自由業というのはこういう時威力を発揮する。サラリーマンでは見れない。
春夏連覇である。僕が小さい時、夏春連覇はあっても、春夏連覇はなかった。絶対に出来ないものだと云われていた。1962年(昭和37年)に作新学院が春勝って、夏も出てきた。ところがエースがいざ甲子園にという段階で入院してしまった。連覇の夢絶たれるという感じですね。まあ地方大会は勝っているから甲子園では控えの投手でいかねばならない。当時はエースひとりというチームも多く、今のようにエース級を複数そろえるという時代ではなかった。この控えの投手がたしか「加藤」といってサイドスロー(アンダースロー?)のいい投手だった。これが素晴らしい投球で勝ち進み決勝まで来る。僕はこの時小学6年で鹿児島に帰っていた(母の里)。鹿児島で決勝戦をみて作新学院を応援していた。歴史の瞬間を見届けたかった。
この加藤投手、卒業してプロ野球に入団したけれど、確か早く亡くなってしまった(交通事故?)。子供心に記事を読んで残念に思った記憶が残っている。
絶対に出来ない「春夏連覇」が達成されて、4年後の1966年に中京商業がまた連覇達成まできてこの時も一生懸命応援した。このときの投手も「加藤」だったような。この2回目までは歴史の目撃をと思って一生懸命見たけれど、その後、PLや箕島や横浜、興南・・・と出てきて偉大な記録には違いないけれど珍しくなくなった。不思議な気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿