あの藤圭子さんが亡くなった。僕が気に入った人物は自殺が多い。困ったもんである。自分で落とし前をつける気持ちが強いのだろうか?
以前にも書いたことがあるが、1969年の秋に大阪の吹田の井村楽器というレコード屋に「新宿の女」のプロモーションに来ていたのを見たことがある。そのときこちらは浪人生です。こっちは自他ともに認めるロックマニア・・「これからはロックだ」と広言していた時期で演歌なんかくそくらえと思っていた時期である。正直演歌なんか馬鹿にしてましたね。ただご本人は実におとなしくレコードを買ってくれなんか全く言わない。レコード会社のセールスマンが大声で何か言っている。本人はちょこんと座っているだけ。実に変な魅力がありました。ここでシングル盤を買って帰ればサイン入りで後世に残る家宝になったのですがなんせ浪人の身でお金もなくただ見ていただけ。可愛いとも綺麗とも思わなかった。ただ不思議な魅力を感じたことは確かである。
ヒットするなんて思ってもいなかった「新宿の女」が驚いたことにヒットして、次の「女のブルース」になると超大ヒット、あの時の女の子が毎日テレビに出てるということになった。ただなんかテレビに出てくるご本人はなんとなく周囲とズレてまして、ほんとに本人はアイドルになりたかったのだろうか??
1970年の暮れに「歌い継がれて25年 藤圭子演歌を歌う」という2枚組のレコードが出る。大いに悩んだ末正月に購入に踏ん切り買いました。これはほんまによく聞きました(まだCDが出ないのがけしからんと思う)。ローリング・ストーンズのレット・イット・ブリードと交互に聞いていた。僕の壮大なるコレクションの唯一の演歌歌手であります。
戦後から25年の演歌の歴史を一人で歌い継ぐという企画もので僕の親父が鼻歌で歌っていた「リンゴの歌」が実にいい味を出している。「銀座カンカン娘」もいいです。
病が高じてフエスティバル・ホールにコンサートまで見に行った。ロック以外のコンサートは後にも先にもこれのみ。それほど藤圭子は特別だった。「さいはての女」のLPまで買った。それ以降はなぜ買う気がしなくなったのかは今もってわからない。普通の演歌歌手に戻してあげようと思ったのかどうかも分からない・・・正直藤圭子という人物のあるべき姿とは何だったのか?本人にとって何が幸せだったのかは全く分からない。僕らがよってたかって時代の寵児に祭り上げてしまって迷惑をかけたような気がずっとしている。
時も過ぎて忘れたころに(偶然に藤圭子とそっくりな声の歌手がいると思った)宇多田ヒカルでまた思い出してしまって、これも本人にとってどうだったのだろう・・・誰もわからないですよね。
ご冥福を祈るのみです。
デビューしたころの藤圭子については村上春樹のエッセイにも同じような感想が書かれていて、ああ一緒の感じだと思った記憶があります。
藤圭子と言えばこの少年マガジンの表紙です。少年マガジンの実物が僕の実家に置いてあります。蛇足ながら1970年の少年マガジンの表紙はいいものが多い。
ぼちぼち僕らの時代も過ぎ去りつつあります。改めまして 合掌。
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