2014/07/31

We Five

1965年の夏のころにアメリカでヒットした「ウィ・ファイブ」というグループの「ユー・アー・オン・マイ・マインド」という曲が入ったLP。
邦題は「恋がいっぱい」という題名だった。一発屋さんの部類に入るのかもしれない。
この歌が流行った1965年の9月の第1週(ビルボード)はビートルズのヘルプが1位で2位にはあのボブ・ディランのライク・ア・ローリング・ストーンが来ている。3位にはビーチ・ボーイズのカリフォルニア・ガールズ(名曲)・・実に楽しい時代です。ウィ・ファイブのこの歌は7位に入ってきたところ。

2014/07/30

KING CRIMSON

ジャケットで売れる・・・というものは少ない。
もうジャケットだけで買ってしまうとしたら「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のアルバムとこれかな。
昔、輸入盤というジャンルがあったころ、飾ってあるジャケットを見て、これっていったいどんなことが詰まっているのだろうと興味津々だった。実にインパクトのあるジャケットです。
ビートルズのアビーロードを蹴落としたということで有名ですが、どのヒットチャートでのはなしかはあんまり語られない。
この絵を描いた画家は残念ながらもう亡くなってます。

2014/07/27

都島区大東町

昔の学生時代の思い出である。確か万博も終わり、1972年の夏の話、ゼミで一緒になった友達が推理小説というかやや怪奇もんのマニアでものすごい蔵書があるという。興味があると言ったら貸してやるというので、家まで取りに来いという。
国鉄(今のJR)の大阪駅の裏(北側)から「大東町」という行先が掲げてあるバスに乗って最後まで乗っていたらよいという。じゃあ行きましょうということで暇を持て余していたんでしょうね・・・えっちらおっちらと出向きました。
大阪市内のバスに乗るということなんかめったになく、珍しいものに出会った感じで窓からの景色も新鮮で楽しかったですね。そんな長くは乗らなかったように思いますが、そこそこ乗っていたら終点の大東町というところについた。丁度角っこのタバコ屋さんが自宅だという。非常に見つけやすく、「こんにちはやってきたで」ということに。
横溝、夢野、木々・・・・わかります????その辺の本をどれくらい借りたかは忘れたけれど、その年の夏休みは怪奇もんの本ばかり読んでいた・・・やや人格がおかしくなった気がする。
結局、大学を卒業するまで借りっぱなしで、1974年の3月にまた大東町までバスに乗って返しに行った。こっちもいろいろやらねばならない(借りたものは返す・・・)ことが多かったので、アポもとらずに行ったので本人には会わずじまいで、その後一度も会っていない。某大手都市銀行に行ったことまで覚えているが、その後の銀行の合併・合併で今なんという銀行かはわからない。
非常に優秀な人物で卒業論文が「粉飾決算の仕方」というまことに大胆な論文だった。
岡崎貫順君元気ですか??

2014/07/25

日本盤ビートルズ

以前にも書いたけれど日本で発売されたいわゆる日本盤のビートルズのレコードがCD化されてBOXセットで出ました。これで僕の頭の中から出てくる次の曲の通りの曲がスピーカーから出てくる環境が整った。いままで違和感があって、ああこれはイギリスのオリジナルか・・とかこれはアメリカのキャピトル盤かとか・・・そういう繰り返しだった。
まあ毎回思うくらい僕の頭の中は日本盤の順番がインプットされているみたい。まあよく聞きましたから。
これを見たら6枚目まで日本盤が出ていたように見えて、実は5枚しかないということは、「フォー・セール」はイギリスと一緒だったのかな?

2014/07/24

Please Please Me

今でもこのジャケットを見ると胸が熱くなる。なんといいますか自分が大人になっていくことを実感する時期に出くわした事象の一つであるからだと思う。なんか自我が目覚め誰が何と言おうとも俺が好きな音楽としてビートルズは飛び込んできた。「これは本物や」とどど~ンと入ってきた。こういう経験はこれだけ、この時期にしか起きない事象だと思う。安っぽいレコードのジャケットですが、ここから始まった。

夢みるビートルズ

どういうわけかこのシングル盤をもっている。実際に当時レコード屋で買った。ほかに買うべきものがいっぱいあったはずなのにこれを買った。理由は既に記憶にない。
この2曲はそこそこヒットしたはずで、その後消えて行ったように思う。まあどう考えてもこうタイミング重視のヒットではつぎ出すのが難しいですわ。
でもその後どういう人生を歩んだのか興味があります。今のネット社会でも情報が少ないです。

2014/07/20

CSNY

このレコードが出てきたのは1970年の夏のことだったと思う。ウッドストックのテーマソングとともに。
確かこのレコードが出てきたときくらいに、親戚のおじさん夫婦を伊丹まで迎えに行って豪華にタクシーで帰ってきた。丁度万博が終わりに近づいてきたころで、駆け込み寺みたいに親戚が押し寄せてきた時期である。その頃は茨木に住んでいた。
今から考えたらこんなカントリー調の音楽をなんで好きになったのかわからないけど、これはよく聞いた。バーズのデビッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのステファン・ステルスそれにイギリスからあのバスストップのホリーズのグラハム・ナッシュのCSNになぜかニール・ヤングがついてきた。その結果CSNYになった。結局息長く活躍するのはついてきたニール・ヤングだったのですが。
デジャヴという言葉もこのレコードで覚えた。最近の子もデジャヴという言葉を知っているけれどどうも知るきっかけになったのは違うみたい。
この年の秋に「いちご白書」という映画が封切されて、その映画のなかにこのレコードから使われたような記憶がある。アワ・ハウスとかね。なんか青い目のジュディもかかったような・・・もう忘れてしまいました。
厳密に言えば、CSNYの他の2名の名前もちゃんと大きく書かれてます。ダラステイラーともう一人は忘れた。

2014/07/19

LAST KISS 2

これが日本で出たときのシングル盤のジャケットです。はっきり言って一つ昔の世代の髪型で多分このジャケットでは買い手がつかなかったと思います。それほど若い感じもしないし、レコード会社ももうちょっと配慮したらよかったのにと思いますなあ。これでは売れへんで。

LAST KISS




1964年の終わりころになるとビートルズブームもようやく沈静化してきてビートルズ以外のヒット曲にも目が行くようなって、12月頃のヒット曲は今でもよく覚えている。ゲール・ガーネットの「??(日本の題名が思い出せない・・・)」とかローン・グリーンの「リンゴー」とかフランク・ウィルソンの「ラストキッス」とか、さらにニュービーツという3人組の「ブレッド・アンド・バター」という曲も印象深かった。まあこの曲は名曲の範疇ではないですが変に印象に残った。ユーチューブで聞けます。
「ラストキッス」はいい曲で絶対に日本でもヒットすると思っていたけれど意外と受けなかった。シングル盤を買いそびれてしまい、懐かしのヒット曲というようなオムニバスのレコードにもなかなか収録されずラジオから録音したテープばかり何年も聞いていた。レコードを手にしたのはずいぶん経ってからである。
全米1位のというのはやはり勲章であるらしく、「Last Kiss」で検索するとすぐ引っかかてくる。ただし、この単語は同名異曲がいっぱいあって、さらに小説とかドラマでも使われている感じです。だから見つけるのは大変かも。
ただ今ではパールジャムの演奏の方が有名で彼らのおかげで元の歌も復活してきたようにも思える。昔9500万人のポピュラーリクエストの小島さんが訳してくれた記憶がありますが交通事故で彼女を亡くしてしまう寂しい歌だったように記憶している。なんかパールジャムと合わない気もしますが意外といけます。
これもまたユーチューブで結構あります。

2014/07/18

Johnny Winter

ジョニー・ウィンターが亡くなった。見るからに大丈夫かなという感じになってましたが、意外と元気に座りながらですがギターを弾いていたので安心していたのですが。何時だったかもう忘れてしまいましたが鳴り物入りでデビューして100万ドルの契約金とか言われた思い出があります。
一番気に入っているのがこのライブで「ブルース+ロックンロール」で何時聞いてもスピード感、躍動感・・素晴らしいです。
以前にも書きましたが、このアンドというネーミングの中にリック・デリンジャーが入ってまして、さらにドラムスはボビー・コールドウェルだったと思います。
ある意味ツイン・リード・ギターです。凄いです。
このライブでジョニー・ウィンターの声でハング・オン・スルーピーやってくれていたら最高だったように思います。ないものねだりですね。
ご冥福をお祈り申しげます。だんだん僕の好みのミュージシャンが減っていきます。

2014/07/14

W杯終わる その他

W杯の決勝が終わり、また元の日常に戻る。サッカーなんて4年ごとにしか見ないけれど今年はよく見た。面白かった。素人なりに思ったのは日本は個人個人がまだまだだと思ったことである。ヨーロッパに行っているから一流だとまあ単純に思うのは早計のような気がした。さらに数人のスターでは無理、11人が一流である必要が・・・、ドイツもアルゼンチンもみなさんすごかったように思う。
話は変わるが滋賀県の知事選が元民主党の議員になった。これで3期連続で民主党系である。
まあ今回は民主党とは縁が薄れた感じを強調してましたけど。(民主党が勝利者の顔でインタビューに出てくるのは全く解せない。消えてなくなるべき政党のくせに)
新幹線も停まる予定が覆され、僕は全く評価していない。新幹線の駅があれば新しい展望も考えることが可能だったと思うけれど、いまは何にも新しい展望は出て来ない。交通のインフラはあればあるほどいいということが分かっていない。もったいないだけでは地域は活性化できない。
集団的自衛権は地方の選挙には不利ですね。時期が悪かった。
安倍さんは理論では筋を通したけれど、国民の感情は不安を増長したわけで、難しいです。
経済成長だけ目指して頑張りますので何かあればアメリカさん守ってください・・・というのが国民の総意かもしれない。いつまでアメリカの国力が持つか??

ララミー牧場

昔々テレビの黎明期に「ララミー牧場」という番組があって、番組の最後にあの淀川長治さんが「サヨナラサヨナラ」といってお別れしてました。このあと日曜洋画劇場で地位を確立されてしまうことになります。右の「ロバート・フラー」という俳優さんが日本でものすごく人気が出て来日した時はえらい騒ぎになった。当時の首相(確か池田隼人さん)に会ってますから(滅多にそういうことはないです)大騒動であったことがうかがい知れます。
僕もコルト45を買ってもらった記憶がある。当時370円いまならどのくらいの価値でしょうか?
勝手に推測すると、当時の父親あたりの給料がたぶん4万円くらいだったように思う。30歳くらい。今なら30万もらっていないですね。もう少しいい時期だったとして。3000円くらいものを買ってもらった。僕にしたらぜいたく品だった。もう周りがすべて「ガンブーム」で買ってやらんとあかんと思ったんでしょうね。

2014/07/13

耳をすませば

今話題の号泣議員さんですが、本当によくこんなもの思いつくなと思うくらい楽しいものが多いです。今週はこの人で思い切り笑わせていただきました。
城崎温泉に頻繁に通われていたみたいですが、あれだけ行っていたらJRの車掌さんが絶対に覚えているはずですよ。しかもグリーンで。昔城崎温泉より少し手前の和田山というところに仕事で毎週行っていたことがあって、その時車掌さんも同じ列車を担当されることがよくあるみたいで、時々世間話をするようになりましたから。
まあ議会の調査では無理なんでしょうね、警察がその気になったらすぐですわ。
それとこの人、活動費年間600万以外にお給料に該当する報酬を多分年間で1000万以上もらっているはずですが、それは返還させないのですか?本当に働いていたのかはなはだ疑問なんですけど。

2014/07/12

The Fugitive

これもシャーリー・ナイトがお若いときに「逃亡者」にゲスト出演したときのワンシーンです。白黒画像って好きですね。

2014/07/08

Diane Baker 2

おばあさんになっても映画に出てきて懐かしいと思った人がシャーリー・ナイト以外にもいたよなとかなりぼけてきた頭をフル回転して思い出したのがこのダイアン・ベーカーさん。サンドラ・ブロックの主演していた「インターネット」という映画に確かお母さん役で出ていた。
このダイアン・ベーカーも60年代のテレビドラマのゲストとして大活躍して、映画もショーン・コネリーの「マーニー」とかグレゴリー・ペックの「蜃気楼」とかさらにシネラマの「ジャワの東」と僕が映画館でも見たけでも結構あります。
ちょっと清楚なイメージ路線で素敵だった印象があります。

2014/07/04

Shirley Knight 2

これが最近のシャーリー・ナイトさんです。かなり大きくなられてますが可愛らしさは残ってます。
ウィキで調べたら僕がテレビで見始めた頃には既にアカデミー賞にノミネートされたり有名な俳優さんであったようです。映画でスタートしてテレビさらにブロードウェイそして映画と常に活躍されているようです。確か恋愛小説家だったですか、あの時に久しぶりに会ったという気がしたのを思い出しました。

Shirley Knight

シャーリーナイトという女優さんがおります。多分80歳手前ぐらい。1960年代のテレビ番組にはいろんな番組にゲスト出演してました。映画の方でも大きな賞をもらえそうな手前まで行ったことがあったと思うのですが大スターまではいかなかったように思います。ただ今でも結構出演している番組はあってIMDBで見たらかなりの量をデータをスクロールしなければなりません。
次回は今のお姿をアップしたいと思います。

2014/07/03

FERRY CROSS THE MERSEY

昔、マージー河のフェリーボートのホームページを見たらこの曲がかかっていて驚いたことがある。まあ定番と言えば定番なんでしょう。マージー・ビートと言われたビートルズを先頭とするリバプール勢のなかでもリバプールとマージー河が強力に結びつくジェリー・マースデンです。以前にも書いたことがありますが残念ながら今もってDVDが出ていません。ユーチューブで断片的に見れます。

2014/07/02

集団的自衛権

集団的自衛権の行使とかいう法解釈が決議されていろいろと新聞で説明されている。正直なところこういう場合には今までは「×」だったのが今度は「〇」になるというような説明が多い。変な話、今までの「×」だったのがおかしいのではと僕は思ってしまうのですがおかしいのかな。
たとえば北朝鮮にミサイルを発射された日本を”間接的”に守りに来たアメリカ軍が攻められているときに今までは日本は援護出来ないというようなことが書かれている。間接的というのがややこしい。
反対する人が「もっと賢く立ち振る舞って他人の軍隊で日本を守ってもらったらええですやん」という「したたかな作戦」をとるべきだというのならそれもありかなと思う。まあ守ってもらう同盟国の中ではかなり肩身が狭いと思いますが・・・。
ただ憲法の解釈から出来ないという論点なら、いまいち説得力に欠けると思う。
それなら憲法を変えましょうというのが正論だと思うのですが、憲法を変えるというのが即戦争というなんというか決まり文句みたいな論調も理解できない。
戦後緊急事態の即席ラーメンみたいな憲法なんだからじっくり自国民で練ったものを作ったらどうかと思うのですが、そういうことも憚れる変な雰囲気がありますね。不思議です。
永世中立といって強力な軍隊を持っているスイスもしたたかに生きているし、そういう意味では金は出しますので軍隊は出せませんという国としてのスタンスも有効とは思いますが、今の議論を見ているとかみ合ってません。

2014/07/01

you'll never walk alone

サッカーを見ているとこの歌を思い出す。なぜかこの歌を歌うクラブチームのファンが多い。もともとミュージカルで歌われていたらしく、御大リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世のコンビの作品らしい。フランク・シナトラも歌っている。
ただ何と言っても有名になってしまったのはなんとジェリー&ペースメーカーズというリバプール出身のビートルズの弟分と言われたグループであります。
ビートルズが彼らのために用意されたデビュー曲を気に入らず、自作の「ラブ・ミー・ドゥ」に決めたことによりその曲(ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット)が彼らに回ってくる。見事全英1位のヒットになる。その後もコンスタントにヒットを出すが、ビートルズに比べて自作が少なく、ビートものからバラードまでなんでも歌っていた。まあこのことが次のロックの時代には行けなかった理由だと僕は思っているけれど、それはそれなりに存在感があって特にリーダーのジェリーマースデンは今でもリバプールでは人気者らしい。特にサッカーチームのリバプールのスタジアムでこの歌を歌うシーンはなかなか圧巻であります。(ユーチューブで見れます)
それとウィキに書かれてますが、ピンクフロイドの「おせっかい」のA面のフェアレスという曲にサンプリングされてます。その時は分からなかった。こういうのは楽しいですね。