2013/05/31

悲しき街角

デル・シャノンの「悲しき街角」の日本でのオリジナルのシングル盤ジャケットってよく考えたら見たことがないような気がしてきた。ネットで探しても「これ」しかない。このレコード番号が一番最初なんでしょうか??

2013/05/29

Johnny Remember Me

ジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」でした。1961年の全英No.1ヒット。

2013/05/28

さらばシベリア鉄道

「霧の中のジョニー」という曲があって、誰が歌っていたか?「大脱走」という映画にも出てましたよね。「ジョーニー~リメンバー・ミー~」というフレーズです。たぶんマニア向けの解説本にはこの「さらばシベリア鉄道」は〇〇と〇〇に捧げられたオマージュですとかなんとか書かれてあると想像するのですが。
「霧の中のジョニー」とスプートニクスの何でしょう?カレリアじゃなく。
うまく言い表せません。
このジャケットいいですね。

2013/05/27

頑張れ橋下 !!

一連の慰安婦発言もようやく終息に向かおうとしておりますが、今度の参議院選で結果が悪ければ引責とか話も出ておりますが、もうその時は維新の会を解散させるべきだと思ってます。橋下さん以外に維新の会の代表ってありえないと思ってますから。
今もって疑問というか、問題と考えているのは同様の制度は戦時中にはあったのに日本だけが鬼畜のような報道がされており、それが世界中の共通認識となっている感がある。これをなんとか打開しなければならない。今回の橋下発言のような中央突破は無理だということが分かったので、別の方法を考えるべき。日本人がほかの民族に比べて異常な人種であるかのような先入観を持たれるのを避けようという動きは日本国として当然だと思っている。
あと補償の問題は普通の条約っていうのは「これ以降何が出ても言わないでおこう」というのが一般的な取り決めだと思いますが、このあたりどうなっているのでしょう。
沖縄の米軍の話は洒落くらいのとらえるの懐の深さがいると思うのですが。
僕の橋下さんのコメントも一旦今回で終わります。
やめないで頑張ってもらいたいですね。

2013/05/26

赤頭巾ちゃん気をつけて

僕が大学に入った前の年の芥川賞受賞作品。1969年の東大の入試がなかった時の当時の東大合格者数日本一を誇っていた名門日比谷高校の卒業生「薫」君の「男の子は如何に生きるべきか」の物語であります。いしだあゆみのブルーライト・ヨコハマが出てきたり当時読んだときは新鮮でそのほかに何色かの物語があってかなり影響を受けた。男の子は大きく大木のような人間にならねばならぬ・・・なんて泰然自若路線を目指していた時期がある。それが企業戦士になって仕事が面白くって寝る時間と酒を飲む時間以外は会社のことを考えていかにすればいい会社になるか??それからいろいろ紆余曲折があって、もともと左っぽかったのが今や完全に右翼っぽい発想になってます。
橋下発言は今度は国連拷問禁止委員会とかいうややこしい組織まで首を突っ込んできてますます混迷度合いを増してます。
国連と聞けば実に立派な感じがしますがやっぱり戦勝国のサークル的な印象が否めない。
国際的な世論の醸成の手法とかもっともっと研究することが日本政府には山積みのような気がします。

2013/05/24

頑張れ橋下市長 3

こういう題名も逆風下ではなかなかしんどい状況ですが、僕はマスコミの論調にしっくりこないので改めて橋下市長を応援していきたいと思います。
怒れるお方々は何に対して怒っているのかと探ってみたら「慰安婦制度が当時は必要だった」という橋下市長の見解が気に入らないらしい。
でも冷静に考えたら今も必要では?と思ってしまう(こういう考えはいけないのか???)
もっと冷静に考えたら生物に雄と雌がいる限りある話だと思う。人間もある意味一種の生き物に過ぎないのだから。

本来は論点を整理して議論がかみ合うようにせねばならない各国のコメントがもう門切り型でかみ合わず、それをまた面白がってややこしくしてしまうマスコミがあって、いったいまともな話ができるのかと思う。(たぶんどこもする気がないのだと思う)

本来はあんまり政治的なことを書くつもりはないブログなんですが、先日からなにか引っかかって、というのは橋本さんの話は僕にはそれほどひどいものとは思えず、笑い飛ばせばいいくらいの感覚だったのが、あんまり周囲が大騒ぎするから俺の感覚がおかしいのかちょっと不安になってきた。
過去にそういう時代があった。従軍慰安婦という国家的仕掛けがあったかどうかは立証されていない。・・・・こういうことを否定的に発言しないと人道的立場から糾弾される。
常に「真に悲しいことですが・・・」という一言をつけねばならない。こういうのってちょっとおかしいと思う。過去を今の感覚で評価することはできないと思っている。その時はその時の感覚がある。

それともっと日本はしたたかに国際社会を生きる術を身に着けないと段々貧乏になりつつある日本人の税金を散財しなくてなならなくなる。


画像は意味深なのを選びました。メタリカの1枚目、これは凄いです。

Strange Days/The Doors

見開きジャケットがアップされてましたので拝借しました。左に写っている女性の略歴まで昔雑誌で読んだ記憶があるのですが・・・もう忘却の彼方です。歳はとりたくないですね。ほんとにこのジャケットはいいと思います。

2013/05/23

Ray Manzarek

ドアーズのレイ・マンザレクが亡くなりました。これは2枚目の「ストレンジデイズ」です。このアルバムジャケットは僕のお気に入りで、右側に1枚目のジャケットで使われたポスターが貼ってあって、なかなか凝ったデザインです。左のトランペットを吹いているおじさんは彼らを乗せてきたタクシーの運転手さんだそうです。
ジム・モリソンの過激なパフォーマンスに比べてクールな感じでオルガンを弾いている姿が印象的でした。ジム・モリソンがなくなったあと残った3人でアルバムも出しましたが当時は買わなかった。今でも買っていないのに気がついた。ちょっと買ってみようかな「フルサークル」とかいうのもありましたね。さらにレイ・マンザレクは映画も作ったはず。
1枚目の方が有名ですが、この2枚目も秀作です。レコードではこの裏のジャケットもなかなかいいのですが、CDではもう全面カットで、当時はレコードとジャケットで一つの表現物なのでCDにする時には無粋なことはして欲しくないといつも思う。

2013/05/22

レイ・マンザレク

ドアーズのキーボード奏者のレイ・マンザレックが亡くなった。1967年のこの1枚で永遠に名前を残すことになった。右から二人目のメガネをかけている人です。
橋下市長マターは大阪市議会で自民党の一人が世界に多大な迷惑をかけたから辞めろと共産党は市民にこれまた迷惑をかけたといって辞職をすすめる。
なんか誰も正式に面と向かってこの問題を議論しないのはおかしいと思うのは僕だけなのかな。話題にすること自体が罪悪のようなタブー視されている気がする。

2013/05/21

戦後はここから

「マッカーサーが来てなあ」というのは僕の母親の口癖だった。なにせマッカーサーが来て新しい世の中が始まった(みたいである)。僕の母親は今のJR当時の省線(国鉄)にいたから下山事件とかスト騒ぎとか戦後のきな臭い世相の実体験者であって事実を聞いていて実に面白かった(思想的なことはほとんどわからなかったみたい)。
基本的な疑問が小学生の頃からあって
戦争に負けたら謝らないといけないのか?
戦争に負けたら買った国に弁償せねばならないのか?
というような素朴な疑問があった。
 
今回のいろんな騒ぎに関して様々な因果関係や理由を考えることができるけれど、結局負けたらいろんな面で苦しい立場になるなあという率直な感想がある。
人権とか・・は平和な時の話題だと思っているから。
今回の橋下市長の騒動は失礼ながら立場の違う噛み合わない人達の水掛け論的な茶番劇に思えてならない。

2013/05/20

頑張れ橋下市長 2

アップした写真は何の関係もございません。
橋下市長がますます窮地に立たされている。評価もこのユンカースみたいに急降下。
よく考えたら立ち話で言った言葉が、世界中を駆け巡って糾弾されるので、やはりそこは立ち話でしゃべる言葉とそれ以外は分けないと溜まったもんじゃないですね。
ただ、そうするとこのあたりの話題は誰も同じ言葉になって誰も本音を言わなくなるように思います。
この話題については、公式見解と本音に乖離があるというのは誰もが認識している。そういう意味で政党維持のために大人しくなるのでなく言いたいことを言って賛同が得られなかったら政界から去るというのが本来のあり方だと思うので持論を展開してほしい。「みんなの党」なんてどうでもいいじゃないですか。
毎日新聞のネットを見ていたら、橋下氏の発言に対するアンケートが集計されていて「妥当でない」が圧倒的でした。
僕はこの「妥当でない」の意味がよくわからない(今までもよく似た事件の批判の内容がよくわからない)で困ることが多い。
こういう話題を今することが妥当でないのか
もともと発言の内容が間違っているから妥当でないのか 本当によくわからない。
なんかマスコミの格好の餌を提供したみたいですね。

2013/05/17

頑張れ橋下市長

橋下市長がまたまた大騒動である。
皆さんの反論はそれぞれ思惑が入り乱れているので額面通りに受け取ることができないけれど。
今回もうちょっと本音の部分を議論したらどうかなと思う。
それと総じて思うのは日本の外交政策の稚拙なことですね。昔からずっと中国、韓国に完全に食われてしまっている。それが日本らしいといえば日本らしいですが。
個人的には橋本市長にはこんなことで辞任せずに徹底的に思うことを言ってもらったほうが面白いと思っております。

2013/05/12

昔の話

昔々毎日大酒を飲んでいた頃、一人で飲むのはさみしいから誰か誘って飲んでいた(誰もいないときは一人で飲んでいたんですけどね)。よく誘った悪友が、給料日のあとか忘れたけれど「今日は僕が出します」と言って大いに飲んだ。その悪友がその日はどういう心境だったのかわからないけれど自分の昔話(青春時代のはなし)をしてくれて、結構面白い人生を送っていた(僕に比べての話です)。同棲時代とか、アルバイトをすっぽかして迷惑をかけた話とかね・・・。その迷惑をかけたアルバイト先が「寿司屋」さんということで、今から誤りに行くと言い出した。何年も経っているので今から行くって???という感じだったんですがずっと気にしていたんでしょうね。それで二人共酔ってるから「行こう」ということになってタクシーに乗ってその寿司屋さんまで行った。そのあとの詳細は省きますが、その寿司屋さんは僕の悪友のことをよく覚えていらして、叱られるかと思っていたら、すごくいい気持ちで迎えていただいた思い出が残っている。
その思い出が(ずっともう25年以上前の思い出ですが)いい思い出として残っている。
世の中は不思議なものでそのお寿司屋さんはあのスティーブ・ジョブスが絶賛したという京都のお寿司屋さんで今や非常に有名になってしまってます。今ではスティーブ・ジョブスの直筆サインが飾ってあるらしいです。

2013/05/10

Kyu Sakamoto

坂本九を知ったのはこの「悲しき60歳」という、どちらかといえばコミカルソングだった。パラキンと一緒に歌っていて僕が小学生だったと思うので1960~62年位の話ですね。「見初めた彼女は奴隷の身・・・」という歌詞で、奴隷という言葉はこの歌で知った。子供の時の印象では正統派歌手とは思っていなかったように思う。ややお笑い系のバンドみたいな。

2013/05/09

sukiyaki

 
 トーネドーズのテルスターが1位になって、それがイギリス人がアメリカのチャートで1位になった2人目だとウィキペディアに書かれている。1962年の話です。そんなことを考えていたら日本人の全米1位というのは後にも先にも「坂本九」のこの「上を向いて歩こう」(スキヤキ)だけです。1963年ですね。リトル・ペギーマーチやポールとポーラやビーチボーイズが大活躍の頃です(そう考えるとすっごいです)。50年前の話。
NHKの番組に「夢で逢いましょう」というのが土曜日にあってそこで今月の歌みたいな感じで歌われていたと思う。他にはジェリー藤尾の「遠くに行きたい」なんかもそうです。
中学1年の頃ですから結構覚えていて、アメリカで1位になって「ゴールドレコード」を渡しに来て坂本九が受け取るところを覚えてます。そう言う意味ではビートルズが1位になる前に全米1位という謳い文句に惹かれていたことになります。
ビートルズが1964年の初めから席巻してアメリカのヒットチャートの状況が変わってしまいますが、それまではどうだったのかということでたいていの本には1963年のアメリカのヒットシーンの解説があって必ず坂本九が出てきますが、分析の対象にはならず、実に珍しい現象として捉えられている。いろんな噂が当時からあってケニーボールが日本に来た時に持って帰って、自分がディキシー風にアレンジして出したとか(イギリスではヒットさせてます)・・・・。
その後外タレがいっぱい来て、たいていの人がKyu Sakamotoの名前は知っていた。

Telstar 3

これがほんまもんのテルスターです。そんなに大きくないですね。
個人的にはトーネドーズよりベンチャーズで知って、そのあとオリジナルがあるということでトーネドーズにたどり着きました。
ベンチャーズには他にも「マリーナ4号」という曲もあったような記憶が残ってます。

2013/05/08

Telstar 2

テルスターって実にそのままのネーミングで丸い人工衛星の見本みたいなものであります。割合早い時期にその通信衛星の機能は故障してしまったけれど衛星としては長いあいだ地球を回っていたらしい。

2013/05/04

TELSTAR

個人的な経験を振り返れば、西洋の音楽(ヒット曲)が僕の知識の中に入り込みだしたのは小学生の高学年の頃からかなと思う。ちょっとずつ気に入った曲が記憶の中に入り込んできた。まず本家というかオリジナルの曲ではなくて日本人が日本語で歌ったもの(翻訳もの?)で入ってきた。ザ・ピーナッツとか他は斎藤チヤコとかですね。その中に歌はないけれど「テルスター」という曲があって、宇宙旅行をしているような、ロケットが上に上に飛んでいくようなそれまでに聞いたことのないような曲だった。テルスターというのは世界で初めての通信衛星だったということで(それを知るのはもっと大きくなってから)ビートルズ以降ヒット曲を聞き出して知識がたまってきたら、テルスターはイギリスのトーネドーズというグループでビートルズ以前でアメリカのヒットチャートの1位に食い込んだのはテルスターだけだという記事も読んだ記憶がある。
それにプロデュースした(というか実際に作ったのはこの人だといわれている)のは後でいろんな意味で有名になったあの「ジョー・ミーク」で、さらに1回前にアップしている今活躍している「MUSE」というイギリスのバンドのマシュー・ベラミーのお父さんがいたという記事を読んで「へえー」と思っている。
それにウィキペディアで調べていたら、もともとシェイキン・オール・オーバーのパイレーツの出身だとか、パイレーツにはあのディープ・パープル初期のニッキー・シンパーがいたとかいろんな情報が飛び交います。楽しいですね。

2013/05/03

MUSE

どこかで「MUSE」というバンドを知り(どこで知ったのか思い出せない。年とともに記憶の巻き戻しが遅くなっている。ただたいていは思い出すから今のところ巻き戻しのスピードが遅くなっている。もうテープデッキの時代ではないですからね)、レジスタンスというCDを買ってよく聴いている。多重録音の境地みたいなサウンドです。