2012/05/31

BOND Girl - Tina Hudson

007という映画は、本題というかまあほんまの映画が始まる前にショートコントみたいな寸劇がイントロにある。これが意外に凝っていて面白い。オクトパシーという映画のイントロ部分の寸劇は結構気に入っていて楽しい。ここに出てくるTina Hudson という女性はIMDBで調べたらこの映画だけに出ている。こういうのも珍しい。その後の人生は如何に??

2012/05/30

BOND Girl - Eva Reuber-Staier


この一見ゴルバチョフっぽいまあロシア(ソ連)の首相(?あそこは何だった大統領もいた?)の役の秘書を3つ(私を愛したスパイ、フォー・ユア・アイズ・オンリー、オクトパシー)の007の映画で出ているのが「Eva Reuber-Staier」というオーストリアの女優さんこの人は1969年のミス・ワールドです。こういう出方も渋いですよね。ある意味マネーペニーに匹敵してます。

2012/05/29

BOND Girls (4)

これはもうわからん?かな。左の2人はわかる人が多いでしょうが、右の2人ですわ。問題なのは。ヒントは「ゴールドフィンガー」・・・・

2012/05/28

BOND Girls (3)

これも前回と同じ類の写真。長い歴史を振り返ればボンドガールから女優として大成した人はあんまりいないような気がする。ソフィー・マルソーなんてもともとスターだったしね。「ロシアより愛をこめて」のダニエラ・ビアンキなんてどんな大女優になるのかとその時(まだまだ世間の事を知らない中学生ですから)思ったけれど、それほど英語が堪能でなかったみたいでイタリアの映画で同じような役ばかりきて辟易したような記事を読んだ記憶が残っている。日本の浜三枝もハリウッドに進出かと思ったけれどオファーは来なかったみたい。また最近の007の映画の特徴として、いわゆるボンドガールと呼ばれる女の子以外にもかなりの女優さんを(しかも国際的な映画になったのでその国の女優さんを)使っているのも後期の007の特徴かなと思っている。IMDBが発達してきているので調べるとそこそこの情報がわかる。それとハンガリーのHPに007の映画の顔に名前を貼り付けてくれている素晴らしい労作がある。あれを見るとちょっとしたワンシーンの女の子(男も可能)の名前がわかる。これは素晴らしいといつも感謝している。

2012/05/27

BOND Girls (2)

オクトパシーの女性だけの軍団に囲まれてご満悦のロジャームーア007です。宣伝用のスナップ。この5人の名前もすらすら出てくるマニアがいるみたいで。なかなかマニア道も大変である。

2012/05/26

BOND Girls

この写真を見てすぐ4人の名前を挙げることが出来たらかなりの007マニアでいらっしゃる。というかボンドガールマニアでいらっしゃる。これは難しいというのは映画を撮った時の写真でなくどうもOB会(そんなものがあるのか知りませんが)っぽい集まりのワンショットなんでややお年を召されております。おきれいなことはお奇麗なんですが・・・・・。

2012/05/25

suzy parker

随分以前にこのスジー・パーカーという女優(というよりモデルという方が相応しいかも)のことを書いた記憶がある。ビートルズのレット・イット・ビーでもこの名前で歌われるシーンがある。あとオードリー・ヘップバーンの「ファニー・フエイス」とかいうフレッド・アステアとの共演している映画に出演しているみたいである。
でも当時はかなりモデルとしては有名だったみたいで書き込みも多いです。どう考えても大御所モデルですね。ケーリー・グラントとフレッド・アステアを従えてます。しかもシャネルです。

2012/05/23

tessa niles

エリック・クラプトンのライブを見ていたら大抵のDVDのバックを勤めている。テッサ・ナイルズという。日本にも何回かやってきています。

2012/05/22

robin gibb

訃報ばっかり続く。ビージーズのロビン・ギブが亡くなった。闘病生活が続いていたようで最近の写真はちょっと寂しいので元気な時の3人にします。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」という村上春樹もエッセイの主題に使っているという実にいい感じの曲で日本ではデビューしたように思いますが、その後「マサユーセッツ」が大ヒット。個人的には「ホリディ」も好きでした。その後ある程度コンスタントにヒットを出し続けるが、ビートルズやストーンズの域に達しなかった。「メインコース」というLPだったかなあ。「ブロードウエイの夜」(不確かです)とかいう曲が入っているのをきいてちょっと僕の趣味から外れるけれど新鮮な感じがしたのを覚えている。その1~2年後だったか「サタディナイト・フィーバー」という化け物のヒットを出す。
ヒット曲のオンパレード。よく聞きました。でも亡くなったロビン君には悪いけどビートルズやストーンズの域に達しなかったという気は今もしている。あんまり送る言葉にはなってませんね。すみません。合掌。(右側がロビン・ギブです)

2012/05/21

paul warren

ロッド・スチュアートといえば「セイリング」ですが、ユー・チューブで2002年のグラストンベリー・フェスティバルのセイリングが見ることが出来る。初めはもちろんロッドが主役なんですが、なんか後半はめちゃくちゃ直線的な弾き方をするこのポール・ワレンというギタリストの独壇場になる。直線的な弾き方って上手く言えているかどうかわかりませんがまあ一度見てください。

2012/05/20

atlantic crossing

いまさら説明する必要がないほど有名なロッド・スチュアートの名盤です。なんでこれを取り上げたかといえば、このバックに先日東京で亡くなったドナルド・ダック・ダンつまりブッカーT&MGsが参加しているのです。このアルバムでまあ大西洋を渡ってアメリカの市場に宣戦布告したわけで、バック・ミュージシャンはもうそうそうたる顔ぶれです。ブッカーT&MGsのほかジェシ・エド・デイビス、デビッド・リンドレー、リー・スカラーほかにメンフィス・ホーンなどなど。
このレコード(CD)はライノ盤も出ていて2枚組みのもあります。未発表の別テイクとか掘り出し物が聞けます。
これはほんまに何時聞いてもいいです。

2012/05/19

Days Of Future Passed

ムーディ・ブルースというバンドは当初名前から考えてもブルース系のバンドだった(どちらかといえば普通のビートバンドですね。それほどブルース色を前に出していた記憶もない)。「ゴー・ナウ」という曲が大ヒットするがその後泣かず飛ばず。しばらくしてこんなジャケットのLPレコードを出す。その名を「サテンの夜」という。
イギリス、アメリカで出たジャケットと違っている。日本のレコード会社が勝手に(許可はとったでしょうが)変えた。オリジナルのジャケットでは売れないと判断したのでしょうね。「サテンの夜」とはどんな夜か知らんけどなんかこんな感じなのかな?と思ってしまうジャケットです。
僕は気に入ってます。このレコード持っている人は少ないですよ。そんなに売れなかったから。当時は怖くて買えなかった(どんな音かわからないのに当時の2000円近い値段ですから)。ミュージック・ライフという雑誌ではまあ好評だったのですが他に欲しいのがいっぱいあってとてもムーディ・ブルースまではいかなかった。

2012/05/18

donna summer

最近は訃報が多い。ドナ・サマーも死んじゃいました。もうちょっとましな写真をアップしようかなと思いましたが、これが一番あの時代を思い出すのでこれにしました。ホットスタッフとかあの例のマッカーサーパークにはダンブルドア先生もびっくりだったと思います。僕はこの頃、大宅壮一の「一億総白痴化」の言葉を思い出したのを思い出しました。時々ベスト盤をかけますが正直初めから終わりまでは聞けません。当時のディスコサウンドCD1枚はしんどいです。でも一時代を築いたのは紛れもない事実です。ご冥福をお祈りします。合掌。(最近は合掌が多い)

2012/05/17

Golden Slumbers

ロックの名曲の題名をそのまま使った小説は調べるとかなりある。一番有名なのは「ノルウェイの森」かな。村上春樹の小説にはそれらしきマニアならおっと思う使われ方がされているものも多いので小説の題名ではなくてエッセイのサブタイトルまで興味を持ち出すと楽しい。
最近では「ゴールデン・スランバー」というのがやたら有名になって、別にもともと名曲なんだからこの本が売れたからといって「アビーロード」の売り上げがさらに上がるとも思えないけど、本は面白かった。昨年仕事で仙台に行った時にロケに使われた公園をぶらりとしてきた。
これはmontserrat島というイギリス領の火山島が噴火で大惨事になった時のチャリティコンサートでゴールデンスランバーを熱唱するポールである。僕はこのポールの左奥に写っている女性をいつもきれいだなあと思いつつポールの歌を聴いている。アビーロードのB面は何時聞いてもほんまにすごいです。
出た時はサージャントのほうが上だと思ったけどね。個人的にはひっくり返ったとも思っていないけど。

2012/05/16

csn&y

1970年に出た彼らの2枚目。ニール・ヤングが正式に参加。「ウッドストック」の映画の主題歌もここに。デジャヴュという言葉はここで覚えた。当時はカントリー調とかいうジャンルにも違和感がなかった。今は聞けませんが。ブリティッシュのホリーズのグレアム・ナッシュがここにいるのが今考えても不思議です。

2012/05/15

quarterflash

まことに頭の中の構造は摩訶不思議で突然こんなレコードを思い出した。1980年ごろです(調べてません)。1969年あたりからシングル盤よりLP盤を買うようになって、冷静に考えたらこれはシングルで十分なバンドだった。なんていう邦題だったか忘れましたが大ヒット曲が1曲あります。紅一点の女性がボーカルでサックスも担当してました(今では女性のサックス奏者が多くなりましたが、当時はサックスといえば黒人の男(コルトレーンみたい)が一般的だったのでめずらしかった)。ユーチューブでかなりきれいな画像が見れます。ジャケットもなかなか意味深でよかったですがあんまりサウンドとは関係なかったように思う。

donald "duck" dunn (3)

このけったいなジャケットはもちろんビートルズの「アビーロード」のパロディですが、演奏はほぼアビーロードのインスト版です。一番右がドナルド・ダック・ダンで裏側のジャケットも面白いです。よく似た企画ものにジョージベンソンのものがあるが個人的にはこちらが気に入っている。演奏は非常にまともでこのジャケットがちょっとおふざけ気味かな。
アルバムタイトルは「Mclemore Avenue」といいます。このジャケットなんか雑でしょう。演奏はすごいですけど。

2012/05/14

donald "duck "dunn (2)

どんどんニュースが流れて英語の方のニュースでも突然の悲報的なニュースであふれている。HPで彼が参加したアーティストを見ているとすっごいですわ。まあご自分でご確認ください。オーティス・レディング、ウィルソン・ピケットからロッド・スチュアート、リオン・ラッセル、ボブ・ディランさらにジェシ・エド・ディビス(懐かしい)、トム・ペティの曲にも参加している。クラプトンはもちろん。
クロスロード・フェスティバルのジョー・ウォルシュのロッキン・マウンテン・ウエイをみることにしよう。というのはこのときのバックがブッカーTとMG’sなんです。

2012/05/13

donald "duck" dunn

急に訃報が飛び込んできた。ブッカーT&MGsのベーシストである名手ドナルド・ダック・ダンが亡くなった。それも東京でである。ブルー・ノートに出演中だったということで事件性はないとのこと(あったら困る)。この人、いろんなところで顔を見ている。まずブルース・ブラザーズの映画とかクラプトンのクロスロード・フェスティバルとかクラプトンのライブのバックバンドにもいたような。ジョージ・ハリソンはどうだっただろうか?なんと言うか僕の好きだったミュージシャンが彼(彼ら)を好きだったみたいでスティーブ・クロッパーとともに彼の顔を覚えてしまっている。
あっ忘れてました。一番右の人です。かなり若い時の写真です。  合掌

santana

あえてここに載せる必要がないくらいサンタナは有名になってしまいましたが、これが出た時は隠し絵というのですか?ライオンの顔の奥に人の姿が見えてある意味ジャケ買い候補のレコードだったことも。これは1枚目ですが一番荒々しくて躍動感があります。

2012/05/12

moby grape

このジャケットからどんなサウンドをイメージしますか?
これもジャケ買い派がこぞって買い求めたある意味幻の1枚。

2012/05/11

grateful dead

1969年のニューロックといわれた旋風が吹くまでは、だいたい「ザ・〇〇〇ズ」というのが普通だった。ところがこの時代になるとめったやたら変なバンド名のグループがいっぱい出てきた。この「グレイトフル・デッド」というバンドもどう訳したらいいのでしょうか??今からみたらこのグループのレコード(CD)を集めるのはなかなか骨の折れるというか根気がいりそうな作業(一応集めたら聞くでしょう?これが大変)で、個人的にはZAPPAを全部集めて聞き込むのと同じくらいの荒行みたいな気がする。
そういうまあちとしんどいサウンドのなかでこれはまだ聞ける?部類に入るかな???個人的にはサウンドよりジャケットです。出た当時は「太陽賛歌」という名前がついてました。この名前からどんなイメージが膨らんできますか??
ジャケットは結構気に入ってます。

2012/05/10

cold blood

1969年という年は本当に楽しい年で実にいっぱいのいいレコードが出た。その頃は僕は浪人生で勉強しないといけない境遇であることとさらにお金がないので雑誌のレコードの解説とレコード屋によってジャケットをひたすら眺めるというまことに禁欲的な生活をしていた。この「COLD BLOOD」というバンドの「シシファス組曲」というのが出て気になっていたが買えずじまいでその後この「LYDIA」というジャケットも気になったけどこれも買わず。結局いまだにこのバンドのレコード(CD)は1枚も持っていない。勤めだしてからただひたすらに64年から70年辺りのロック系のレコードは気に入ったものは買い漁ったと思うけど、いつもためらってしまうという不思議なバンドです。ちょっとソウル系なんですね。ちょっと苦手かなと思うところもあってまだ未だに(何年経ってるんや)買っていない。集めるとしたら数枚あるのです。スリラーとかシシファスとかね。ジャケットはこれが一番お気に入り。リードボーカルのリディアそのまんまの名前のLPです。今でもシャウトしてます。もう浪速のオバチャン路線ですわ。
シシファスというのはどうもギリシア神話のシーシュポスの岩のシーシュポスのことらしい。こういうことって結構あるような気がする。本当は同じものなのに別のものと思っていることってね。

2012/05/09

It's a beautiful day

マレー・ローズの訃報から水泳・オリンピックになって大分時間も経っていてさすがに記憶も枯れてきたので小休止にします。
というわけで得意のニュー・ロックの夜明け時代にいきましょう。1969年あたりのレコード。ジャケ買い候補NO.1の誉れ高いこのレコード「It's A Beautiful Day」です。Tシャツにしてもいいですね(昔売ってましたね)。
珍しくバイオリンが入っていたバンドです。「サンフランシスコの青い空」とかいう曲が昔あったような記憶(「カリフォルニア」だったかな?)が残ってますが、僕のイメージするサンフランシスコの空の色はこのジャケットの色ですね。
これはCDでは話にならない。というのは音よりレコード・ジャケットの方が価値があるから。決して音も悪くはないのですよ。ただジャケットがもうそれはそれはです。

leisel jones & stephanie rice


昔はオーストラリアが水泳が強いと思っていた(ローズとコンラッズの頃)そのあとアメリカになってその後なんかヨーロッパの各国が頑張って、そして個人個人の話になってどこかの国が強い話は通用しなくなった気がする。でもこの4人なんか強いですね。4人ともオーストラリアのスイマーです。両脇がジョーンズとライス。2人とも美人です。

2012/05/08

grant hackett

この人もやはり載せないとね。パーキンスとハケットでオーストラリアの長距離王国の屋台骨を支えてきました。

2012/05/07

kieren perkins

1500を極めようという感じになってきたので、この人も登場願いました。キーレン・パーキンス強かったですね。ただもう駄目かもという時期もあって特にアトランタの時のパーキンスは「もうあかんわ」と誰もが思っていたに違いありません。ところがどっこい、この時のパーキンスは凄かった。なかなか抜かせない。結局最後まで抜かせなかった。
1500を見るのが好きだと書きましたが、1988のソウルの時のサルニコフとこのパーキンスの1996のアトランタはもう感動のレースでした。
時間的にも感極まる時間があって、50とか100ですと感極まる間もなく終わりますので、感極まりたいお方には1500m自由形のオリンピックはお勧めです。

2012/05/06

mike burton

1500m自由形ではこの人も紹介しておかないといけない。ある意味この人が一番君臨していた時間が長かったように思う。1968のメキシコ大会と1972のミュンヘン大会で金メダルを獲得している。16分台はほとんどこの人が縮めて、1972のミュンヘンで15分52秒58の世界記録を打ちたて優勝している。(初めて15分台に突入した栄誉はキンセラにとられてます)実に強かったという印象があります。記録を破られては取り返した記憶が残ってます。

2012/05/05

高橋栄子

東京オリンピックの水泳の女性でメダルは取れなかったけれど入賞(6位まで)したのは、田中聡子と400mメドレーリレーに出た4人だった。4人には木原美知子と田中聡子とこのバタフライの高橋栄子と平泳ぎの山本憲子がいた。個人でメダルに手が届きそうだったのは田中聡子と高橋栄子の2人で僕はこの高橋栄子はひょっとしたらと思っていた(1年前の東京国際スポーツ大会でも良かったから。結果は100mバタフライは7位でした)。高橋さんは今でも別府のプールで後進の指導にあたっておられるということで、前述の木原さんとは違っているけれど2人とも会ったことはないけれど(当然)それぞれイメージに相応しい生きたかをされているなあと思ってます。
この高橋さんの写真を探すのに苦労した。マスコミ受けする方々以外でも功績のある人はスッと検索できるデータベースがあればなあと思った。(木原さんならビックリするほど出てくる)

kihara michiko

この人も忘れてはいけない。外国のスイマーがほとんどティーンエイジャーでしかも15~17歳くらいが主流であったのに、日本は18~22歳くらいだったと思う。そんななかでこの木原光知子だけは若かった(といってもそんなに変わらないけど、日本の選手を見ていると彼女だけ一世代違って見えた。一世代=3歳くらいの感覚である)。それに引退してからの生き方もちょっと違っていたように思う。会社作ったりまさしく次の世代でした。若くして亡くなってしまって残念です。
もう昔の話でどんどん記憶がなくなっていってますが、昔1967年のメキシコ大会のプレオリンピックに出て優勝してたはず。その後の1968年のメキシコには出ていないような・・・??





2012/05/04

飯島秀雄

東京オリンピックのことを思い出していたらこの人のことも思い出した。100mの飯島選手である。なんで野球のユニフォームを着ているのかといえばオリンピックの後(正確にはメキシコのあと)にロッテの野球選手になった。しかも代走専門で。この試みが成功したのかどうかは意見の分かれるところでしょうが、僕の気持ちとしては失敗だったように思う。やはり盗塁は走りが速ければいいというものでもなさそうである。この飯島選手はそのあと波乱万丈の人生を歩まれて詳しくは他でも調べられますので割愛しますが頑張って生きていただきたいと思ってます。
当時の円谷さん依田さんという記憶に残っている人が結構早く亡くなられてますので・・・・。

erica terpstra (2)

これはかなり以前にハグベリの紹介で使った1963年の東京国際スポーツ大会の200m自由形の表彰台である。このときの3位がオランダのテルプストラで昨日紹介したお方であります。テルプストラはオランダ代表で東京オリンピックに来て100m自由形は4位(ハグベリは7位)だったけれど、400mのリレーとメドレーリレーで両方ともメダルを獲得して、多分オランダに錦を飾ったのだろう。(この時の2位は日本の木村トヨ子さんで結構速かったです。東京オリンピックにも出場しましたが予選で敗退だった。当時の名門筑紫女学園だったと思う(田中聡子さんも同じ)。当時の水泳の選手の育成は学校の水泳部が中心だったように思う。アメリカのサンタクララスイミングスクールなんかの話を聞いてなんか進んでいる感じがしたものである。日本もその後イトマンスイミングスクールとか出てきますが、なんでそのシステムの方がいいのかは僕ら素人にはわからない)話が何ぼでも混乱します。
よく考えたらその後日本でもかなりのメダリストが国会議員になった。バレーボールの大松監督も議員になったような??いいのか悪いのかわからないです。オランダと日本の事情が同じようなものなのかどうかもよくわからないですけど。ただHPをみていてもこのおばちゃんものすごく元気そうに見える。
でも本当にインターネットって便利ですね。
当時のオランダにはバタフライにアダ・コックっていう大柄のスーパーウーマンがいてこちらも速かった。でもスタウダーの方が勝った。次回へ。

erica terpstra

東京オリンピックの女子100m自由形のメダリストは既に述べました。金がフレーザーで銀がスタウダー、それに銅がエリスの3人でした。4位はオランダのテルプストラでこのようなお写真が出てきました。水泳の選手以外の説明もついてますから読んでみます。テルプストラは1963年のプレ・オリンピック(要は予行演習)にも来日していて、このときはスウェーデンのハグベリに負けている。ハグベリはこの時は7位で1~3位が記録的にも飛びぬけていて、4位から8位までは大差はなかった。
でもこの体で昔自由形でオリンピックに出たといっても誰も信用しないね。恐ろしい。
それはともかく、もうちょっとググってみると、どうも東京でリレーで銀と銅を獲得してある意味オランダの英雄になったみたいである。その後国会議員になったみたいで、その後オリンピック委員会の役員もしていて、なんか有名人みたいである。本人のHPもあるがなにせオランダ語なんで。

2012/05/03

Walk don't run

ベンチャーズの名曲「ウォーク・ドント・ラン」というのがありますが、この映画は全く関係なく、競歩から来た題名です。ずっと東京オリンピックの話で来とりますが、市川昆の名作ではなく、あのケーリー・グラントが主演していてしかも東京オリンピックが舞台のややこしい映画があるとは昔から聞いていたのですが見たことがなかった。先日、レンタルのリストで見つけたから早速借りて見てみた。まさしくケーリー・グラントです。しかもこの作品で引退しているらしい。女優さんはなんとサマンサ・エッガーでコレクター(古い方でテレンス・スタンプが出ている方)に出ていた新進女優だったはず。実際は1965年に製作されたみたいですが、いっぱい当時の東京の姿が映っています。こういう映画も珍しいです。かなりの部分はハリウッドのスタジオで撮られたようですが日本人らしき人いっぱいでよく集められたなあとおもいます。電信柱の看板なんか笑いますよ。「性病科 五百木医院」の看板が何回も出てくる。多分現地に取材に来た時にあったのでしょうね。

2012/05/02

kiki caron

100m背泳は前述のキャシーファーガソンが優勝した。この種目には田中聡子という日本を代表する選手がいて200mなら金は確実とされていたが当時は残念ながら200mはなかった。仕方がないから100mで出て、それでもローマでは銅を獲得している。その田中のライバルとされていたのがこのフランスのクリスティーヌ・キャロンという美少女で日本に来る前の(誰が一番可愛いか???という)評判は一番高かったように思う。
僕らは、田中VSキャロンの一騎打ちと思っていたがあっさりとアメリカが勝っていった。このようなパターンが東京オリンピックには多かった。もう有名でなくても選ばれてきたUSAスイマーはダントツで速かった。
蛇足ながら、キャロンは2位、田中は4位でアメリカを除けば妥当な順位です。

2012/05/01

donna de varona

前回書いたけれど東京オリンピックにこのドナ・デ・ヴァロナという選手がいて、結果的にちゃんと金メダルを持って帰った。ただショランダーやスタウダーのように首に何個もぶら下げるというほどでもなかった。ただ、当時から思っていたことですが、ちょっと扱いがいつも特別のように感じられた。大物なんですよね。このライフの表紙とか今でもグーグルのヒット件数も他の金メダリストよりはるかに多い。今でもある意味セレブ的な扱いのように思われる。これって何なんだろうっていつももっております。(親がすごかったりして)