2015/10/31

きみの家

昔々、大学を出て広島に3年間いたことがある。昔の広島空港(今は閉鎖されている)の近くの観音新町というところの寮に住んでました。
総合グラウンドという名前の陸上競技場から野球場まである施設があって、そこによくサンフレッチェの前身の東洋工業のサッカー部の応援にさくらで行ったこともある。
3年間の生活は僕にとってあんまり楽しいものでなく、早く大阪に戻りたいなといつも思っていた。「住めば都」という諺がありますが、僕にはしっくりこなかった。僕の思っていた広島という町に対するイメージとのギャップが大きく、それが退職の本音かもしれない。だから会社がどうのこうのというのでなく、広島の町が僕にはあわなかったような気がする。一生ここで暮らすのはいやだなと思ったのが一番の理由かもです。
その後、次に勤めた会社が面白く、そうなると「仕事が面白かったら住むところなんかどこでもええやん」という気持ちになった時がちょっとだけあったけれど、基本的には仕事のために転々とする生き方って気に召さない性格です。そこまでして働かんでもと・・・ベースは関西でと思っている。
そんな気持ちの毎日でも寮生活は楽しいことも多く、近所の「きみの家」という鉄板焼き屋さんは気に入ってよく通った。アップしたのは7年前に近くまで仕事でいった時に撮った写真で僕が通っていた時はもっとぼろぼろの民家みたいなところでかえって風情があった。トイレも外まで出ていかねばならずなかなかのもんでした。
ビールと豚焼きと焼きそばが僕の定番だったような気がする。値段は覚えていない。なにせ手取り5万円くらいの時代ですから。

2015/10/30

MAZDA

マツダのロータリーエンジンが復活するみたい。
燃費が悪いということで泣く泣く消えていく運命かなと思ってましたが、どういう風に改善されたエンジンで出てくるのでしょうか?楽しみです。
サバンナに乗っていたことがある。あの頃のロータリーは燃費だけでなくオイルもかなりよく食って、正直まだまだの感があった。
最近のマツダはのっている感じがします。会社に元気があるというのはいいことですね。同期はほぼ引退してしまいましたが。

EAGLES

このベスト盤は正確にはイーグルスのベスト盤ではなくって、例の「ホテル・カリフォルニア」が出る前に編集されたベスト盤です。
ただ、このベスト盤は評判が良くて、イーグルスが解散した後に編集されたベスト盤より売れている。曲の構成・編集がうまくかみ合っていて、僕も個人的にはこのベスト盤とホテル・カリフォルニアのLPを持っていればいいと思っている。
ここに入っている「呪われた夜」はいいです。

2015/10/28

Carly Fiorina

HPのCEOだったカーリー・フィオリーナ女史?が大統領候補に残っている。しかも共和党・・・共和党ってめっちゃ保守的思考ではなかった??
でも、正直アメリカのことはよくわからない。
特に大統領選挙はなんかイベントみたいな感じで、政治能力よりもマスコミ受けする方がよさそうにも思える。
でもこのフィオリーナさんは共和党の代表には選ばれない感じです。
ヒラリー・クリントンのとの一騎打ちにでもなればもっと話題になるのでしょうが。

2015/10/25

Stuart Adamson 2

自殺というのが気になったので、(同時にイアン・カーティスを思い出した)もう少し詳しくネットで調べてみる。アルコールの飲みすぎという記事が多い。ただイアン・カーティスは残っている映像をみても「さもありなん」という感じムンムンですが、スチュアート・アダムソンはいたって健康的?(攻撃的?)なギターアクションとボーカルで、ちょっと情熱すぎるかなと思わないことはないけれど、疲れたのかな。
ギターのカッティングがソリッドで実に小気味よい。それとユー・チューブで見ていると、リード部分がステージの左の人とコロコロ入れ替わるんですね。リードギター担当、リズムギター担当というような昔のベンチャーズのような分担ではない。見てて驚きです。
見方をかえれば、ショウビジネスのステージではなかったのかもしれない。ユーチューブに残された映像を見ていたら、なんか切実感を感じるものが多いから。
なんか今日一日惜しいなあと思いつつ過ごした。

2015/10/23

Stuart Adamson

1980年代のバンドはあんまり覚えてなくって、CDもあんまり持っていない。先日から手元に置いてあるCDを奥にあるCDと入れ替えたら、こんなのいつ買った??というようなものに出くわす。もう末期的な症状ですな。
「BIG COUNTRY」というバンドのリードボーカルだったStuart Adamsonが自殺したという記事を読んだのは何時だったんだろう??
ほとんど印象に残っていない80年代のミュージシャンのなかで僕の記憶に残っている数少ないミュージシャンだった。
ケルト風のギターが印象的で結構ヒット曲も多かったCDも10枚くらい出ていた。
もともと偶然テレビで見た映像が恰好よかったのでCDを買った。「THE TEACHER」という曲が気に入ってそればかり聞いていた。

2015/10/22

海賊ガラクータ

海賊はガラクータでした。左から2人目。
なんか起こると怖かった記憶が残っている。
「キジルシキッド」も今は禁句なんでしょうね。
さがしていた宝物は何だった?のだろう。
ヤッホー、ドタバータ、トウヘンボクが後の3人だということですが
もう誰が誰だか覚えてません。

2015/10/20

ひょっこりひょうたん島

ひょっこりひょうたん島という人形劇がNHKで始まったのは確か僕が中学2年になる時で、1964年という年はビートルズと東京オリンピックで僕の今の精神構造にかなり影響を与えている。よく考えたらこの人形劇にもかなり影響されたかもしれない。さすがに後半(1969年まで放映された)はあんまり見ていないけれど、センターバック・スコアボールド・ランニングホーマーという名前を憶えているから、あれはかなり後半のはず、魔女リカとか、やっぱり海賊の若山源蔵(この字かな?)さんの声の誰だっけ??出てこない・・
「バビロンまでは何センチ?20センチ、20センチ、ろうそくともしていけますか・・・」今でも歌える。
この写真の右上のお医者さんは途中でいなくなった。

2015/10/19

TREES

昨日の続きです。
ネット社会は本当に便利で昔の写真までアップされている。ほとんどのメンバーは2枚のレコードをだして引退したみたいですが、一番左に写っているBias Boshellという人は結構その後もバンドを転々として活躍したみたいで、ムーディ・ブルースやなんとバークレイ・ジェームズ・ハーベストなんかのライブにも参加していたようである。
あと驚いたのはむかし「カサブランカ」というバンドが1枚レコードを出して消えていった記憶が残っていたんやけど、そのメンバーだったとは驚きました。さすが和久井光司さんの解説です。
                               
 
このジャケットもなかなかいいでしょ。

2015/10/18

ジャケ買い

レコードの時代、「ジャケ買い」という言葉があった。もうレコードの内容はわからなくっても(要は聞かなくても)買いたくなるジャケット。
この「TREES」というグループのこのレコード、中古屋さんで今ならいくらするのだろう。昔8万円というプライスを見た記憶がある。CDは普通の値段で手に入りますからご安心を。
中身は意外とという表現がいいのかわかりませんが、もっと評価されてもよかったアルバムだと思う。いわゆるブリティッシュ・トラッドで個人的にはペンタングルやフェアポートよりも好きですね。
ジャケットがヒプノシスというのも伝説化される要因かも。
ただ、このジャケットなかなか不気味で、この少女がいくつかわからないほど老けて見える。しかも裏のジャケットになるともっと不気味で怖い。オリジナルのレコード・ジャケットを見てみたいですが今となっては無理ですね。
                                                                              
 
 
これが裏の写真です。足と首の位置関係が不可解でしょう?
 
 
 


2015/10/17

peach

初めてLCCというものに乗った。千歳から関空まで。噂に聞いていたが、それはそれは満員で詰め込んでいるので、たとえは悪いが昔の奴隷船に揺られている感じだった。
ただ飛び立って寝てしまえばそれほど狭いとは思わなかったけれど僕には1時間半くらいが限度ですね。
最悪だったのは関空についてからで、予定では8時45分着で、それなら9時20分ごろの「はるか」に乗れると普通は思いますよね。
ところが出発が10分遅れで、9時に到着で、驚いたことにタラップで地上に降りた。それからバスに乗って、第2ターミナルというところに強制的に降ろされ、そこから第一ターミナルまで無料のシャトルバスに乗った。着いたのが9時50分。
何にも食べてないから、第1ターミナルのローソンまで走り、弁当を買い、JRまで戻り、最終の「はるか」に滑り込む。自由席・指定席満員なので、LCCの窮屈さからの解放願望もあってグリーンを張り込む(それほど高くないです)。
正直、僕はそれほど乗りたいと思わなかった。
CAさんは可愛かったですが・・・・。
おおかた関空で1時間のロスタイムで僕は差額払ってでもANAかJALにしたい。

2015/10/13

Allman Brothers Band

オールマンブラザーズの「フィルモア・ライブ」はデュアン・オールマンが生きていた時のベストのライブとして名盤の誉れが高い。僕も知らない間に何種類かのCDを持ってしまっている。
レコードから持っているから、何枚あるのだろう。
もともとライブ盤は、ツアーの録音の中から出来のいいものを抽出して、さもある1日の録音みたいにして出しているものが多く、マニアは全部の録音を聴きたい・・・という人も多いようで、最近はそういうニーズに応えた大変なものが出てきだした。
これはCD6枚で全容がわかるというもの。セットリストはほぼ同じだから、差が分かるようになるまで、かなり聞き込む必要がありそう。
結局、買ってしまいました・・・。
こういう企画は困りますよね。ロリー・ギャラガーのアイリッシュ・ツアーも結局買ってしまったし。

2015/10/12

SONYの復活は?

SONYの復活は果たしてあるのか??とかよく書かれてます。
今から考えたら、アップルのiphoneってSONYのwalkmanの位置づけという感じですね。全世界に広がった。マネしたものはいっぱいでてきたけれど松下でもAIWAでも「ウォークマン買うたん?」という会話でほかの会社の呼び名はどっかに行ってました。
よく、経営学の真面目な論文でもAPPLEとSONYを比べた論文がある。
当然ですが、僕にとってはウォークマンの衝撃はかなりのもんでした。電車の中でずっと聞いてられる。それまでにはなかった世界がありました。当時3万5千円くらいでちょっと高い感じの値付けだったように思いますが、みんな無理して買いました。
本当に欲しいものだったら売れる見本みたいなもんでした。

2015/10/11

総持寺

大阪の茨木市に総持寺というところがある。阪急の総持寺駅という実にローカルな駅があって、この地域は阪急の独占状態、JRは目の前を走っているけれど駅がない。ところが大分前から、JRに乗っていたらあのあたりでゴチャゴチャ工事をしていて、ひょっとしたら駅を作るの??JRも私鉄みたいになりよったな・・と思って、改めて考えたら、JRは私鉄ですわ。
で、かなり工事は進んできてるなと思ってるけれど、なんか2018年くらいに開業というそのあたりを開発しているマンションのチラシで、何ぼ何でももっと早く出来るんとちゃうのと思っている。2年後??そんなにかかりまっか??
フジテックもいなくなったなと思っていたら、壮大なプロジェクトやったんですな。
めっちゃ昔、大学生の頃、40年以上前の頃、この総持寺駅前で当時のスーツ専門店(今の青山とかアオキみたいなもの)の「スリーM」(か「マルマン」だったか忘れました)というところのチラシを配るアルバイトをしたことがある。12月の夕方で寒かった。なかなか配っても配っても減らない。難儀やなと思っていたら、自転車に乗った子供が「チラシ頂戴」って言って寄ってきた。子供に渡しても仕方がないのやけど、まあ減ったら助かるので、数枚やったら「もっとくれ」という。なんに使うのか知らんけれど、ガバっとやった。そしたら今度は友達を数人連れてきて「頂戴」っていう。これ幸いとばかりに持っていたチラシをほとんどやった。あっという間にはけた。
一緒に行った友達(駅の裏側で配った。裏の方は人通りが少なく全部配るのは絶対無理なはず)とそんな話をしたら、「俺は夜中になってもなくならんと思ったから捨てた」と大胆な発言・・。
すんません。もう時効ということでお許しくだされ。
そうそう日にちを思い出した。真珠湾攻撃の日だった。12月8日、家に帰ったら「トラ・トラ・トラ」をやっていたから。

マリア・リグレスティ

この人の名前を憶えている人は、関西の住人、60歳台、ポップスファン・・・・ということになるのかな。
昔1960年後半くらいのラジオ関西(今もある?)の「電リク」のパーソナリティで相手はたしか奥田なんとかといった実に面白かったアナウンサー(当時は結構有名だった)さん。
このインターネット社会になって、過去から何回も検索してたのですが、なかなか画像が見当たらず、お顔を拝顔したのは初めてです(おおかた50年)。サテライトスタジオ(懐かしい)で見たと言っていた友達は多かったのですけど。
声はややハスキーだったような。
しかし、あの電リクって、今から考えたら、暇だったのかな。わざわざ電話でかけてもらいたい曲をリクエストするわけ・・。プロコル・ハルム、ジェファーソ・エアプレイン、デイブディーグループとかをよく聞いた記憶があります。
ブーツ・ウォーカー?の「ジェラルディン」というのもここだった。なんであの曲が流行ったんだろう??

2015/10/08

岩見沢 きらく園跡

岩見沢のきらく園というヘルスセンターというか温泉を懐かしむ人もいらっしゃって、跡地を訪問されたブログを残しておられる貴重なお方もおられます。
このバス停の後ろに「きらく園」があったようです。
藤圭子が住んでいたのは1966年の秋から1967年の3月にかけての時期みたいです。
藤圭子は1967年の3月の中学の卒業と同時に上京し錦糸町で流し家業を始めている。僕は当時のほほんと受験勉強とビートルズだった。

2015/10/07

藤圭子

年に1度北海道の「砂川」というところに仕事で行く。最近は3年連続で行っている。恒例行事です。
札幌から40分くらいで特急に乗ると途中に岩見沢と美唄に停まる。
岩見沢に停車するとどうしても「藤圭子」を思い出してしまう。沢木耕太郎の「流星ひとつ」によれば
1966年の秋くらいに旭川から岩見沢の中学に転校してきている。「きらくえん」というヘルスセンターに住み込みで一家で引っ越してきた。そこで歌手として働いていた(中学3年で・・・)。
車窓からどのあたりかなと遠くを眺め、しばし疾風のごとく1970年を駆け抜けた「藤圭子」を偲んだ。

2015/10/05

フィルモアの奇蹟

ビートルズにぶっ飛んだ話は何べんも書いてるけれど、ぶっ飛んだという記憶をたどれば、しかも冷静にたどれば、次はこれかなという気持ちに最近はなってきている。ジミ・ヘンとかジャニスとかにも確かにぶっ飛んだけれど。当時、この2人の名前は知らなかった。ジミ・ヘンはなんか変な格好のが出てきたとか雑誌にも取り上げらていた(やや面白半分にですが)記憶があるけれど、この2人は、ブルース・プロジェクトとバタフィールド・ブルース・バンドという当時は無名のバンドの出身者で、ボブ・ディランのレコードのセッションマンだった(すでに実力は評価されていたということですね)。
当時読んでいたミュージックライフとニューミュージックマガジンという雑誌に大きく取り上げられているものの、LP2枚組で確か3600円・・・買うべきか???悩むところです。大体どんな音楽か想像できない。
新人の割に自信たっぷりの表情、しかもこの絵を描いたのはノーマン・ロックウエルです。
1970年の正月に買ったような思い出が(要はお年玉で買った)。
このレコードからだった。上手いギタリストとか上手いピアニストとか、曲でなくって演奏に着眼点が移っていったのは。

2015/10/02

QIUNT INTEGRA Gsi

天皇陛下の愛車がホンダのインテグラだという記事を読んで、そういえば俺も乗っていたなと思い出した。天皇陛下のは僕の乗っていた2代目より次の3代目インテグラらしく、正確にはクイントの名前は消えている。僕は結構気に入って長い間(10年以上)乗ったと思っていたが天皇陛下はそれ以上乗っておられるということで???20年以上??まさか??
5ドアハッチバックに乗っていて、使い勝手が良かった。このシルエットは今見てもきれいだと思う。
このあと子供が大きくなったのでオデッセィになったけれど、あれはまあスタイル無視のコンテナみたいな感じだった。