2012/09/30

Marlene Dietrich

僕のイメージにあう「マレーネ・ディートリッヒ」はこういう感じですね。それほど詳しくはないけれど男っぽい制服にタバコの記憶が残っている。
ドイツ人であったけどアメリカ(連合軍)の味方してドイツ人から嫌われたというようなことしか知らない。
それとジャン・ギャバンと仲が良かったとか。
ただものすごく神秘的な雰囲気でこういうのは好きであります。

リリー・マルレーン

マレーネ・ディートリッヒって書いたらこれを思い出した。何時ごろ読んだのか思い出せないけど面白かった。このあと鈴木明さんの本は結構買い求めるようになった。幕末の写真から写真にとられた人を追いかける話も面白い。
確か初めは別の人が歌っていた・・・・とかで始まったはず。興味のある人は読んでください。
調べたらマレーネ・ディートリッヒが万博会場に来たのは1970年9月8日だったということである。僕は1970年の万博には数え切れないくらい行っていて、それこそ親戚縁者の道案内みたいな役目をこの年はやっていた。特に9月はもう終わるということで毎日のように誰かを連れて千里の万博会場に行っていた。
話は変りますが、今日朝日新聞に橋本市長の政策に反対する広告が大々的に載ってました。
その中に、文楽とか交響楽団への支援を止めてはいけないというのがあって、いつもこういうのを読むとこの人たちってどこからそのお金を調達する気なんだろうと思います。
財源さえあれば支援してあげればいいと思うのですが・・・・。

悲しき天使

アップルといえば、今ではジョブスのアイフォーンの会社と思う人が多く、僕らの世代はビートルズのレコード・レーベルだと思う人が多いだろう。ビートルズがアップルという会社を作って出したレコードの一番最初がどれだったか忘れたけれど、このメアリー・ホプキンという彗星のように現れたシンガーの「悲しき天使」はあっという間にイギリスでもアメリカでも1位になってしまった。シングル盤買いに行った記憶があります。当時のアップルにはジェームズ・テイラーもいたしなんとMJQのレコードも当時出ている。
日本触媒の火事はようやくおさまりつつあるみたい。亡くなった方にはご冥福をお祈り申し上げます。
なんか今の日本は外交もドタバタで経済もドタバタで実に暗澹たる気持ちが蔓延してます。
メアリー・ホプキンのシングルを買いに自転車こいでレコード屋に向かっていた頃が変に懐かしく感じる。あのころまだまだ日本は良くなっていく感じがあった。
あの頃は万博を控えて友達が住んでいた家からは千里の丘陵が一望できてブルドーザーが忙しく動いていた。
なんか国家的な祭りが必要かも知れません。
メアリー・ホプキンは1970の万博にやってきてコンサートをした。
そうそう僕はマレーネ・ディトリッヒを万博会場で偶然見たのを思い出した。

2012/09/29

不思議な話

昨日、新大阪駅から地下鉄に乗った。改札に入る手前に「日本触媒」という会社のポスターが張ってあって、ちょっと詳しく見るために立ち止まっていた。僕が大学を出る頃、メーカーに行きたいと考えていたので、行き先を電機(電器)、車と化学メーカーに絞っていた。当時の僕の感覚ではこの3つの分野はまだまだ伸びると思っていた。この日本触媒という会社も当時これからまだまだ伸びそうだと考えていた企業である。あんまり知られていないが「紙おむつ」のまあおしっこの吸収率の高い化学繊維は圧倒的なシェアであります。アクリル酸も世界でもシェアが高い。まだまだいい会社が日本にはあるなあと思いながら地下鉄に乗った。
さて、今日のニュースで、昨日の「日本触媒」の姫路工場でアクリル酸の製造工場で爆発事故!!!ええーーこんなことがあるのかとしばし呆然、しかもかなりの負傷者が出ていて、消防や警察の人も負傷されている。
一日というより一刻も早く沈静化されるよう祈っております。

2012/09/28

プロメテウス

この映画を見に行ってきた。もうすぐ劇場が終わるということで滑り込み。なんか面白そうだということだけで行って、まずリドリースコットが監督だということも知らなかった。見ているうちになんというかシチュエーションというか雰囲気・役回り等々が「エイリアン」そのままに僕には思えてきて、ある意味あの「エイリアン」はどうして生まれたのかという作品かなと思って見ていたら最後にはそのままエイリアンが生まれてきた。
ただストーリーとかに関してはかなり荒っぽいなあと思うようなことが多々あって、リドリースコットのいつもの緻密さと荒っぽさのバランスが今回は荒っぽさが目立った。
ミレニアム3部作のスウェーデンのノオミ・ラパスが主演でもうハリウッドの売れっ子になってしまっている。めちゃくちゃ美人ではないが印象に残る。
アップした「人類はどこから来たのか」は全く関係おまへん。なんでこんなキャッチコピーになるのかわからん。人類の起源でなくエイリアンの起源です。

2012/09/27

Andy Williams

アンディ・ウィリアムズが亡くなった。アンディ・ウィリアムズ・ショウが懐かしい。当時アメリカの歌手の動く姿を見れる番組は極めて少なかったのでこの番組のゲストは実に楽しみであった。他にはミッチ・ミラー・ショウとかね。
僕はこの「ムーン・リヴァー」のシングル・レコードを持っている。「ティファニーで朝食を」の主題歌ですね。
ほとんどビートルズからロック一色のコレクションに時々異色のレコードが混じっている。この「ムーン・リヴァー」もその1枚で他には梓みちよの「忘れな草をあなたに」というものがある。なんでこんなのを買ったのか実に不思議でありますが、思い起こせば高校の時の修学旅行でバスガイドさんがお別れするときにこの歌を歌ってくれていい歌だと思ったのだと思うけど、しかしそんなことでシングル盤買うかなあ???と不思議でありますが、実際にあるからね。人の行動は時々自分でも分からないことをするもんです。

2012/09/26

スポーツマン金太郎 2

スポーツマン金太郎のライバルは桃太郎であるが、所属していた球団は「大洋」であった。(正確には大洋にもいたことがあった)
僕らの小学生の頃のセリーグは阪神、巨人、中日、広島と国鉄と大洋だった。大洋はその頃強くって優勝している(今の横浜の前身になる。秋山とか桑田とかいましたね)。国鉄は産経からヤクルトに、ある意味広島はえらい。弱くてもずっとある。

2012/09/25

スポーツマン金太郎

少年サンデーの初期の代表作の一つに「スポーツマン金太郎」という漫画があります。寺田ヒロオさんのやはり代表作です。金太郎と桃太郎の2人がプロ野球で活躍するというもの。この漫画でなぜか今でも思い出すのが桃太郎がアンダースローで投げるシーンで、初めてアンダースローで投げた時の金太郎の驚きの顔・・・
何時か覚えてませんが多分昭和35年か36年の頃でしょうね。南海ホークスに杉浦という名投手がアンダースローでいました。多分このあたりの影響もあるように思います。
寺田ヒロオさんは晩期は人嫌いになられたようでなかなか波乱万丈の人生を送られております。ただ個人的には好きな生き方です。こういう人もいていいと思います。

2012/09/24

少年サンデー

昭和34年(1959)4月に少年サンデーと少年マガジンが発行された。ここから漫画文化は大きく育っていく。それまでは月刊誌が中心で「少年」「少年画報」「少年ブック」「日の丸」・・・他にもあったけど思い出せない。月刊誌は僕の1世代前のお兄さんたちの文化です。
1ヶ月待つことなく毎週続編が読めるようになった。それ自体ものすごく楽しい時代になったけれど。書く方は大変なことになったのだと想像される。
少年サンデーは長嶋茂雄で少年マガジン朝汐だった。この創刊号は両方ともおねだりして買ってもらった(その後はマガジン派になった)。ただ両方ともまあ捨てたわけです。もったいないですね。僕の友達はちゃんと残している。サンデーは忘れたけれど、マガジンには別冊の漫画本がついていた。当時の月刊誌の付録を踏襲していた。この付録がつくのは結構早く止めたように思う。

2012/09/23

大和八木

奈良という県は鹿で有名でまあ観光都市ですね。
仕事で大和八木というところへ行くことが多かった時期があります。
近鉄のターミナル都市です。
結構不思議な町です。
大和王朝と現代がつながっているような不思議な気がする町です。

MASTER KEATON

「マスター・キートン」の豪華版が出ていて欲しいなあと本屋で見る都度思っている。
浦沢直樹さんの今では初期の作品になることになりますが、一話一話の読みきりでその後の壮大な長編ものとは性格を異にする作品です。
それまでのコミックスになかった設定ですべてが目新しかったような記憶があります。
考古学と保険の調査員、それとヨーロッパでしかも東欧(東ドイツ、ポーランド、チェコ、ハンガリー・・・・)が舞台、さらに活動のイギリスが中心で時々日本に戻ってくる。さらに父親と娘がなかなかいいキャラクターで・・・、初め読んだ時は作者は何者なんだと思いました。絵もうまいし。
実はそれまでにパイナップル・アーミーも読んでたのですが同じ作者だとは気がつかなかって(まぬけですね)、読後感が似ているなあと思った記憶があります。

2012/09/20

ロッドのガソリンアレイ

浅川マキのガソリンアレイを知っている人も多いと思うけれど、ロッドのガソリンアレイを知っている人は少なくなった。というのはロッドのヒット曲が多くて初期のものは忘れられがちのような気がする。このレコードのジャケットもいいのですがこのジャケットでないのもあって、ロッドの初期のレコードジャケットのレコード会社の横暴には腹が立つことが多い。

2012/09/19

FMWの荒井さん

段々年をとってくるとやっておかねばならないなあと思うことが溜まってくる。
非常に個人的な話ですが(まあこういうのは大抵個人的な話です)かってFMWというプロレスの団体がありましたがその代表であった荒井さんの墓参りはしておきたいと常々思うことが多い。わずか数ヶ月の仕事上のお付き合いでしたが本当にいい人でした。

2012/09/17

オイラー

これもお札になってます。数学者はお札が似合うのかなと思ってしまいます。ノルウェーのアーベルも長い間お札に使われていましたし。まあお金は一番表面上は数学となじみますからね。
「オイラーの贈物」という吉田武さんの名著があります。高校生くらいの知識で分からないところがあれば飛ばして読んでも雰囲気が伝わります。
吉田さんにはもう一つ「素数夜曲」という本もありまして、これが最近改定されて読みやすくなってます。
パソコンのソフトであのややこしい数式を表すのがなかなかうまくいかなかったみたいで(当然ですよねニーズが少ないから)、よく知りませんがLATEXとかいうソフトがどんどん進化してきれいに表せるようになってきたみたいです。
一番はじめの「素数夜曲」という本はガリ版みたいでしたから。今度のはすごく豪華ですがなんせ数が出ないという背景もあるのか高いです。やっぱり買おうかな。

2012/09/15

Speedy Gonzales

今やアニメは日本のお国芸みたいになったが、僕の小さい時はまだまだアメリカのアニメが全盛だった。映画はもちろんディズニーで、テレビはハナ・バーバラ・プロダクションの珍犬ハックル、早撃ちマックとか例のワーナーのタイニー・トゥーンのバックス・バニー、もう作っていたところは忘れたけれど、ポパイ・ザ・セーラーマン、ヘッケル・ジャッケル、マイティ・マウス、黒猫フェリックス等々・・・今から考えたらパワーありましたね。
この「スピーディ・ゴンザレス」という俊足のネズミ君もバックスバニーの番組で見ていたような???
パット・ブーンがヒットさせているから時々思い出す。本当は元歌があるのですね。メキシコって何語??スペイン語??
足が速いといえば「ロード・ランナー」も速いけどね。記憶が混乱してます。

2012/09/13

ガウス

小さい時に「大きくなったら何になりたい?」って聞かれたら野球選手とかプロレスラー?とかお笑い芸人とか?まあその辺の答えが可愛い。で中学生くらいになって同様の質問に「数学者になりたい」って答えたらちょっとおかしい???かな。
僕は中学3年くらいにこの「ガウス」という人物にあこがれて数学者に本気でなりたかった。まあ受験はしたものの挫折しましたというか理学部数学科には受からなかった。全部すべった。
数学者がお札になっている国は他にもありまして、そういう意味では日本は寂しいです。
このガウスの功績はすごいです。

2012/09/12

安倍晋三

結局、次の首相は自民党からということは自明の理という感じで、個人的には安倍さんを推したい。道半ばでまあ体力的な理由で辞められたということと、経済路線は竹中路線だと思うから。路線が途中で変わることが絶対よくないと思っています。
基本的に小泉政権の時の政策が今もかなりの部分で影響してる。というか理論的に政策を打ち出したのは小泉以降ないのですね。行き当たりばったりの政策ではもはや世界経済の動きに対応できない。
うまくいかない現象には小泉改革の路線に添って調整する方が妥当だと思っている。
たとえばタクシーに乗ると運転手さんがたいてい「小泉さんのおかげで規制緩和だということでタクシー業界への参入のハードルを下げてくれたおかげで同業者が増えて実入りが半分以下になりました・・・」とかいう人が圧倒的に多い。だから元に戻しましょうではおかしいと思うのですね。やはり改革をやって意にそぐわない結果かどうかその路線の政権が調整するべきだと思っている。そういう意味では安倍さんだったのですがもう考えが変わちゃってるかも??

結局何を言っても出来なければ意味がない。民主党に入れた方々は猛反省して欲しい。
菅さんなんかほんまに何をしたのか皆目分からず。鳩山もお坊ちゃま丸出し、小沢に至っては勝手気まま丸出し。
まとまろうとしない。こういうのって見たことがない。
ほんまに民主党は解体した方がいい。団結するって言ってましたよね?????団結しなのなら政党を作りなさんなと言いたい。

THE KINKS

キンクスの写真で一番僕の頭にインプットされているのがこの写真でいつかはこの場所に行ってみたいと思ってもう何十年も経っている。
ビートルズを筆頭に次はストーンズをあげる人は多いと思うけれど意外とこのキンクスを上げる人も多い。このグループの音の変遷はなかなか一筋縄でいかずデビューから今までずっと好きだ(聞いてきた)というお方がいらっしゃればお目にかかりたいくらい。まあお気に入りだと思っている僕でもこいつはシンドイなあというCDが数枚以上ある。

2012/09/10

RAY DAVIS

ロンドン・オリンピックの開会式のことは既に書いたけど、ポール・マッカトニーとかペット・ショップ・ボーイズというお方々よりこのキンクスのレイ・デイヴィスのウォータルー・サンセットを特筆すべきだったと思っております。かなり前半に出てきましたがまあ重鎮ですわな。それに歌った曲が「ウォータルー・サンセット」です。キンクスの代表曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」でなくって「ウォータルー・サンセット」です。僕も好きです。ウォータルー駅の橋から夕日を眺めるというのをやってみたいですなあ。

ムスタング P-51

別に戦闘機の方に行く予定ではなかったのですが、このムスタングは第2次世界大戦の末期に出てきたから、戦後民間に払い下げられて一般人が操縦している写真がかなりあります。人気があったみたいです。操縦しやすかったらしい(このあたりのことは分からない)。きれいなシルエットです。
昔マルサンというプラモデルメーカーがあってここから出ている戦闘機シリーズをかなり集めた。P-51はお気に入りだった。

2012/09/09

ユンカース

以前ハーケンクロイツを調べていた時にこのドイツの名機ユンカースの写真を見つけたので保存しておいた。小学生の時にプラモデルで作ってかなりうまく作れた作品で長いこと飾っていた。急降下爆撃機ですね。
変な話ですが当時はもう戦争の悲惨さなんかは念頭になく急降下して爆弾を落とす様がかっこいいと思ってました。
アメリカのムスタングとかね好きでした。プラモデルの話ですよ。

2012/09/08

確率

昨日は昔勤めていた会社の部下に24年ぶりに会った。駅の通路ですれ違った。一瞬どこかで見たような顔と・・向こうもそう思ったみたいで、どちらかが顔をそむけてしまえば「あっ人違いかな・・」で終わってしまう話である。よく考えたらすごい確率の話だと思う。たまたま新幹線に乗って帰って来て、ちょっとベンチで休憩してよっこらしょと立ち上がって階段を下りていってばったり出会ったわけ。
久しぶりに旧交を温めました。こういうことは人生の中で時々あっていいとおもう。

2012/09/05

JEFF BECK

今日仕事で御堂筋の地下の喫茶店で休憩した。タバコを吸う方と一緒だったのでスタバとかには行かず。喫煙可の店を探す。その手の店には当然ながら愛煙家があつまり昔の喫茶店の雰囲気が充満している。煙もうもう。
仕事の話が済んで、この間の豪雨&雷の話になって、長居のライブは誰やった??とか云う話になって、昔々の京都の円山音楽堂にジェフ・ベックを見に行って雨が降ってびしょぬれになって、しかも「JEFF BECK」は来なかった(風邪やったかな)。その他大勢が出たので返金されず(ニューヨーク・ドールズなんか2回も出てきた)。・・・と言う昔話をしてお会計の段になってレジの女性が(まだお若い)「楽しいお話をされてましたね」とおっしゃる。ツエッペリン、ユーライアー・ヒープ、ブラックモアズ・レインボウ、ジェスロ・タル、ウィッシュボーン・アッシュ・・・まあいろいろ名前が出てましたから、気になる名前があったのかもしれない。でもこういう経験はあんまりない。

広島 タカノ橋

大学を出て3年間広島で働いていた。広島という町は個人的にはちょっとなじめなかったけど、このタカノ橋商店街は大阪ぽくって気に入っていた。特にこの商店街の入り口付近にあった映画館が大学時代の天王寺の駅の中にあった小さな映画館のイメージに近くよく通った。ビートルズの「ヤアヤアヤア」とかプレスリーの「ブルーハワイ」とか「フィルモアの最後の日」なんかを見た記憶が残っている。特に「フィルモア・・」なんかは誰が見るんやと思っていたら、広島大学が近所にあるから結構マニアっぽいのが入っていた気がする。
ビートルズの「ヤアヤアヤア」は前の日飲みすぎて二日酔いで行って確か映画館の近くの喫茶店で迎え酒をして見に行ったようなさすがにまだ元気でしたね。
それで時々寮まで歩いて帰ったような気がする。確か刑務所の塀の横を歩いて、なんかそれだけでスリルがあった。もう35年くらい前の記憶ですが、なんかタカノ橋はよかったね。
それで今でも覚えているのは迎え酒をした喫茶店(昼からビールを飲んだわけね)の怪しげな女主人らしき人が「夜もおいでよ」って誘うような目つきだったのを今でも覚えている。結局行かなかったですけど。

2012/09/04

SUNTORY BEER

突然、昔、ペンギンのデザインの缶ビールがあったのを思い出した。1985年くらいから2~3年くらい続いたのでしょうか?子供が小さかったので子供を見ながらこれを飲んでいると勝手にほのぼのとした気持ちになって幸せだったような気がする。サントリーはビールは苦戦続きだったけれどこういうのは実にうまいと思った。キリンやアサヒでは出来ない芸当だと思う。味より雰囲気で買わせてしまう。
このペンギンさんたち映画もあったですね。不思議な現象だった。

THE VENTURES

我ながら支離滅裂です。突然ベンチャーズです。
元々はこの写真は「ライブ・イン・ジャパン」という1965年の春か夏くらいに出たまあ名盤のジャケットです。レコードも2枚くらい持っているはず。一番油が乗っていて日本中がエレキブームになってしまった。周りでもエレキギターを買うとか言い出して、それまで楽器なんか全く縁のない者まで言い出した。それくらい若者の心をとりこにした。
このジャケットは1965年の1月に日本に来た時に撮ったもので、傘を持っている女性は僕は今まで「伊東ゆかり」さんだと思っていてなんの疑いもなくほぼ50年近くになります。
ところがネットでははっきりしないのですね。まあ今となれば知らない人も多いからかなと思いますが、当時の雑誌なら絶対に書かれてあると思うのですが実家に帰れば当時の雑誌が置いてあるので調べることも可能なんですけどね・・・。
どう見ても「伊東ゆかり」さんですよね。ちがうんかなあ???場所は赤坂の日枝神社らしい。

2012/09/03

天才数学者 2

数学の天才というのは、物理学の天才とかと違って(どう違っているかといえば説明しにくいが)もっと理解しにくいような気がする。物理学者とか化学者とかいうのは目に見えるものを発明してくれるとか物が目の前に現れるような気がして分かりやすい(と思える)。
数学の天才が周りにいてもそれほど役に立つとも思えない。
昔、高校の頃、数学の天才と学校で言われていたのがいて僕の友達が一度ノートを写させてもらったことがある。その友達が書かれてある内容が分からんといって僕に持ってきた。当時の僕はまだ数学はよく出来た方であった(えっへん)が、その天才君のノートは、僕の数式の10行分が1行というかあまりにも飛びすぎていて普通の人には分からなかった。
そのわが高校の数学の天才君はその後国立大学の数学科を出て地方の国立大学の教授をしているという噂を聞いたが本当のところは知らない。
あのような人の集まりはどんなもんになるのかなとちょっと興味がある。会話がすすむのか??とかね。その天才君はめっちゃおとなしい人だったから。

2012/09/02

天才数学者の事件ファイル

「天才数学者の事件ファイル」というのも見だした。これも結構面白い。数学は好きで昔はよく勉強したけど、なんと言うか高校で教わる数学というのは、今の数学ではないのですね。
今日見たのは「リーマン予想」が解けたという話で、解けたという学者の子供を誘拐して身代金の代わりにその解法を教えろというストーリー、その解法をなんに使うかがなかなかよく考えているなあと思って楽しく見ました。
天才数学者のガールフレンドっぽい女の子の名前がラマヌジャン・・・凝ってます。

2012/09/01

ハーケンクロイツ

鉤十字(ハーケンクロイツ)についてちょっと調べてみたら、ナチスの時に国旗になっていて、今はドイツではこの旗は禁止されているのだそうである(知らなかった)。民衆扇動罪とかいう法律がある(のだそうです)。
戦後処理の日独の差に関する本を昔読んだことがある。日独の徹底さと曖昧さをものすごく感じた本であった(本の名前は忘れました)。
日本は曖昧の見本みたいなのらりくらりというか多分にアメリカさんの思惑と戦後日本の官僚の思惑が絡んでこうなったのだと思っております。日本もきっちりやろうと思えば出来たはずですが、終戦後即冷戦が始まり(というか戦争が終わる前に始まっていた)、日本に対する取扱いもアメリカ主導でどんどん変節していった。

昨日の話と符合すればハーケンクロイツに対応するのは日本の国旗ですわな(戦争当時の国旗だから)。旭日旗とは違うのではないかなと思ったりしてます。
まあ、お隣から揺さぶられて調べたら勉強にはなります。ええのか悪いのか。難儀な国ですわ。

旭日旗

この旗がけしからんそうである。反省が足りない。ナチスの旗と同じ位置づけだそうである。そんなこと今まで思いもしなかった。ハーケンクロイツだったですかね。鉤十字、あれってヒトラーの政党の旗では??(後で調べたらナチスが政権をとって国旗にしてました)
もういちゃもん付け出したら何でもですなあ。
僕は「守るも攻め(む)るもくろがねの・・・・」と歌とともに戦艦の上でするすると旗が揚がっていくのを見るのが好きである。元気が出る。不謹慎ながらパチンコ屋を思い出す。パチンコ屋と軍艦マーチはおそろいだから。
この旗は実にいいと子供の頃から思っている。正直なところ国旗より好きである。
何の反省??
原爆落とされて多数の人が亡くなって反省していないとでも???
調子に乗りすぎたこともあり、反省するべきことも分かっている(はず)。
ただ戦後67年を過ぎてなおこの旗でサッカーを応援することがいちいち外国に(というか一部の特殊な国に)非難されるべきことなんでしょうか????
日本からいちいち「お前とこの〇〇おかしいぞ、なんとかしろ」というようなそんな暴言を言っていないとおもうのですが・・・・。
そろそろ次のステージに行かないと。毎回毎回、政治的に行詰ったら日本を攻撃して求心力を得るという実にアナクロっぽい仕掛けからぼちぼち脱却されたらいかがですかと思う。

以上が率直な感想なんですが、この認識にずれがあるのでしょうね。
大体、この旗を軍艦マーチとともにするするとマストにあがっていく様を思い浮かべるのはかなりの年配の人で、若い人はあんまり意識していない、もう単純にサッカーの時の応援の時に振る旗だと思っているかもしれない。
世代間のズレ、各国間のズレ・・・いろいろと詰めれない問題がありそうですね。

蛇足ながら「くろがね」は鉄、金は「こがね」、銀は「しろがね」、銅は「あかがね」といいました。