2012/04/30

cathy ferguson

記憶がよみがえってきてどんどん東京オリンピックの懐かしい顔ぶれを思い出してきた。この写真は当時よく掲載された写真の一つでビート板にみんながサインしているもの。多分思い出にそれぞれが持ち帰ったのかなと勝手に思っている。右からシャロン・スタウダー、その次が100の背泳で金だったキャシー・ファーガソン、その次がキャシー(キャサリーン)・エリスそれで一番左(サインしている人)が思い出せない。昔だったら覚えていたはずですが。ビート板には当時の女王的な感じだったドナ・デ・ヴァロナ(ビート板の右の上)のサインがあります。

kathy ellis

東京オリンピックの水泳はもうアメリカのためにあったようなもので、見に行った人はアメリカの国歌を覚えてしまったというくらい金メダルをとった。このキャサリーン・エリスは個人では100の自由形もバタフライも銅だった。確かリレーで金を2つもらった。このエリスは1963年にバタフライで世界記録を出して有望視されていたが、前回まで書いたスタウダーが急成長してアメリカの女王の座を奪われた形で日本にやってきた。それでもアメリカの地力は圧倒的でメダルはちゃんととって帰った。スタウダーよりちょっとお姉さんだったと記憶してます。

2012/04/29

john kinsella

1500mで17分の壁を破ったのはロイ・サーリで、15分の壁はサルニコフによって破られたと書いた。では16分の壁は誰によって破られたか?調べるとこのキンセラというアメリカのスイマーでした。残念ながらオリンピックシーズンに引っかからないと意外と知られないまま(特に本国以外では)消えていったみたい。(僕が知らないだけだったかもですが)

2012/04/28

sharon stouder (4)

やはりこのような写真がないとスゴイという感じにならない。金3銀1です。100mのバタフライ、400mメドレーリレー、400m(100×4)リレーが金で、あと100m自由形が銀だった。
思い出になるが、東京オリンピックが始まる1年位前からテレビ局各社が世界中のメダル候補を紹介していく番組をいっぱい放送していた。オーストラリアのドーン・フレーザーなんかはもうメルボルン、ローマに続いての3連覇がかかるわけですから常にメインです。その記録を阻止するのは誰だろうという候補には全くあがっていなかった。僕には彗星のように現れた。当時は女子の100m自由形は1分の壁といわれていて、1962年にフレーザーによって壁は破られていたが、なかなか実況でこの目で見るということは叶わなかった。東京オリンピックではその壁が2人によって破られた。それも2人同時に。フレーザーとこのスタウダーによってである。

2012/04/27

sharon stouder (3)

シャロン・スタウダーは東京オリンピックで100Mの自由型で銀だったが、100Mのバタフライでは金を獲得した。これはそれを報じるアメリカのニュースみたいである。小さな字を読んでいくと日本からのラジオによるとというコメントがある。当時はアメリカでも衛星中継がなかったのですね。

2012/04/26

sharon stouder (2)

ネット社会って本当に便利だと思うのは、昔の感じで言えば100万円以上もする百科事典を持っていることに等しい。それにアップデートも頻繁でさらに項目も増えていく。このスタウダーの情報なんて、2年まえならほとんどなかった。東京で金メダルなのにですよ。それが段々と増えてきている。どうもメキシコオリンピックの予選で100分の2秒の差で落ちたらしい。1968年までは泳いでいたということですね。

2012/04/25

sharon stouder

マレー・ローズの訃報から水泳ばっかりになってきた。当分これでいこう。これは1964年の東京の100M自由形です。左から銀のシャロン・スタウダー、金のドーン・フレーザー、銅のキャサリン・エリスです。ドーン・フレーザーは3連覇。僕にとってはフレーザーはもうおばさんで(失礼)どうしてもアメリカの2人に目が行ってしまった。スタウダーは15歳だった。スタウダーもショランダーに負けず劣らず、この時金メダルを3つ、銀を1つもらっている。そういえばもう既に東京の時点で首に数個の金メダルをかけるスーパースターがいたことになる。スタウダーはその後名門スタンフォード大学を出たようで、スタンフォードのHPにも出てきます。

2012/04/24

debbie meyer (2)

ショランダーが金メダル4つ首にかけている写真がライフの表紙を飾った。女の子でといえば、このデビー・メイヤーが金メダル3つをメキシコオリンピックで取ったのが始まりだったような気がする。このデビー・メイヤーはこの時16歳だったかな。初めは短距離だったけれど距離を伸ばして800とか1500にも君臨する天才少女だった。メキシコでは1500がなかったから、200、400、800の3つで金をとった。
僕は実はパティ・カレットというスイマーを気にしてオリンピックに出てくるのを楽しみにしていた。1964年に13歳で1500で世界新を出したという記事に惹かれて東京には選ばれなかったのでメキシコに出てくるのを待っていた。パティは800に出てきたけれど5位に終わり、このベビー・マイヤーに取って代わられたわけ。
デビーはパティ・カレットの1500の記録を塗り替え、その次にデビーの記録を破ったのはあの天才少女シェーン・グールドでありました。
デビー・マイヤーはいまはスイミング・スクールを経営しています。HPもすぐヒットします。

2012/04/21

vladimir salnikov

1500の自由形の17分の壁を破ったのはロイ・サーリだった。では16分の壁は誰が破ったのか?多分キンセラだったともうが未確認です。ただ次の15分の壁を破ったのはこのソ連(当時)のサルニコフだった。信じられなかった、いや記録はどんどん15分に近づいていたから誰かが破るとは思っていたけれど、100メートルを1分切ってずっと泳ぐという行為が信じられなかった。サルニコフという選手は息の長い選手でモスクワ大会で世界新記録で金メダルをとって(この時に15分の壁を初めて破っている)、しばらく低迷期間があったが、1988年のソウルで蘇えり金メダルをとった。このときは他の選手に比べてものすごい声援だった。テレビのこちら側も感動した。

mike wenden

1968年のメキシコのオリンピックにも前述の怪童ショランダーは出てきて得意の200自由形がこの大会から新設されたこともあって金メダルは確実と思われていた。ところが突然(僕にとっては)このオーストラリアのマイク・ウェンデンという若者が出てきてショランダーを破ってしまいました。ビックリしました。ショランダーの泳ぎはきれいな泳ぎで絵になる泳ぎでしたがこのウェンデンの泳ぎはもう力任せでど迫力でした。表彰台の左でうらめしそうに上を見ているのがショランダーで真ん中はもちろん優勝したウェンデン。

2012/04/20

don schollander

東京オリンピックの水泳でなんと言っても目立ったのはこのドン・ショランダーだった。100、400、100×4、200×4の4種目で金メダルをとった。そのあとスピッツからビオンディー、フェルプスまで首にいっぱい金メダルをぶら下げるスーパーマンが出てくるが、当時はまだ種目が少なかったので、そのようなスーパーアスリートのはしりともいえる。実に格好良く見えた。特に得意の200がまだ種目でなかった。メキシコにも参加しているがその時に新設されていた200自由形では残念ながら銀だった。やはり4年経つと次の強豪が育っていた。

2012/04/19

roy saari

水泳の1500メートルを見るのが好きだった。まあ繰り返しターンして泳ぐを見て何が面白い?と言われることが多いが、僕には面白かった。前述のマレー・ローズ、ジョン・コンラッズの2人は17分台の間で世界記録を競った。残念ながら山中は1500では世界記録を出していない。まず18分をマレー・ローズが破り17分台に突入して、コンラッズとローズが記録を塗り替えた。17分1秒ちょっとの記録でぎりぎりまで17分の壁まで近づいたのがこれまたローズで17分台の端から端の記録を持っていることになる。17分1秒台の世界記録を打ち立てたものの東京オリンピックに出れなかったローズだったが、そのわずか1ヵ月後に「ロイ・サーリ」によって遂に16分台に突入する。9月に世界記録を出して鳴り物入りで東京オリンピックに出てきて、ものすごく期待して見ていたが、残念なことに体調不良で決勝には残ったもののメダルは取れなかった。サーリは17分5秒台という世界記録も出していて、それは1963年に日本で出している。このときは実況でテレビを見ていて異常な興奮を感じたのを覚えている。

2012/04/17

John Konrads

ローズ、山中とくればコンラッズに決まってます。といってうなずくのは何人だろうか?多分上の写真はメルボルンかローマの1500メートルです。1位がマレーローズ、2位が山中毅、3位コンラッズ、ローズとコンラッズはオーストラリアでコンラッズには妹もオリンピックに出ていたはず。オーストラリアの黄金期です。1960年のローマにはあのドーン・フレーザーもいたから。
【続】書き込みをいただきました。この写真はローマの400だそうです。見てすぐわかるっていうのは素晴らしいです。有難うございました。それで調べてみたら、1956年のメルボルンではローズと山中が400と1500で金と銀でコンラッズはこの時まだメダルには顔を出していないのでした。
調べてみたらって簡単に言ってますが、ネットがなかったらこんなこと普通の趣味人には至難の業です。
コンラッズはローマの1500で金を取ってます。こう思うと山中にも一つあげたかったですね。

2012/04/16

Murray Rose

今日は何を書こうかと思っていたら訃報が流れてきた。マレー・ローズが亡くなった。まだ若いのに73歳である。マレー・ローズといってももう知っている人は少ない。今で言えば誰だろう。マーク・スピッツでも古いし、イアン・ソープも古いか。まあ水泳の自由形の金メダリストでどちらかといえば中・長距離、400、800、1500が強かった。僕らが小さい頃プールで水泳のオリンピックごっこをやったら、山中、ローズ、コンラッズの3人になりたがった。時代は1956年のメルボルン大会、1960年のローマ大会であります。東京オリンピックにも来れそうな記録をぎりぎりに出したが選ばれなかった(確か選考は済んでいた)。1500メートルで17分1秒台だったと思う、世界記録だった。アップした写真は宿敵であり生涯の友であった日本の山中毅です。

2012/04/15

the warriors (3)

この夜景ですね。なんか回ってますね。

the warriors (2)

コニーアイランドの有名な観覧車「wonder wheel」です。物語はこの夜景から始まる。

the warriors

昔見た映画を久しぶりに借りて来て見た(というか最近はネットで頼んだら送ってくる。見たら返す。便利である)。もう30年ほど前に見たウォルター・ヒルの「ウォリアーズ」という映画。そのころウォルターヒルの映画は男っぽいものが多く、サムペキンパーの後継者といわれていた。ストーリーはきわめて簡単(まあこの手の映画を好きな人は知っているでしょうから省略)である場所から自分たちの住処まで上記の9人が戻ろうという逃避行である。結果的に6人が生還。残りの3人の生死は厳密には不明。地下鉄と徒歩で帰る。その時にニューヨークの地下鉄とホームがいっぱい写る。これが好きである。ニューヨークの地下鉄って汚いし怖いといわれていますが、ほんまに汚くって怖そう。戻るところはコニーアイランドで観覧車で有名(この映画もこの観覧車で始まる)、行って見たい気がいつもしてますが気持ちだけね。

2012/04/14

Mason Dixon Line (4)

Mason Dixon Lineで検索したらいっぱい写真が出てくる。この写真はメリーランド州です。もうちょっと調べる必要がありそうです。もともとはマーク・ノップラーの「Sailing to Philadelphia」を聞いてジェームズ・テイラーの作品で本人も客演していて、さらにピンチョンの作品も絡んでという実に楽しい出会いから始まった知的ツアーですが奥が深そうです。
この間も書いたのですがこのCD400万枚の売り上げだそうです。日本に即して言えば伊能忠敬の測量の歌です。そんな題材の歌が出るのも面白いですが、まあ実に渋い名曲に仕上がってますが、それが400万枚のセールスです。あえて僕は「文化力」と名づけてますが、普通の一般人の文化力の差というものを痛感することが多いです。
日本ではアイドルものしか100万枚売れませんもんね。

亀山工場

先日、亀山まで「うなぎ」を食べに行った(厳密には隣の関に行ったんだけど)。うなぎはどうでもいいけど。亀山のインターを降りて道に迷って、工業団地の中をうろうろしてたら、どうもシャープの亀山工場のあたりにいたみたい。亀山ブランドねえ。サントリーの山崎じゃあないんだから。僕はあこがれずにREGZAにしたんだけど。
「兵どもが夢の跡」では寂しい感じがしますが、なかなか難しい。
この工場があった時に亀山が潤ったのかどうかも疑わしいような話も出ていて、最近は製造業の将来を憂えることばかり起きるなあと・・・・。

2012/04/13

どら焼き鼓々

昨日に続いて「どら焼き」です。もともと「どら焼き鼓々」というお店の名前だったみたいです。いっぱい種類があって楽しいです。今のところ養老パーキングエリアにありそうなんで一度飛ばしてみようかな。

2012/04/12

ko-ko sweets

新名神の土山パーキングエリアにご覧の「どら焼き」屋さんがあって(正確にはあった)寄る都度買って帰るのを楽しみにしていた。といっても数えるほどしか寄ってませんが。昨年12月に訪れた時にはまだお店があったのですが、今日行ったらありませんでした。昨年の12月の時にちょっと活気がないなと思ったのです。もう既にたたむことが決まっていたのかもしれませんね。いろんな味のどら焼きがあって、特にティラミス味のが美味しかった。書き込みをされている人もいらっしゃるので名物に育ってくれたら面白いなと思っていたのですが・・・。正直、このどら焼きがなくなった土山パーキングにはもうあんまり面白そうなものはなかったです。

2012/04/11

Mason-Dixon Line (3)

こんな看板が結構あるらしい。南北戦争の北(自由)と南(奴隷)を分けるラインとしても有名。

2012/04/10

Mason-Dixion Line (2)

多分、高校の西洋史でもかなり詳しく教えてくれないとこのメイソン・ディクソン・ラインについては知らない人も多いと思う。僕の出た高校の先生はかなりマニアックな先生だったので、ルイス&クラークとメイソン&ディクソンの話は記憶に残っている。

Mason-Dixon Line

ようやく名盤の誉れ高いマーク・ノプラーの「Sailing to Philadelphia」を買いました(全然高くないのですが)。タイトルチューンの「Sailing to Philadelphia」になんとジェームズ・テイラーが出てきて歌っている。スィート・ベイビー・ジェイムズを思い出す。マーク・ノプラーと掛け合いみたいに順番に歌っていく。ちょっと気になってきたので調べだす。ここがネット社会の実に素晴らしいところ。なんとメイスン-ディクスン・ラインのメイスンとディクスンの歌である。アメリカの歴史に興味がある人にはたまらない薀蓄の世界である。さらになかなか写真をとらせない幻の小説家ピンチョンまで出てくる。あっという間の数時間でした。音楽は素晴らしい。こういうのが400万枚も売れるというのを聞くと、日本人の文化力(こういう言葉があるのかどうか知らないけど)の差をいつも感じる。

2012/04/09

カナダ・エスキモー(2)

この本を読んだのは何時だったかな、多分1964年の1月か1965年の1月に大阪の旭屋書店で買った。新聞で連載されていたのを読んでいたけど、やはり1冊にまとめられたものが出たので買ってもらった。その時の印象はただ現地に行って感想を書くだけではいけない。ものすごい知識を持って行かないと駄目だという気がした。このときの本多勝一さんという人はなんかすごい物知りのように思えた。こちらは中学生の頃である。

2012/04/08

カナダ・エスキモー

昔々朝日新聞でカナダエスキモーという現地に赴いてルポを送ってくる連載物があった。結構気に入って新聞を切り抜いていたように思う。その後パプア・ニューギニアとか砂漠のところにも行っていたような。単行本にもなったので買い求めた。本棚のどこかにあると思う。何回か思い出してぺらぺらとめくったことがあるが、出てくる現地の登場人物さんたちが今どうしているのかなと思うことが多かった。いつだったか、朝日新聞で再訪問している特集を読んだ。寿命が日本に比べてはるかに短いのでほとんどの方は亡くなっていたように思う。あれは本になっていないのかな。

2012/04/06

1964年

僕はこの頃のビートルズの白黒の写真がお気に入りです。ハードディズナイトの映画を撮っているときのひとコマです。まだ世紀の化け物になるとは自分たちも思っていない頃です。楽しそうですね。

2012/04/05

看護婦物語

昔NHKで看護婦物語という番組を放送していた。1964年前後だったと思いますが、左が婦長さんで右が新人の看護婦の役だったような???かなり記憶が怪しいです。あの頃、NHKはこういうなかなか味のある番組を放送していた記憶がありまして、意外と僕の精神的な成長の源になっているような気がする。

2012/04/04

DS251

初めて買ったコンポは大学3年くらいの時に全部で10万円の予算で買った。スピーカーは三菱のDS251という売れに売れたスピーカーである。出始めに買ったからそんなに売れるとは思わなかった。ただ本当に長い間使った。アンプはデンオンでプレーヤーもデンオンになった。この3つで10万だった。チューナーはあとでYAMAHAを加え、テープデッキはTEACを加えた。スタートはこんなもんである。あと勤めてお金が入りだすと、アンプはパイオニア、YAMAHA、プレーヤーは定番テクニクスSL1200とか他に立てても使えるプレーヤーも買った。テープデッキはSONYも使った。スピーカーはその後やはりダイヤトーンのDS36BRが社員価格で買えるという三菱の友達がいて買ってもらった。今も使っている。もうすぐ40年になる。この時251は弟に払い下げられた。
決してオーディオマニアでないのですが、ちょっと音楽が好きな人間ならこれくらい楽しんだということ。自分にしかないこだわりを表現できるのが魅力だったのだと思う。

2012/04/03

nakamichi

ど忘れしていたテープデッキの会社は「ナカミチ」でした。なにせ高かった。国産なのに高かった。コンポの世界に入った頃、知らない会社がいっぱいあって、しかも世界で有名であるということに驚くと同時にこれらの会社は僕らにすごく自信を持たせてくれた。松下電器や東芝や日立だけでなく日本にはこんなにすごい会社があるのだと、しかも数社だけでなくかなりの数のキラリと光る企業があった。元気を与えてくれた世界でした。それでこのナカミチに関しては一度も購入出来ずでした。1か月分の給料で買えるような代物でなかった。この特に三角のデッキ目立ってました。

山水のアンプ

山水電気が倒産したらしい。正確には民事再生の申請をするということらしい。サンスイ、トリオ、パイオニアの御三家といわれた時代があった。他にティアック、アカイそれからフェザータッチの(ベンツのカーオーディオに採用されたなんといったかすっかり忘れてしまっている)高くて買えなかったテープデッキの会社・・・いい会社がありました。今ではパイオニアがかろうじて名をとどめているだけかな?
しかし、あれほどブームになったコンポネントステレオはなぜ今では見向きもされなくなったのだろう??僕は今でも使っているんですが。スピーカーはダイヤトーン、アンプはオンキョー、テープデッキはソニー、プレーヤーはテクニクスですがもうどうでもいい話ですね。やっぱりウォークマンの出現がスピーカーで音を聞くという行為を排除したというのは大胆すぎる仮説でしょうか?

2012/04/02

月の砂漠


こういう写真を見ると「月の砂漠を~」という歌を思い出す。この歌を作った人(多分作詞の方)のお孫さんのHPに出くわしたことがある。「うちのおじいちゃんが作ったんだって・・・」とかいう文章でこっちは「え~」という感じでした。このお孫さんのHPは変な飛んでいる味があって時々見に行くのが楽しみだったのですが、PCが壊れてアドレスがわからなくなってしまった。残念。

2012/04/01

高校野球

今日の高校野球で珍しいことがあった。横浜高校が同点に追いついたと思ったら、同点目のホームインが認められずに取り消された。珍しく渡辺監督が抗議して主審とやりあっていたが、こういうシーンはまずありえないので主審も動揺していると思った。案の定渡辺監督には注意があったようであるが、僕は抗議は監督が直にしてはいけない云々はおかしいと思わないが、おかしいと思ったのは、主審及び塁審が確認できていないことを敵側の指摘によって味方側の不利益になるような判定に変える行為がおかしいと思った。確かめようがないことを利益が相反する方の言うことを聞くということは僕には理解できないことだった。審判に抗議してはいけない。これはいい。ただ審判に見てもいない事項をさかのぼって決める権利を与えるのはどうかと思った。踏んでいないという主張のみ認めて、踏んだかどうか確認しなかったし、まあ確認しても水掛け論ですが。普通水掛け論には結論を出さないのが通例だと思うのですが。結局この一件が尾を引いたのかはわかりませんが横浜高校は負けてしまいました。また夏出てきてください。
その後釈然としないので調べていたら、どうも空過といって、主審はベースを踏んでいないのを見ていたようで、アピールがなかったら点が入っていたことになるらしい。おーーなかなか難しい話です。
ただそうだったら、もっとあっさり渡辺監督は引き下がって抗議しなかったようにも思うし、やはりちょっと釈然としないです。

ゆれました。

昨日、千歳から関空まで帰って来た。このとき飛行機が強風のため着陸しにくい感じが乗っていて体感できて(別にしたくないのですが)実に怖かった。あんな重いものが飛ぶのも不思議であるが、飛行機を揺らす風の力というのは恐ろしいと感じた。そう思っていたら、今日の成田は記事になるくらい(日経のHPには映像が載っている。飛行機が揺れてます)風が強かったらしい。実に自然の力は恐ろしい。地震も原子力の核融合も人間がコントロールできるって範囲は意外と小さいのかもしれない。