2014/09/30

KAIDOU

年甲斐もなくワンピースをよく読む。僕みたいなななめ読みが得意な人間にはこのコミック(漫画)は難儀である。その後のストーリーのキーになる伏線が非常に小さなコマ割の中に埋められていることが多いからである。細心の注意をもって読んでいかないとその後の展開についていけないことがある。

2014/09/28

RAMATAM 2

この2枚しか出ていないので集めるのは簡単ですが、実質は左の1枚だけです。右のはエイプリル・ロートンを中心になんとかまとめたものらしい。

2014/09/27

RAMATAM

昔、ジミヘンが亡くなって残ったドラムのミッチ・ミッチェルは「ラマタム」というバンドを作った。リードギターは当時では珍しい女性のエイプリル・ロートンという。
ただすぐこのバンドは空中分解してしまい。エイプリル・ロートンという女性はその後この世界から足を洗ったみたいでほとんど情報がなかった。残念なことにウィキペディアによると既に亡くなったみたいである。

2014/09/26

宇沢弘文

宇沢弘文さんが亡くなったそうである。ずっとノーベル賞候補で結局亡くなってしまわれた。なかなかの変人でいらしゃったらしく、残念がら東大に行けた人しかその容貌はわからない。
この人の代表作は本来なら難しい専門書になるのでしょうが、岩波新書の「自動車の社会学」?とかいう新書が滅茶苦茶有名です。
僕は1974年に広島のマツダに入社したので丁度そのころに出た本だと思います。車の社会的費用??車のために人々は横断歩道を渡らないといけなくなった。
車のもつ便益と車から蒙る不利益云々
なかなか厳しい話でした。こういう見方もあるのだと思いました。
当時、マツダに努めておられた方で車社会はいらないのではというような論文を書かれて、それが引き金となって辞められた出来事が新聞で話題になった記憶もあります。
車会社に勤めていてその論文はないやろというのが会社の主張で、「ごもっともごもっとも」のはなしですが、本音そんなに深く生き方を考えて就職したわけでないというのが、就職した人間の本音かなと思います。
僕も、当時車は大丈夫やろという単純な発想でしたから。あんまり深く考えたことなかったです。深く考える頭があれば学者になってますかね???
なぜこの宇沢さんが記憶に残っているいるかと言えば、僕の父が鳥取の米子の出身でご本人は幼少の折に東京に引っ越しされたそうですが、米子の生んだ最大の天才の誉れだったらしい。
「この人はノーベル賞をもらうはず」といつも親父が言っていたので覚えてます。
意外ともらうはずと長年言われ続けるともらわないのですよね。村上春樹も危ないかも。
合掌。久しぶりに岩波新書を散りだして読んでみますか。

2014/09/25

ダイエー 2

ダイエーってはじめ聞いたとき、もうちょっとアメリカっぽい名前がなかったのと思いませんでしたか?〇〇マーケットとかウォルマートとかやっぱりかっこいい名前ですやん。漢字でかいたら「大栄」です。しかもカタカナです。ショッピングセンターはなんかアメリカに行った気がしたけれど名前が「ダイエー」って???めっちゃ違和感ありましたね。でもそんなことはどうでもいい話だったのでしょう。
ただなんというか違和感まるまる押しつけの存在感ってありました。
松下との抗争も面白かった。天下の松下に喧嘩をふっかけるなんて中内さんしかできなかったように思います。
結局借金の多さが命取りになっていきますが、そういう目で見ればイオンさんも結構借金多いでっせ。

ダイエーの名が消える?

ダイエーの名前が消えそうである。イオングループの傘下に入ったことは知っていたが、上場廃止をして完全に取り込んでしまうみたいである。
別に中内さんのファンでもないけれどなんとも言えない気分であります。昔「カリスマ」という本を読んだことがあって、戦時中の飢餓から十分に国民が食べられるようにしたいという一念で起業したようなことを読んだ記憶があって、価格破壊とか流通の革命児とかいろいろ言われたけれど、国民が豊かになった(おなか一杯食べられるようになった)段階で中内さんの使命感の本質は終わっていたのかもしれないなと思っている。
茨木に住んでいたころ阪急の茨木駅からえっちらおっちら歩いて買い物に行った(当時は車なんてなかったから)。なんか新しい時代が来たような気がした思い出がある。もうジャスコ(イオンの前身)なんかより数段上のクラスの企業だと思っていた(まあ当時はそうです)。
知り合いに当時中内さんの側近だった人がおりますが、もう一日一緒にいたら精気をすべて吸い取られてくたくたになったと言ってました。大変な人だったみたいです。
なんか惜しいですね。惜しいけれどだれも再建できなかったですから仕方がないのでしょうね。
ただ、これから100年後ではイオンの名前は忘れられているかもしれないけど、ダイエーの名前は残っているような気がする。それくらいカリスマ性があった。

2014/09/24

QUATERMASS

この空飛ぶ恐竜(プテラノドン)がジャケットに出てくるクォータマスというグループもどちらかと言えばディープパープルの残党の周辺に出没するグループでミック・アンダーウッドがいた。

2014/09/23

WARHORSE

ディープ・パープルの第1期のメンバーだったニッキー・シンパー(ベース)が脱退してまず結成したバンドがこの「ワーホース」というバンド。結構気に入ってます。変な言い方ですが、辞めてすぐこれぐらいのレコードを作れるミュージシャンがイギリスにはそこそこいる時代になっていたということの証だと思う。
ビートルズ、ツェッペリンというような固定メンバーのバンドとある1人の有名人が作る即席(とまではいかないけど)のバンドで当たれば続けるというバンドとが共生する時代になった気がする。
結局、ディープ・パープルもイアン・ギラン(+ロジャー・グローバー)を加入させて今の地位を築くきっかけになり、その後イアン・ギランは辞めたら、昔からの仲間とイアン・ギラン・バンドとかいう適当な名前で稼ぐようになる。そんな現象がいっぱい出てきて、知ったミュージシャンがいろんなバンドに出ては消えするようになった。
まるでジャズのレコードみたいになってきた。

2014/09/21

CAPTAIN BEYOND

ディープ・パープルっていうバンドは紆余曲折がありながらハードロックの代名詞みたいなバンドの地位を得た。いったい誰がキーパーソンだったのだろう。「インロック」というアメリカのラシュモア山の大統領の彫刻?をもじったジャケットのアルバムから路線が確立するがそれまでは試行錯誤で、ただややこしいのは試行錯誤中にそこそこヒットするから邪念が付きまとったように思える。
路線が確立したのは、ジョン・ロード、イアン・ギラン、ロジャー・グローバー、イアン・ペイスにリッチィー・ブラックモアという5人でここに来るまでにロッ・ドエバンスとニッキー・シンパーが辞めている。
イアン・ギラン、ロジャー・グローバーの代わりである。
ボーカルだったロッド・エバンスが結成したバンドがこのキャプテン・ビヨンドでマニアの評価は高いけれど、僕にはちょっと苦しい。時々聞きますが・・・・。
僕にはニッキー・シンパーの作ったワーホースの方が聞きやすいかな。
このバンドはもう一つ話題があってドラムがジョニー・ウィンター・アンドのあのボビ・ーコールドウェルだということです(やわなボーカリストではありません)。
不思議なことに今のディープ・パープルよりこちらの方が書き込みが多そう。まあ薀蓄を傾けるのにはこっちの方が楽しいですもんね。

2014/09/20

HARD STUFF

前回書いたストラップスというバンドにいたミック・アンダーウッドという人物のような、メジャーになれなかったイギリスのハードロック系人脈に常に出てくる人物が結構おります。そこにディープ・パープルのロジャー・グローバーやイアン・ギランが絡んでというか、彼らの加入でディープ・パープルを追い出されたロッド・エバンスや一緒に出て行ったニッキー・シンパーたちも出入りしていて面白い。このハード・スタッフというバンドのジョン・グスタフソンもその一人でいろんなところに名前が出てきます。この「HARD STUFF」の時の2枚目のこのジャケットは気に入っております。1枚目は月並みでしたが。
ただね。やはりB級と名前を付けられるだけあって、レコードでいえば片面1枚を通しで聞くのはしんどいことが多いです。

2014/09/19

STRAPPS 2

これが1枚目、日本のキャッチコピーは何だったかな??調べてみます。
「貴婦人たちの午后」っていうものでした。なかなかいいですよね。これがグラムロック風テイストです。
これっていいジャケットでしょう?

2014/09/18

STRAPPS

これもよくわからないジャケットでモデルは2人なのかな。
サウンドは今一つ吹っ切れてなかったような気がしました。吹っ切れていないというか初めはグラムロック風であとはディープパープル路線みたいになった。
これは4枚目で、ジャケットとしては1枚目が秀逸です。ただ1枚目は今10万円くらいの値段がついてまして根拠が分からない。聞いたら(ある意味)泣きますよ。僕の感覚では1000円くらいの値打ちかな。まあこれは好き好きなんで。ただなんで10万????
ババ掴みは誰なんだろう。業者かあほな浮かれたマニアか?音楽的にはそれほどの価値なしです。
今から考えたらミック・アンダーウッドがいたバンドとして名前が残ることに。

2014/09/17

JORGE SANTANA

このレコードは今でも中古屋さんで手に入るのだろうか?
あのブラック・マジック・ウーマンのカルロス・サンタナの弟さんのレコードです。

2014/09/16

E.C was here

ややこしいレコードジャケットに戻りまして、これはクラプトンの「E.C was here」というアルバムの裏です。

2014/09/15

イスラム国

突然イスラム国という名称が出てくるようになって「どこの国」と思う人が多いと思う。さらに真偽のほどはわからないけれどイギリス人の人が処刑されたというニュースでますますややこしくなりそうである。イギリスの首相はスコットランドの独立問題にこのイスラム国問題で頭が痛いと思う。今の首相って誰だっけ??
このようなニュースを見るにつけ、どうしてこんな危ない国に行っているのだろうと思うのは僕だけだろうか??なんか先日の日本人はどうなったのだろう?もういろいろ事件が多くって把握できていないことが多い。
昔、日本人の3人が同じように拘束されて無事に帰ってきた事件を思い出した。小泉さんの時だったですね。あの時結構「なんであんな危ない国に行ったんや?」という意見が多く、「自己責任」論が華やかだった。
僕もあんまり深く考えたことはないけれど、基本的には「自己責任」派なんだと思う。あの時の家族の態度って実に不愉快だった。今まで被害者の家族の態度に不愉快な気持ちを覚えたのは後にも先にもあの時だけだったように思う。なんか怪しげな3人だったし。

李香蘭

李香蘭さんが亡くなっていた。
「りこうらん」とインプットすると「李香蘭」とすぐ出てくるくらい固有名詞になっている。この本が出た時にすぐ買って父に「先に読む?」っと言って渡した。僕より親父の方が時代の知識が豊富だから結構早く読んでしまった。僕はやはり座学上の知識なので地理的な話や歴史上の事実の認識なんかで読破には時間がかかった。
事実は小説より奇なりと言われますが、本当にこの人の人生は時代に翻弄されて小説以上のような気がします。さらにイサム・ノグチ氏と結婚していたという事実も驚きでした。
現代の日本を見て何を考えていたのでしょうか? 合掌。

2014/09/14

MONTROSE 2

もう翌日と言わず載せちゃいます。

MONTROSE

おんなじ路線のジャケットを思い浮かべていたらモントローズのこれを思い出した。4枚目くらいだったかな。1枚目は衝撃でしたが、これはジャケットは刺激的でしたがサウンドはやや物足りなかったです。
これはひっくり返せばまた楽しいジャケットで翌日にアップします。

2014/09/13

FLASH 2

これが2枚目、3枚目はどんなんやろ?って楽しみになりましたが、3枚目は別の世界になりました。
個人的な希望を言えば、1作目と2作目のモデルさんは同じで3作目で拝顔できるというのがドラマティックかなと思ってたんですがね。
でもこれはCDよりレコードの時代の産物です。

FLASH

YESのお仲間というか、元祖YESというか、初期のYESの功労者であったピーター・バンクスが脱退して結成した「FLASH」というグループの1枚目、前回がキワモノっぽいジャケットだったので今回は品のある??お色気っぽいもののジャケットを探しました。でもこのジャケットはなかなかいいです。いやらしくなく。そうそう、この時はキーボードにトニー・ケイもおりました。

2014/09/12

BOXER

いわゆるB級ハードロックバンドの一つの「BOXER」というバンド。ジャケットだけで売れた??
本当のところはある意味スーパーバンド?B級マニアではB級スーパーバンドなんでいくらでも薀蓄を傾けられるのですが、ここではやめときましょう。僕も持ってますが・・・。音????うーむどう表現したらいいのだろう?ごっちゃ煮っぽいかな。このモデルさんもこのレコードが当たったら超有名人になれたのでしょうが・・・・久しぶりに聞いてみますか。意外と地味だったはず。

2014/09/11

昔々の話

今日は昔一緒に仕事をしていた元同僚と久しぶりに一緒に仕事らしいことをした。どちらも独立して何とか食っているのでまあ僕のお客さんに紹介したわけです。
昔一緒に仕事をしていた時の思い出話をお客さんの前で披露するので何を言い出すかやや心配でしたがまあ無難に終わりました。なんせ話に尾ひれをつけるのが得意なお方ですので・・・・実に心配でした。(何を言い出すか)まあ不安だということは昔あんまり立派な行いをしていないということですな。二日酔いでよう会社をさぼりましたから(迷惑をかけました)。いまとなれば懐かしいです。
アップしたのはその元同僚の唯一の著書です。はたして何冊売れたのだろうか?

2014/09/10

Hang On Sloopy

「ハング・オン・スルーピィ」という曲がアメリカで1位になったのは何時のころだったのだろう。次の曲も「フィーバー」といって1位にならなかったけどヒットした。日本版のジャケットは残念ですが覚えてませんねえ。あの御大リック・デリンジャーがいたバンドです。

2014/09/09

ピコラエヴィッチ紙幣

前回の島田商会云々は「ピコラエヴィッチ紙幣」という小説を読んだことによる。城山三郎の経済小説大賞というのを受賞した熊谷敬太郎という人の小説で面白く読んだ。まあ面白くというのが適切な表現かわかりませんが。歴史に埋もれてしまわない個人の活躍ってやはり惹くものがあります。

2014/09/06

悲しみのマスク

昔偶然見て妙に印象に残ったので保存しておいた画像です。極東ロシアのマダガン州というところにある。ここにコルイマ金鉱というのがあって、昔この金鉱で亡くなった方々への哀悼と意味があるとか、またここからシベリアに抑留されていった人々の出発地点だったからその人々に対する哀悼とかいろいろ書かれてあるが、つまりは本望でない死を遂げられた方々への悲しみが表現されていると思ってます。
目からあふれ出る涙が人の顔をしており実に摩訶不思議な気持ちになります。
昔、アムール川の島田商会のことを調べていた時に偶然これを見つけた。尼港よりまだ北の方です。

マドリッドで乾杯 4

このDVDがない。英語版もないらしい。昔出ていた(ビデオか?)らしいのでそれをダビングした非正規版みたいなものは出回っているという書き込みを読んだことがあるがそれも最近は見当たらない。なんか見れないと思うと余計に見たいなあと思ってしまう。

2014/09/04

Ann-Margret

アン・マーグレットのこういう姿は珍しく、映画俳優というより、歌って踊れる女優さんという感じで純粋な女優として出演するのは後半になってからのような気がする。初めはどこかで歌や踊るシーンが入っていた。そういう意味からも実に健康的なワンショットであります。

2014/09/03

マドリッドで乾杯 3

3人ともお若く可愛いです。撮影されたのは1964年ということなので東京オリンピックがあった年です。

2014/09/02

マドリッドで乾杯 2

あの頃のポスターは見ていてなかなか楽しい。というか最近は映画館のポスターが街角に貼ってあることがなくなった。昔は小さな町にも一つくらいは映画館があって、映画館が必ず公開中の映画を宣伝している決まった場所があった・・ように思う。そのポスターを見て見に行きたいなと思ったものである。だからもうポスターなんて作っていないのかもしれない。

2014/09/01

マドリッドで乾杯

「マドリッドで乾杯」という映画を見たのは1965年のことだったと思う。左からアンマーグレット、パメラ・ティッフイン、キャロル・リンリーの3人。この3人がスペインのマドリッドに行っていい男性に巡り合いたいというまあごく単純な映画だったように思う。この3人を見に行ったので正直ストーリーなんかどうでもよかった。この時点ではアン・マーグレットはそこそこ売れっ子で当然ながらメインの地位だっと思う。あとの2人がこれから売り出しという感じだったように思うけど、実際はキャロル・リンリーはもう子役時代から有名だったのはその頃は全く知らなかった。パメラ・ティッフインはその後ポールニューマンの「動く標的」に抜擢されてさあスターダムにと思ったけれどあんまりそれ以降目立たなかった。なかなか大スターになるのは難しい。でもこの時の3人は可愛いです。