2016/02/14

1973年の阪神タイガーズ

何故か突然1973年のプロ野球を思い出してしまった。今までもあの年の野球のことは思い出すことが多い。江夏の一人野球(ノーヒットノーランと江夏本人のサヨナラホームラン・・・これはやはりすごいことやわ)の時は北海道に旅行していて翌朝の新聞で知った。その後も、パリーグでは南海が優勝して、あんまり目立たなかった外人さん(確かスミスっていった?)が優勝決定の試合あたりで大活躍だったのを覚えている。野村がすごい選手だということもその時知った(パリーグなんてまず見なかったから)。江本もこの時期真面目に活躍していた。
僕は今でも語り草になる池田のエラー?(落球でもない。補給する前にこけたんやから)はあんまり気にしていない。あの試合で勝っていてもどうせその後の試合を負けているはず。
一番不可解だったのは最後の前の中日戦で江夏を出した時だった。「えっ」って思った。
もう最終試合は絶対負けるって思っていた。もうあの時期には根性のない阪神の伝統は出来上がっていた。
もっと後になって江夏の「左腕の誇り」を読むと阪神の球団の球団代表と当時の常務が「中日に勝つな」と頼んだということが書かれている。さすがに「わかりました」とは言っていないみたいですが。本当だとしたら阪神のフロントってほんまにケチな馬鹿な連中だと思う。
この記事が引き金となって揉めなかったのでしょうか?球団側は名誉棄損で訴えた??ホンマやったらできない?僕はそのあたりあんまり知りません。ホンマやったら許せん行為だと思いますが。どう落ち着いたのでしょうか?
なぜ、1973年の野球をよく思い出すのかを考えたら、僕は翌年からサラリーマンになって、ゆっくり野球を見る時間が無くなったからだと思うことが多い。
やっぱり大学の時って時間があったわけです。
でも江夏ってすごい選手だったと思うことが今でも時々ある。
高校のときに大阪学院にものすごいピッチャーがいるって評判だったのを思い出した。
もうちょっとで甲子園っていうところだったかな?

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