載されだしてからである。あっという間に評判になり発行部数が200万部を超えた記事を読んだ記憶がある。訳の分からんポーズと訳の分からんキャッチフレーズ(死刑!、ンがっ!、うんぺっと!、アフリカ象が好き!、八丈島のキョン!、最後のゼットゥ~!等々)、さらに突然変身(白熊黒熊・・・)さらにさらに「栃の嵐」を筆頭とした動物たち・・・さらにさらにさらに西城君・ジュンちゃん・モモちゃんにややこしいお父さん・お母さん。正直どんな頭をしたらこんなめちゃくちゃな世界が書けるのかと当時は尊敬?したものである。漫画の歴史には沢山のエポックメイキングな作品があるが、これは間違いなくその中の一つである。アップしたのはコミックスの第1巻、こまわり君と栃の嵐です。「君は犬のくせに偉い!」「ワン!」今でも覚えている台詞である。(なんでこんなのを覚えているんだろう・・・)

2011/09/03

逆向春助

半田溶助が出てきたらこいつも出してあげないと可愛そうだということで逆向春助の登場です。アホさ加減では双璧で、半田溶助は一応社長、逆向春助はいまでいうフリーター(にもなれない)ですがそのような比較が出来る対象ではないですね。「なにを考えてるんや」と唖然としながら読み続ける俺たちというか1回読み出すと癖になる実にアホな世界でした。「光る風」と同じ作者ということが実に こう なんともいえない不思議なイメージを僕たちに植え付けたように思う。でもこれを読んでいた頃って楽しかったですね。



2011/09/02

半田溶助

山上たつひこの「光る風」はいいけどこっちに来ると人格を疑われそうなんでいやですが、来てしまったからには行きましょう・・というわけで「半田溶助」です。半田溶助でgoogleしてもらったらもっと過激なのが出てきますのでまあ興味のあるお方はそっちを見てくだされ。全体を見たら「光る風」だけが異色作で、この半田溶助とか逆向春助の方の割合の方が断然多い。1日中こんな絵を描いていたらおかしくなりそうですが、まあここまで突っ走るとかえってスカッとするかな??


2011/09/01

光る風



「光る風」の豪華本が出ていたので買い求める。「 がきデカ」で有名な山上たつひこが少年マガジンに書いていた社会的シリアス漫画である。今までにコミックスと文庫本も持っているはず。1970年の4月から11月までの連載である。当時の少年マガジンはオリジナルを何冊か今でも残っていて時々懐かしく眺めてしまう。当時は「明日のジョー」を一生懸命追いかけていたのだと思うけど、同時になかなかいい作品が多かった。この「光る風」や石森章太郎の「アニマルファーム(動物農場)」(原作はオーウェルです)など今でも思い出す作品があった。1970年は「70年安保」があってまあ最後の社会運動の盛り上がりがあるかなと思われた年だったけど、もう世の中は大阪の千里丘陵の「万国博」真っ盛りで60年安保の比ではなく、世の中は次の時代に移行しつつあった。個人的には左翼系の政治団体の存在価値はここ(1970)までだったように思う。その後はあの方々は生ける屍でもうその後40年何をしているか皆目わからない人種になってしまった。
1970年はまだ戦後25年で、日本がようやく世界の先進国の生活水準に追いついた時代だったように思う。その後すぐ(といっても3年くらい後)円が変動相場になるから。
本当は山上たつひこの頭の中の話をしたかったけど上手く書けなかったので後日に。この山上たつひこという人の心の中は実に興味深い。才能があるんでしょうね。今は金沢に住んでいるらしい。喜劇新思想体系という名前から想像できないハチャメチャな本もあります。時代が時代なら発売禁止です。