2017/12/28

トプカピ

毎年この時期になるとこの「トプカピ」という映画を思い出す。
以前にも書いたことがあると思うけれど、中学の時の友達に大手都市銀行の京都支店長を父親にもつエリートのご子息がいて、休みになると映画に誘ってくれた。今では考えられない(今もある?)と思うけれど、当時はそのお父さんの名刺を見せたら映画館はフリーパスだった。
それで何時だったか、多分1964年の12月の冬休みにこの映画を見たと思う。
どんな映画か全く予備知識もなく見て、面白かったのを覚えている。なんというかちょっとコミカルで、そしてハラハラドキドキで、今のようにハイテク機器なしの実に人間の体力勝負の宝石泥棒のお話しです。
ただ今でも思うけれど、鳥が着地しただけで、彼らが犯人と決めつけるのはどう考えても無理だと思うのですが、あっさりつかまってしまってます。
1964年は、007の「ロシアより愛をこめて」とこの「トプカピ」の映画で、トルコのイスタンブールがやたらと目の中に入ってきた。

2017/12/24

豪華絢爛

何の気なしに保存していたチケットの写真。
よく見れば「えっ・・」という面子
こういう面々が一堂に会していたわけ?
1967年ですからブレイク寸前の頃?
ゲノ・ワシントンって、あのミッドナイト・ランナーズの「GENO」なのかな?時代が離れてますが。

2017/12/20

東京オリンピック

こんなのも置いてあった。
真ん中に写っているのはオーストラリアのロン・クラークで、1万メートルのスタート直後のワンショットでしょう。
1956年のメルボルン大会の最終の聖火ランナーで、その彼が世界記録を引っ提げて東京に乗り込んできたから話題になってました。
スタートから先頭に立って引っ張るという潔い走法に日本ではバカ受け。僕もファンになってしまいました。
数ある写真の中から表紙に選ばれたということは、それだけ日本国民が感動したんだろうと思います。
この1万メートルは名勝負です。

2017/12/18

人類、月面に立つ!

こんなのも置いてあった。
1969年の夏だったですね。僕は浪人中。予備校でニュースを聞いた。
この時の第一声が入試にでるという噂が広まり、一応覚えていた(もう忘れましたが)。
正直なところ、こんなことして何の役に立つ??と思うこともありますが、このような夢を実現していくことはワクワクするので、国家レベルの事業としては国民をまとめる力にはいいのかもしれないなと思っている。
「月に行く」ってケネディが言ったんだったかな。

2017/12/13

ケネディ暗殺

実家から持って帰ってきた本はほとんどビートルズを中心とした音楽関係のものが多いのだけれど、こんなものも大事にとってあった。
思い起こせばこの事件辺りから世界の動きに興味が出たように思う。
翌年の東京オリンピックのための衛星放送のテストだったように記憶している。
当時はキューバの問題も知らなかったし、カストロも、もちろんゲバラも知らない。
興味を覚えたのはオズワルドがすぐ暗殺されてしまって、そのオズワルドは日本にいたことがあるなど、周りの友達との雑談のなかに、アメリカを中心とする資本主義経済諸国とソ連(懐かしい)を中心とする共産主義経済諸国との対立を初めて知ったように思う。
オリンピックも国連もなんでもこの2大陣営の争いで済んだように思えて、今から考えたらわかりやすい構図だったように思える。
007もゴルゴ13も、要はこの構図の上に成り立っていた。

2017/12/10

ニューシネマ

実家から持って帰ってきた本の中に結構映画関係の本も多く、特にニューシネマ時代の特集の雑誌や単行本があった。
誰が名付けたのか忘れましたが「ニューシネマ」の先駆けとなった「俺達に明日はない」がやっぱり衝撃的なデビューだったと思う。それまでのハリウッド映画と一線を画していた。
どう違うのかは、色々と書かれてあるけれど。
僕はこの映画をどこで見たのかな???
多分大学生になってから見たから、1967年の作品を1970年になって見たことになる。1970年になって、1968年、1969年のニューシネマと言われるものを毎日のように見ていたこともある。
持って帰ってきた「70年代アメリカン・シネマ103」という本が面白く懐かしがって読み、また持っているDVDを見て、年寄があの時代ってどうだったの??と総括しようとしても老いぼれてきた頭ではうまくいきそうもない。
この映画、ジーン・ハックマンやフェイ・ダナウェイの出世作となったけれど、この写真を見ていると、後に大スターになるなんて思っていない時期なので、瑞々しさを感じてしまう。

2017/12/09

昔の思い出

この家が出来たのは昭和34年の5月で、58年間の寿命だった。住めばもっと長く使えたのだろうと思いますが、父親が亡くなって空き家になって17年経過しているので傷みも結構出ている。
昭和34年に引っ越してきたときは周りは田んぼでカエルの鳴き声が合唱のように聞こえた。
僕が通うことになった茨木の春日小学校というところは、当時基本的にサラリーマンの子供が少なく農業に従事している親の子供が多かったように思う。
そうしているうちに「東レ」のアパートが出来、さらに「三和銀行」のアパートが出来、そこに住むようになった子供がわんさかと転校してくるようになった。
その時思ったのは、大抵勉強がよくできるということだった。
子供心になんでだろうと思ったものである。
まあ親が教育に熱心だったということになるのですが。当時は不思議な気がした。

2017/12/08

思い出の棚

この棚にレコードと本が並べられていたわけで、実際はここだけで収まりきらず下にも(ここは2階)同じような棚があった。
入れる場所があれば、いっぱいになるまで物を買ってしまうのが悪い癖で、それが今回のえらい作業につながってしまった。
正直、もうあんまり物を買う気が失せてます。

2017/12/07

さらば

本日、売却の契約を締結するので、僕の(正確には僕と僕の弟)所有権はなくなる。
家財道具すべてがなくなってしまうと、結構広い家であったことを再認識した。
この写真は、僕の勉強部屋、もう壁もモロモロで床もところどころ歩くと沈む。昭和34年に引っ越してきたときはもうピカピカでしたが。
左の方の窓はたんすが置かれていて窓があったことも忘れていたけれど、引っ越してきたころ、周りは田んぼだらけで、もう8時くらいになると、しーんとして真っ暗で子供心には怖いくらいだった。
たしか勉強を教えるのが好きだった父親と勉強していた時に、左の方の窓をたたく人がいて、恐る恐る??父親が明けてみたところ、若いお男が「追われているので助けてくれ」というようなことを言った。親父は断って「警察に行くように」と言ったような。
もう58年も昔の話なんで、時々、あれはホンマのことやったんかな??と思う昨今であります。

2017/12/04

新しい住処

実家においてあった懐かしいものをいろいろと持って帰ってきている。
これは、幾つの時に買ってもらったのだろう??
クリスマスプレゼントだったのは明確に覚えている。
5~7歳の時ですね。
60年前の電気機関車、当時はOゲージです。よく遊びました。
これも親に感謝です。

2017/12/02

映画のパンフ

なんでも持って帰ってこれないので、取捨選択…とはいっても、これは持って帰らないと。
映画のパンフレット。
今は500~1000円くらいしますが、当時(昭和40年あたり)は映画が350円、パンフが100円くらいだったかと記憶してます。
ビートルズのヘルプ、アランドロンの太陽がいっぱい、その下はビートルズのヤアヤアヤアかな。

2017/11/30

手塚治虫

なんで、この人を??と思いでしょうが
僕は、結構この人が描いていた未来像を信じてきたように思う。
世界が一つになって行く・・・と思ってました というか今もそうなってきているように思える。
日本語が残るかどうかは別にして、地球として一つになって行くのだろうと思う。
ただ、その隙間の覇権争いはし烈なものがありそう。
手塚ワールドはその辺りの生々しいところより、いい面を強調された世界が多かった(当然ですよね)、子供に夢を持たせるのが漫画だから。

なんでこんなことを思い浮かべたのかと自問自答すれば、最近のモンゴル力士の騒動で、意外なことに手塚治虫を思い浮かべた。
日本の国技????、日本人いない???ということになるかもしれない。
国とはなんぞや??
国籍とは??

2017/11/28

ARGUS


親の実家を処分するので650枚くらいのレコードを持って帰ってきた。
ほとんどCDで持っているので音にはそう関心はないのですが、もうジャケットが全然インパクトが違うので、しげしげ眺めることが当分続きそう。そのなかで圧倒的に秀逸なのがこのウィッシュボーン・アッシュの「アーガス」で、見開きなので全容はまた後日に載せます。
サウンドと共にこのジャケットはもう最高のレベル。
これぞブリティッシュ・ロックの極みでアメリカにはこのサウンドはなかった。
ただ後継者は出てこなかったですね。

2017/11/27

積み木

本日から残った家の残さいを搬出されることになって、立ち合いに行ったところ、実に手際よくあらゆるものがなくなっておりました。
思い出は他人には「ない」から処分しやすい・・・。当然、あれだけ(ほぼ2か月)悩みながら選別したものの残りがあっという間にトラックに積まれて消えていきました。
そんななかで、僕が多分3つか4つの時に買ってもらった「積み木」が出てきたので持って帰ってきた。「保育玩具」と書かれてあり、すべてのパーツが残っている。60年以上生き続けてきた。
これで実によく遊んだ。これを買ってくれた親に感謝している。

2017/11/21

本を処分

親の実家を処分することになったことで、ゲルマン民族大移動的な動きが個人レベルで起こっている。実家から搬入する分量のレコードと本に匹敵するスペースを空けないといけない。単純な話です。
それでご覧の様な本を古本屋さんにもらっていただくことにした。
もう買取云々は僕の心情に会わないので、もらっていただき、次の読み手を探していただくという気持ちです。
このupした本の多分100倍はあるような感じです。前途多難ですわ。

2017/11/17

ピンク・レディー

実家の家の整理の話。
それで、実家の本の整理の話の続きです。
これ・・捨てます???昭和53年・・大方40年前の雑誌。
悩みます・・・???
悩みません。おいておきます。当然。
この本、最高に綺麗です。
最高に輝いていたピンク・レディーのお2人です。ギリシアに連れて行ってもらったんですね。
まあ休暇と仕事を兼ねてですな。

2017/11/13

少年少女世界名作全集

父親の部屋を整理していると、この「少年少女世界名作全集」がずらりと並んでいる。
僕が小学4年の時に発刊されて毎月1冊、全部で何冊だったのか忘れたけれど3年くらいは、本屋さんが届けてくれたように思う。
こういうのを捨てるのは実に断腸の思いなんですが、誰もいると言わないし、廃棄せざるを得ないと思っている。数冊残しますが・・・。
あと平凡社の「国民百科事典」、売れに売れたベストセラー、ここから写したら宿題完了という時期が長く続いた。これももうインターネットの時代で完全にお払い箱に、30冊くらいのブリタニカなんか買った人はどうしているのだろう。

2017/11/12

跡片付け

実家の片付け中。
僕の物置になってしまってます。さあどうするか?
結局、残っているレコードは650枚くらい。こっちに300枚くらいは持ってきているので。
頑張って買ったつもりでも1000枚くらいだったわけです。2000枚くらいかなと思ってましたが・・。
当時1枚2000円として、総額200万円・・・いまの車1台にも満たない。たいした金額でないのですが・・・。もっと投資した気が・・。まあ当時は学生でバイト代で集めているから収入の大半がレコードになっていたわけで。そういう意味では汗と涙の結晶かな。
ただよく考えたら、持っているレコードとほぼ同じものをCDで持っているわけで・・・。
完全な二重投資・・・
これからの時代、いつでもネットで聞けるから、CDを集める人も減るでしょうね。
ただ、レコードのジャケットを見てると違う文化があったことを実感します。
あと雑誌、かなり本気で音楽評論家になるつもりだったので資料の一環でくだらないものも丁寧に集めていた。この辺りはもう廃棄しようと思う。猫に小判で「わかる人にしかわからない」から。
現金が出てこないか楽しみに片づけてますが・・・出てきまへんわ。(そんなお金があるわけない)
今月の27日から業者さんが要らない荷物(僕が運び出した残骸)を搬出されて、12月になれば取り壊しが始まります。
昭和34年の2月くらいに建った家が58年の歴史を終えます。短いと言えば短いし、長いと言えば長いかな。

2017/11/09

原裕美子さん

原裕美子さんの万引き事件の判決が下り、執行猶予3年がついた。
まあ、犯罪は犯罪やけど、ええ時はちやほやして、あかんようになったら見捨てるマスコミの風潮に、僕はどうもなあ・・・といつも思っていたから、執行猶予がついてよかったなと思っている。
ほんまに可哀想だと思いますわ。めっちゃ真面目な感じでしたから。
結果的に使い捨てですもんね。(ある意味大半が使い捨てみたいな気がしてます)
是非とも、立ち直っていただきたいと思います。応援してます。

2017/11/03

最後の忠臣蔵 2


今日もあんまり歩いたらあかんということで、ユーチューブでテレビの「最後の忠臣蔵」を見る。
全六話。
まあ、最後の話がどうしても盛り上がるということで、お2人の女優さんをアップしました。
テレビの方が上の「水橋貴己」さん、映画の方は下の「桜庭ななみ」さん。
年寄の感じでは二人とも実に似てます。原作を読めばこういう姿になるのかなと。
テレビの方の「水橋貴己」さんはすでにこの業界から引退されたようで・・まあいい加減な世界ですのでそれもいいのかなと思います。第二の人生でご活躍を祈念いたします。
なかなか清楚ないい感じだったですが。
でも結構同じ雰囲気ですよね。

2017/10/29

最後の忠臣蔵


今日も朝から台風の雨で実家の片付けにいくのも無理なので、だらだらと忠臣蔵のことについてネットで検索していたら「最後の忠臣蔵」という映画がよさそうで、アマゾンビデオで200円くらいだったので見てみる。
見終わって、こういう切り口もあるのかと、原作者の構想力に感心して、役所広司と佐藤浩市の相変わらずの時代劇の上手さにこれまた感心する。
昨日から立て続けに映画を見て、さらに詳しいネットの書き込みを読んだからにわかに忠臣蔵に詳しくなってしまった。
赤穂の藩士は当初300余名いて、お家明け渡しの時に大石内蔵助に命を預けると約束した人が当初120名くらいいて、段々討ち入りまでの1年9か月の間に50人くらいになった。
で、いよいよ討ち入りしまっせと決まってからも減り、最終的に47人に。
で、この映画の主人公は絶対に脱退しない人物のはずがギリギリに逐電した「瀬尾孫左衛門」、それと討ち入りには参加したが泉岳寺に着いたらいなかった(切腹を免れた)「寺坂吉右衛門」の2人です。
2人とも大石内蔵助に個人的に頼まれた任務を持って生きてます。
どういう任務か??寺坂吉右衛門のほうはまあ秘密にする必要もないのでかなり楽な感じ(討ち入りした遺族に16年かけて会って最後の話をして、大石から預かった金子を渡して回った)やることは大変ですが。
役所広司扮する瀬尾孫左衛門の方が複雑でこれは絶対に他言できない・・・・。
興味のある方は是非見てください。もう大抵の方は見てるんかもしれないですが。2010年の作品なんで。
安田成美扮する元島原の花魁のおゆうさんも味があって実によかったです。若い時より今の方が艶があっていい感じ。





2017/10/28

忠臣蔵

また台風が来るということで雨で鬱陶しい。さらに足の調子が良くなく自宅でじっとしているはめに。
暇だから、僕の見た忠臣蔵ってどれだったのだろうと探したらすぐ見つかりました。1958年の大映の超大作、当時のスターのオンパレード、多分これを見たんだろうなあ・・・と思ってアマゾンのビデオを見たらありました(しかもプレミアム会員はタダ)。即見てしまいました。切腹したのは市川雷蔵だった(後の眠狂四郎)。若尾文子なんてもうものすごく若い。鶴田浩二との話はこれは作り話だって僕でも分かりましたが・・。
見ていたらなんか赤穂藩の味方する目付役がいて、調べてみたら黒川弥太郎扮する「多門伝八郎」という人物で、それをまた調べてみたら「気ままに江戸」というサイトがあって、もうびっくりすることばかりでした。忠臣蔵ばかり3時間くらい読んでしまった。恐ろしいサイトで、他に幕末とか深入りしそうなコーナーがいっぱいあります。どんな人が作っているのだろう???
その「多門伝八郎」という人物は、当時の思い出を残していて、その真偽のほどがよく話題になるみたい。その後の赤穂浪士の評価が高いのを受けて脚色したのではないかとか??
考えたら300年前の話ですから書かれたものが残っているんですな。
よく考えたら全部正しいとは限らないわけですか。
でも映画受けする立ち位置でした。
映画見てて、昔、母親に萱野三平の生家に連れて行ってくれと言われたことを思い出した。(昔、近所に住んでいたので)。

2017/10/27

赤穂浪士

この間から久しぶりに東京に行くことが増えて、最近は東京で降りず、品川で降りることが増えた。恵比寿に行くのも品川からの方が早いし・・・。
で、先日、足が痛かったので恵比寿からタクシーに乗って品川まで約2000円、途中で地下鉄の「泉岳寺」という看板が目に入った。
僕は昔、なぜか泉岳寺に来て、赤穂浪士のお墓を見た記憶があって、先日来の実家のアルバムを整理していたら、昭和33年に東京見物におばあちゃんと来ているみたい。その時に泉岳寺に来ているんですよ。
なんかお墓ばっかりだった記憶がある(小学2年生)、その頃に映画の忠臣蔵もおばあちゃんとおじいちゃんに連れられて見に行っている(初めから切腹シーンやめてほしい)。どっちが先だったのか分からない。
ネット社会で調べてみたら、47人誰も死んでいない。奇跡に近いように思える。どう考えても相手はほぼ全滅のはずですよね。
今になって調べてみたら当時の政治事情も詳しく書かれていて、単なる「仇討ち」とは言えない面白さも感じるけれど、やっぱり、単純に面白い側面(やられたらやり返す・・こういうことが起こらないと世の中さみしい気がする)は否めないです。
でも、冷静に考えたら、こんなこと極秘裏によう出来たなあと思うことしきり。

2017/10/19

家の整理

先日から親父(両親)の住んでいた家を売却するので、家にあったものの整理に出かけている。親父のものより僕のものが多く。実に複雑な悩みがあって毎日苦しんでいる。
今になって気が付いたけど、僕の趣味って、物を貯めることだったんですね。お金だけは貯まらんかったですが。よう捨てないというか、シリーズになっているものは全部揃えたい・・。
だからゴルゴ13とかこち亀とかもほとんどあるのですが、これも処分するんか???
全部、今の僕の住んでいる家には入らないのは分かっているので、毎日取捨選択の悩みに。
音楽雑誌もめっちゃある。ビートルズの現役時代のものは残す。ミュージックマガジンも、ニュー・ミュージック・マガジンとう名前のものだけ残す。音楽専科は要らない・・・・とまあ、毎日悩む悩む、寝れない。うなされているみたいです。
ただ、どこかで決めないとぼくが死んだらすべて捨てられるのは分かっているので、今からの僕の余生で何を読みたいのか??を考えて決めようと思っている。
ほんで今日は仏壇を処分した。僕は全部持って帰って欲しかったんですが、これはおいときなはれとかいわれて、半強制的になんかわからんものを持たされた。漢字だらけのお経の写本みたいなもの・・・こういうのも困りますな。いらんねんけども。
お宅の仏壇は、お西さんとお東さんが混ざってますな?といわれても全く門外漢なんでわからん。だいたい僕の親父も無宗教っぽい人物だったんでこだわりはないはず。「はあ~そうでっか」と言いながら手際よく仏壇を持って帰ってくれました。第一関門突破。
その業者さんの話、うちはもともと仏壇を売るのが商売で、買い替えの時に古いのを持って帰ってお祈りして処分しとりましたんや・・。ところが最近は処分の仕事ばかり来ますねん。(そうやと思う、仏壇みたいなそこそこ広さとるもんどこにおけるんや???)
もうクラウドみたいな発想で、先祖を思う気持ちを雲の上にあげればいいのでは??と思っている。



2017/10/13

お風呂の話

アップしたのが相応しいかどうかは疑問ですが、尊敬?する山上先生の名?迷作の表紙から。
まあこれを読んでいた俺も俺なんで・・・恥ずかしいわ。

では、長屋話の続きです(読者がいたので)
20軒の長屋は、当初というかつぶされるまで「お風呂」が自宅になかった。
工場に備え付けられていた「お風呂」があった。
そのお風呂は長屋専用で、工場の工員さんには別の大きなお風呂があった。
男の人は工場のお風呂でも、長屋用の男用のお風呂でも自由に使えた(一日に2回入ってもOK)。女の人は長屋用の女風呂でということに。
で、僕はと言えば生まれてからかなりの間、「長屋用の女風呂」に通っていたはず。(当時のこと覚えてるかいな)
多分小学3年までいたから、ずっと女風呂やったんか定かでない。
工場のお風呂には行った記憶はある。もうめっちゃ広く、プールみたいで、早くいけば泳げていた。ただそれはお父さんやおじいちゃんがいた時の話で、いないときはお母ちゃんと一緒だったんだろうと思う。
今から考えたら、思春期に入ったお姉ちゃんもいっぱいいたわけで、お姉ちゃん方はどうしたんだろう。胸も大きくなるし、下の方も気になるし・・・今度おばあちゃんになっているその頃のお姉さんがいるから聞いてみるわ(しばかれそう)

ただ裸の付き合いっていう言葉がありますが、そういうことだったのかなって思うことが多いです。みんな素っ裸の付き合いだったわけです。
僕はおばちゃんたちに生まれた時からずっと裸の姿を見られていたわけで、そりゃあノーブラのシミーズ姿でも「元気か・・?」って聞きに来ますわな。
逆に考えたら、僕は素っ裸のおばちゃんからお姉ちゃんまでモザイクなしで(当たり前でんがな)見ていたわけで、実にもったいないことをしていることになる。残念ながら全く記憶にございません。
ほんまに古き良き時代だったように思うこの頃です。




2017/10/10

正義の味方

あんまり政治には興味がある方ではないけれどこうもめたら気になる。
誰が正義の味方なんだ??
空手チョップでばっさばっさと退治してくれないかな。誰を??
ほんまに今回の選挙は分からない。
結局、主義主張が明確なのは右の阿部さんと左の枝野さん。まあ共産党も一応はっきりしてます。
あとはよくわからん。
特に小池さんはもう全く僕の頭では理解不能。
まず東京都をちゃんとやりましょうよ。オリンピック大丈夫なんかな。

力道山にやっつけられているのは誰だろう。
昔金曜日の8時からのテレビ中継で、リングを三菱の掃除機で掃除するところを見せるのですが、あれって意味があったのかな。汗でボトボトのはず。

2017/10/09

シミーズ(あほな思い出)

前回の続き
長屋の20軒は、皆さん仲が良くって、茨木に引っ越してからも、大勢の方が何べんも遊びに来てくれた。仲が良かったのは、戦後から昭和34年までほぼ一緒に苦楽を共にしてきたからだと思う。
あの国鉄の自動車工場の宿舎(20軒の長屋)が何時からあったのか、今となっては知る由もないですが、戦後、復興の為に工場が出来、人が集まってきて宿舎が建てられ、その宿舎は、東京オリンピックで新幹線が作られるということで、なくなることに、また国鉄の路線の充実とともにバスの需要も減ってきた云々で、宿舎と共に自動車工場も解体されて、その跡地は前回述べたようにワコールの本社とあとマンションになっている。
で、その長屋の方々が遊びに来てくれるのはええのですが、まあ女の人ばかり来る。そりゃそうですわ。男は働いてるわけで、当時の主婦はほとんど仕事はしてなかった。そんで夏なんかに来ると
当時はクーラーなんかないから、扇風機やうちわで涼をとるわけやけど、そんなんで間に合わんから服を脱いでしまって、当時はシミーズという下着で家の中にいる。もうシミーズのおばちゃんがいっぱいいる。実にややこしい風景が繰り広げられる。
誤解されたら困るので付け加えますと、うちの家族はムームーみたいな薄着の服を着ていまして、もちろん下着姿ではおまへん。
お客さんは一応ちょっとよそ行きの服をお召しされて御来客いただいた感じです。だから暑い。
さらに当時、ブラジャーをしている人はまあモダンなお人で、ほとんどノーブラ、そんなおばちゃん達が小学校の高学年の僕に話しかけてくる。左右の乳首が揺れる。さらにさらに脇の毛はボウボウの時代です。
僕の勉強部屋にも勝手に入ってくる。そりゃそうですわ、僕を赤ちゃんの時から知っている人ばかりなんで遠慮が全くない。
さらに夏休みになると同年代の子供も遊びに来るわけで、その子供も女の子はシミーズ1枚で僕の周りをうろつく・・・。今から考えたら僕の当時のアルバムには近所の女の子が下着姿のまま写っている写真っていっぱいあるもんね。パンツとシミーズで外に出てた時代ですわ。
古き良き?時代の思い出です。

昭和34年

この写真は当時の大阪駅のはず。
僕の親父は昭和36年くらいにはこの駅の2階に勤務していたから。
昭和34年に京都の国鉄の自動車工場の長屋(20軒の長屋)から引っ越してきた。どこに?
大阪の北摂の茨木というところに。
住んでいた京都の長屋は今ワコールの本社になっている。
大阪に引っ越すというので、小学生の頭の中では都会に引っ越すと思っていたら、えらい田舎だった。新築の家を建てたものの、周りは田んぼだらけで、カエルやザリガニが入ってくるし、目の前の田んぼでは田植えの時には牛がいるし、正直、京都の方が良かったと思った。
ただ、親にしたら、当時の京都の長屋は、6畳、4畳半、3畳の部屋に6人が住んでいて、どういう訳か母親の方の田舎(鹿児島)から宿代わりに客がよく来た。特に受験の頃には親戚縁者の伝手で学生が受験に来た。毎年3月くらいになると、見知らぬ受験生が来た記憶がある。到底泊まる場所が狭すぎてないから、その辺りは当時の人情時代で、隣のおばちゃん(他人でっせ)の家に泊めてもらったりしていたらしい。
茨木に引っ越した時に、おじいちゃんの退職金があったということで、生活に大きな変化が起こった。まず机を買ってもらった。勉強部屋が与えられた。電球からすべて蛍光灯になったような気もする。
また、電気冷蔵庫を買った(それまでは氷を上に入れる冷蔵庫だった。冷蔵庫と言えるかどうか、今となっては疑問ですが)。ただ当時の電気冷蔵庫はアイスクリームは保存できなかった。フリーザーの機能が付くのはもっと先の話である。
縁側に椅子とテーブルを買った。電気の炊飯器も買った。
もう、宝くじが当たったみたいな生活の変化だった。
今から考えたら、その20軒の長屋住まいの面々は同じように定年退職で退職金を手にして、家を建て文化的な生活を営むようになった。日本が高度成長で、健康で文化的な生活を実感できた古き良き時代の始まりの頃の話です。

2017/10/08

JR茨木の八海さん

 
この上の写真でわかるか不安ですが、車が走っている向かい側の商店街の一番手前、白のシャッターが下りているところ。下の写真も参考までに。
そこが昔「中華料理 八海」さんがあったところで僕の贔屓にしていたお店です。
並んでいる商店街も10年以上続いているところは珍しく、なかなか商売も難しいように思います。
「八海」さんというのは元々茨木の阪急の方の「大映」(懐かしい)の映画館の前で中華料理店をやっていて、そこから春日3丁目に引っ越して来られてます。その時は、昔からの常連さんや、お持ち帰りのお客で結構な賑わいでした。
その3丁目のお店が立ち退きで(建て替えのため)、今の1丁目に引っ越してきたという話です。
非常に物静かなマスターでほとんど無駄口をきかない人でしたが、時々「今日は遅いね」とか言ってくるので、この人ちゃんと人を見てるんやと思ったことがあります。
で、僕は年に1~2回くらい実家に物を取りに来た時に立ち寄っていたのですが、昨年寄ったときは「臨時休業」で、昨日は看板もなくなっていたので不安に感じて、その「八海」さんをよく知っている人に聞いたところ、今年の初めに亡くなったということでした。まだ70越えたぐらいで、今なら早いですな。
ネットの評価はあんまりたいしたことがないのですが、多分お若いお方の味覚の書き込みなんで、中年の僕の評価は絶大で「餃子」「唐揚げ(手羽先)」「肉炒め」は絶品でした。
またラーメンも実にシンプルで安く、ある意味これで十分やん。と思わせる主張感が感じられました。定食とかはまったくなく。客に迎合しない孤高の中華屋さんでした。残念です。
合掌

家の整理 (SUPERTRAMP)

父親が亡くなってほぼ17年経つ家を処分することになった。
まあそれはそれで一歩前進なんですが、困ったことが起こる(もう想定内の話ですが)。
物置代わりに使っていた倉庫がなくなるわけで、ため込んだレコードと本を今の自宅に持ってくる(全部は到底無理)か処分する以外に方法はない。選別が難しい。
まず初日、どんなレコードを置きっぱなしにしてあるのか何気なしに手に取ったのが「これ」・・
これだけでしばし時間が過ぎるというか「時間が止まる」。スーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ」あったあっためっちゃ懐かしい。アメリカで大ヒット。
レコード1枚ごとにこんな感傷に浸っとったらなんも進まん・・・。
CDと違ってさすがにレコードは大きい、ジャケットが見栄えする。レコード文化万歳。
ツインタワーが描かれている(よく見たらニューヨークらしき風景がコーヒーカップとかいわゆるコーヒーショップにある小物で作られている。凝ってますよ)。時代を感じる。
難儀な作業が始まります。11月いっぱいが期限。12月には僕の手から離れてしまう。
親父が建てて58年、さすがにガタが来てます。
どうでもいいことですが(どうでもいいことにこだわるからくだらんものばかり貯まる)、スーパートランプのこのレコードがヒットした時(初の全米1位)、なぜかジャケットのこのおばさんが来日した。
不思議なことだった。こういうのは初めてだったように思う。本人たちは来たのかな(もう忘れましたが)。このおばさんの方を覚えてるって???まあ人生楽しいです。
リピーおばさんね。でもこのおばさん本職は女優さんだったはず。
でもこのジャケットで後世に名前が残るような気がする。

2017/10/03

PRELUDE

たまたま偶然見かけたこの写真、きれいな後ろ姿の車だなと思った。
HONDAのプレリュード、何代目か忘れました。1983年には出ていた。僕が乗っていたから。この頃のHONDA車は好きだった。
フロントのワイパーが一本しかなく、これも斬新だった。ちょっと不安でしたが。

2017/10/02

LET IT BE

ビートルズのレットイットビーの映画の最後の場面がこれ。
何時撮られたのかは、もうすぐに出てこなくなった。昔は生き字引のように年月が出てきていたのに。歳をとるってつくづく嫌なもんですな。(調べました。1969年の1月の映像)
今日は久しぶりに車に結構長く乗って、ローリングストーンズを聞いていた。彼らのヒット曲を聞きながら、随分と長く活躍していた(今も一応現役!)んだと改めて思った。そういう意味ではビートルズは短い。1962年から69年まで、60年代という一言で終わり。
1970年に最後のレコードは出たけれど、実体は69年で終わっている。

2017/10/01

選挙の話

もう一回選挙の話

民進党のリベラル派が排除されるとゴタゴタ言ってますが、もともと排除されるべき集団でしょう。
排除というより、頭下げて仲間に入れてもらうような話でないと思うのですが。
民進党(もとの政党の名前も忘れました)自体がほんまにいい加減な集団だったことが今よくわかります。信じられないくらい意見の違う面々が一つの政党だったのですから(実態はバラバラでしたが)。
リベラルならリベラルらしく理路整然と支持者が少なくとも主張すべきです。
もっと潔く生きましょうよ。
なんか今の政治家さんの動きを見てると情けないです。数こそすべてになっている。

政権とってもあのような体たらくでは情けないでしょう。もっと主義主張を言いましょうよ。なんか情けないですわ。
共産党もある意味同じやと思ってます。

戦後の歴史でも今の民進党が一番情けない政党だったと思ってます。

アップしたのは今はなくなった千歳の美々駅です。
南千歳の看板にシールが貼られていて消されてました。こういうのって悲しいですな。

2017/09/30

選挙

また選挙である。
今回は阿部さんに入れないでおこうと思ってますが、他に入れる政党が見つからない。
民進党ってどうしてあんなに馬鹿ばかりなんだろうって、改めて思う。もともと考えが全く違う連中が政権をとりたいだけで集まったくせに、今更小池グループに丸ごとよろしくって「アホかいな」としか言えない。
ただ小池さんも正直「信用できない」・・リセット???
多分阿部さん以上に経済はよくならない。冷静に考えたら都政もよくなっているかわからない。
結果は全然出ていない。ただ選挙はうまい。まあマスコミのプロですからね。
要は総理大臣になりたいだけのおばはんかなっと思ったり・・・。(多分そうなんだろうと思う)
ビジョンは考えられない。思想の深さは無理だと思っている。

最近、僕の思っていることは、自衛隊(軍隊)に主導権を持たせたらあかんということだけです。文民統制が全く機能しなくなったというのが太平洋戦争の最大の失敗だと思うことが多い。
戦争するのが仕事の組織が天下をとったら当然戦争をしますよね。主義主張は後付けですわ。

2017/09/24

東京オリンピック10000m走

先日から、橋爪さんという方からコメントをいただき(多分その道では有名な方なんでしょうが僕には知識がないので・・・)、東京オリンピックの思い出をリアルタイムで綴ることは有意義である旨のコメントいただき、年に1度あるかないかのことなので元気づけられて書きます。
ただ見るのが好きだったということなんで専門的なことはわかりません。
東京オリンピックの1万メートルは多分陸上競技の前半にあって、テレビでずっと見ていた。メルボルン大会の聖火ランナーだったオーストラリアのロン・クラークが世界記録を持っていて、話題性十分だった。
今から思うと、このロン・クラークという人は、今でいう、最後のラストスパートで一気に勝つというような走法スタイルでなく、初めからずっと先頭を行くという実に潔のよい日本人受けする走り方で、初めの数周でファンになってしまった。かれこれ30分、抜きつ抜かれつ、日本の円谷選手もトップ集団にいて、さらにエチオピアのアベベの盟友マモ・ウォルデもいて、非常に見甲斐のあるレースだった。市川崑監督の映画でもかなりの時間が割かれているので興味のある方は見てください。
で、結局は最後の1周となったところで、ロン・クラークとチュニジアのガムーディとアメリカのミルズの3人が残り、まずはガムーディが前を行く2人の間を両腕でかき分け(こんなんが許される??)てトップに、それをロンクラークが追いかけ、ミルズはやや後退・・・。
と思いきや、信じられないようなスパートでミルズ優勝。
upした写真の左がミルズ、そしてロンクラーク、615のゼッケンがガムーディ。右の2人は周回遅れ。
とまあこういう展開で、長距離はアメリカはまだまだだと当時の僕は思っていたのに、ここでも金メダル!!と(その時、既に始まっていた水泳でアメリカの金ばかり見ていたから)。
時間が経ち、このミルズ選手という人は、アメリカの先住民族(つまりインディアン)の子孫で、差別を受けながらここまで来た人だということを知ったのはもう随分時間が経ってからのことだった。当時の報道ではそういう話題は出てこなかったように思う。
もうアメリカという国は自由で素晴らしい国のように思っていたから。
いろんなことを教えられる東京オリンピックだった。
2020年の大会も今の若い人(多感なのは中学生くらいかな)に一生のこる何らかの感動を与えられることを願っている。

2017/09/21

NCIS:LA

 
NCISのスピンアウト版「NCIS:LA」は本家の路線と違っていて、テロと対決する路線色が濃く、アルカイダやイスラム原理主義者や最近はもろ北朝鮮のスパイや実に現実的な題材が多く、「ほんまかなあ・・??」と思いながら見ることが多い。
よく考えたら、悪役を演じている俳優さんはアメリカの俳優さんのはずで、もうアラブ系のこういう役ばかり回ってきたらつらいだろうなとと変なことを考えてしまう。朝鮮系の俳優さんも同様。
upした写真の下の写真の右から2人目のリンダ・ハントは、若かりし頃男役でアカデミー賞を受賞した珍しい名優さんです。上の方の写真の右から2人目のグレンジャー役を演じるミゲル・フェラーはなんとローズマリー・クルーニーの息子でジョージ・クルーニーとは従兄弟同士、残念ながら先日亡くなってしまいました。結構味のある役を演じてよかったのですが。

2017/09/19

AMERICA

「名前のない馬」(どんな馬やねん??)という歌で大ヒットした、またややこしい名前の「アメリカ」というバンドです。
僕はこの手の音楽は苦手というか、違いがあんまり判らないので、「まあええ歌やん」という感じで聞き逃していましたが、この間、コールドケースというアメリカドラマを偶然見て、最初にかかっていたのがこのアメリカというグループののティンマン(鉛の男??)で、それがきっかけで、アップしたCD(ベスト盤)を購入。
これは凄い出来ですわ。

2017/09/18

THE BEATLES

1964年の春に日本でビートルズのレコードが出てきて、これが1枚目のはずだったのかな?
「抱きしめたい」がアメリカで1位になって、急遽「抱きしめたい」が臨時発売されたという記憶も残っているような・・・。まあその辺は調べたらわかることなんで。
初期のビートルズでこの曲が一番好きだという人が多い。
まあイギリスで確固たる地位を築くきっかけとなったのはこの「プリーズ・プリーズ・ミー」だったわけですから。
このジャケットも使いまわしされて、同じポーズの色違いが何種類あるのだろう??
当時は写真がなかったのですね。

2017/09/12

昔の思い出

1974年の春に大学を卒業して、大阪からはるばる広島に行った。
1974年になって卒論を出したら、もう大学はほぼ休みで、高校や大学の仲間と旅行に行ったり、飲みに行ったり、ひたすら4月を待っているという状態だった。
ただ、社会人になるということが僕には結構不安材料で、多分企業戦士(懐かしい言葉です)になれそうもないし、僕みたいなものでちゃんと勤まるのかなという漠然とした不安を抱えていた。
まあ多分ほとんどの仲間がそうだったのだろうと思う。
3月に大学の仲間と最後の旅行に淡路島に行って、風呂に入る以外はひたすら麻雀をして帰ってきたのが3月の20日ごろだったかな??
家に帰ったら弟がキャロルというバンドのレコードを買っていて、単純なロックンロールバンドだと思いながら聞いたら意外と味があってよかったのを覚えている。ルイジアンナ???ルイジアナ・ママじゃないの??初めからパロディっぽかった。ミスター・ギブソンとかも??ギターのギブソンからとった??
この月はフィリピンから小野田さんが帰ってきたり、この頃の記憶は結構思い出すことが多い。人の脳って面白い。

2017/09/06

CARAVANSERAI

サンタナのファンは今でもかなりいて、夫々好きな曲が違うというのも面白い。初期、中期・・・と変身に変身を重ねてきているから、聞きだした時期で好きな曲が、好きなレコード・CDが違う。
個人的には、アルバムとしては圧倒的にこれで、虫の声から始まるこの世界にあっという間に引きずり込まれてしまう。
ジャケットも秀逸。中に書かれていた謎めいた言葉もその頃の時代を表していた。もう忘れてしまったけれど・・・・。
なんというか引きずり込まれていく感覚の音楽ってなかなか出会えない。
最近はこれを聞きながら寝てしまうことが多い。

2017/09/02

EAST-WEST

「東と西」という単純な題名のこのレコードはほんまにぶっ飛んだ1枚だった。
東は、どうもシタールの雰囲気のインド音楽っぽいサウンドで、西は、ジャズっぽいサウンドなんですが、マイケル・ブルームフィールド一人のギターで表現している。
このジャケットは何処で撮ったのだろうといつも思っている。どっかの博物館か遺跡の前ですよね。
天才ギタリストの一人だと思っているがこの人も薬のせいで若くして亡くなってしまった。

2017/09/01

なんかわからん話題に

なんか日野○○さんが暴力をふるった云々で・・・。
まず日野さんはお2人が有名でどっちかわからなかった。
弁護する気はないですがめっちゃその道を極めようとしている人に後進者の指導は難しいように思う。
いつも教育者って難しと思っている。ならんでよかった。
自分の子供でも難しいもん。
でも暴力はいけないというのは「正しい」。
正直ようわかりまへん。

2017/08/30

NCIS:LA

アマゾンのビデオの話ばかりになりますが、NCISのスピンアウトのLAシリーズというのがあります。これはDVDはシーズン3まで出ていて4以降はでてません。
アマゾンプライムで4以降は見放題???どういうこと???
このからくりがよくわからんのですが、スカパーとかBS○○でまずテレビ放映されますよね。そのあとDVDで発売およびレンタルされるというのが僕の思っている流れ。
テレビで流すときに、字幕も日本語版もできているわけやから、そのあと売ればいいという構図ではあかんのですか??
ほんまにようわからん世界です。ただプライム会員は見放題なんで見まっせ。1シーズンぶっ続けはしんどいですが。

2017/08/29

FBI 失踪者を追え

ちょっと昔、「FBI 失踪者を追え」というドラマがあってDVDを借りてきてよく見ていた。これも例のジェリー・ブラッカイマーの制作でなかなか面白い。これだけヒット作品を作れる人物は少ない。
で、この作品ですがシーズン7まであって、DVDはシーズン5で終わっている。「なんで???」。
しかもシーズン5の最後のエピソードは、いわゆるクリフハンガーというやつで次回をぜひ見たいというようにうまく仕組まれていて「次回へ続く・・TO BE CONTINUED」となっている。
あのさらわれた女の子は???
当時は気になっていたものである。それで、また例のアマゾン・ビデオである。
1つのエピソードに200円つぎ込めば見れる。なんか嫌味かな???
もうアマゾンプライムで見放題にしてくれないかな。
見たいものはほとんど課金されるものが多い。世の中上手く考えられている。

2017/08/26

新大阪の麺屋

新大阪の駅(ホーム)にある麺屋といううどん屋のことは昔書いたことがあるけれど、新大阪はずっと工事(拡張工事?)をしていて、知らん間に乗り降りするホームが変わっていく。
昔はこの写真にあるようにホームの両方(左が大阪方面と右が京都方面)に立ち食いうどん屋があった。僕は大抵お昼過ぎに新大阪で降りていたから、降りたところにこのうどん屋さんがあって、写真でいえば手前(左)の所で、きつねうどんとおにぎり1個を食べていた。全くロスタイムがなく実に便利だった。
ところが色々工事をして、最終的に大阪方面のホームにはうどん屋はなくなり、写真でいえば奥に小さく見える京都方面行のホームに1つ残っている。
こうなると、向こう側のホームに見えているけれど、わざわざ階段を上り下りして食べに行く意欲はなかなか出てこず段々と疎遠になってしまっている。
麺屋自体は京橋の駅の構内にもあるし、大阪の駅(そこはホームでない)にもあるけれど、微妙に味が違っていて、僕は新大阪のが美味しいと感じる。清潔なのも一因であります。
この間、ほんまに久しぶりに京都方面行のホームに降りて食べに行ったら、「久しぶりですね」と声をかけられた。聞いたら大阪方面のホームのスタッフもこちらに移動してきたらしい。
さらに淀屋橋界隈で姿を見かけましたよ・・・といわれ、喜んでいいのか、人の目は恐ろしいと思うべきか、悪いことはできません(してないけど)。