2022/02/21

オリンピック雑感


 北京オリンピックが終わった。
僕がオリンピックという言葉を知ったというか記憶に残っているのは、確か1956年のメルボルン大会からだと思う。この時6歳、ただ、リアルタイムで知ったのかは分からない。この時の聖火ランナーが後の10000m世界記録保持者になるロン・クラークだったのは後で知ったはず(6歳で知っているはずがない)。確実なのは1960年のローマ大会から。この時はマラソンの裸足のアベベ、100mを10秒で走ったハリー、水泳の山中毅・・ただし、テレビで見た記憶があるかと言われればないようにも思う。当時は実況ってないはず。テレビはあったけど。衛星放送って無いし、あってもフィルムが送ってきて後でニュースで流したということだろう。
100mを10秒で走る。単純に考えて、1秒で10m・・・小学生の時にそう考えて、想像も出来なかった。アベベは翌年の毎日マラソンにやって来た。確か岸和田城まで走った。どこから?記憶にないです。
それで、いよいよ1964年の東京オリンピックになって、僕の国際意識は高まった。この時のオリンピックはもうアメリカのために開催したような感じで、アメリカの国歌を覚えてしまうくらいだった。実に楽しい雰囲気で金メダルを獲得していく様は、当時中学生だった僕は「国力の差」をものすごく感じた。「国力の差」というより「国民の明るさの差」かな。
最近のトランプの時代とかになると当時の憧れのようなものは吹っ飛んでしまっているけれどあの頃のアメリカの力は絶大だったように思う。対抗するソ連とその後台頭してくる東ドイツには「明るさ」を感じなかった。
1968年のメキシコオリンピックではアフリカ勢の活躍が目立ち、アフリカの国家が成長して世界中の国々が豊かになっていくのだろうと思っていた。今から考えたら当時のメキシコは裕福だったのかな?多分そうなんだろう。当時はどんどん新興国で開催されるようになるのだろうと思ってた。
1972年のミュンヘンでは、テロが起こって、正直、どういう事件だったのか詳しくは覚えていない。いい加減なものである。昔映画を見たのを思い出した。
1976年のモントリオールになったら、もう働いていたので思い出が少ない。寮生活でまだ自分の部屋にテレビがなかったかも知れない。
1980年のモスクワになったら、ボイコット問題が出てきて、自由主義諸国がボイコットして日本は出ず。この時のマラソンは日本勢が絶対メダルを取ると確信していたのに残念だった。ただこの辺から、平和の祭典とは名ばかりで、どうも政治に振り回されるという印象が強くなってきた。
この国際的な運動会の時期は、戦争は止めて「平和」が訪れるという幻想はどうもおとぎ話の世界になった。
1984年のロスアンゼルスは今度は共産主義諸国がボイコットして、アメリカの体操が金をとるというそれまでにない出来事が起こった。
この時のマラソンは一生懸命見た記憶がある。金はポルトガルのカルロス・ロペスだった。モスクワの金メダル候補だった瀬古、宗兄弟は出たもののメダルに届かず。
これ以降のオリンピックは、段々と一生懸命見なくなっていったように思う。
まあ歳をとっていったこともあるけれど、ショービジネス化していって、もともとひねくれている性格から「くだらない」と思い出したのかも知れない。
今回のオリンピックはコロナ禍の最中ということもあったけれど、コロナがなかっても、実に危ういバランスの上で開催された大会だったように思う。
南北問題、東西問題、人権問題・・・・世界中の人が運動会を楽しむということが可能なのか??
近代オリンピックの開祖である「クーベルタン男爵」がいたら今の状況をどう思うか?興味があります。

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