この写真は当時の大阪駅のはず。
僕の親父は昭和36年くらいにはこの駅の2階に勤務していたから。
昭和34年に京都の国鉄の自動車工場の長屋(20軒の長屋)から引っ越してきた。どこに?
大阪の北摂の茨木というところに。
住んでいた京都の長屋は今ワコールの本社になっている。
大阪に引っ越すというので、小学生の頭の中では都会に引っ越すと思っていたら、えらい田舎だった。新築の家を建てたものの、周りは田んぼだらけで、カエルやザリガニが入ってくるし、目の前の田んぼでは田植えの時には牛がいるし、正直、京都の方が良かったと思った。
ただ、親にしたら、当時の京都の長屋は、6畳、4畳半、3畳の部屋に6人が住んでいて、どういう訳か母親の方の田舎(鹿児島)から宿代わりに客がよく来た。特に受験の頃には親戚縁者の伝手で学生が受験に来た。毎年3月くらいになると、見知らぬ受験生が来た記憶がある。到底泊まる場所が狭すぎてないから、その辺りは当時の人情時代で、隣のおばちゃん(他人でっせ)の家に泊めてもらったりしていたらしい。
茨木に引っ越した時に、おじいちゃんの退職金があったということで、生活に大きな変化が起こった。まず机を買ってもらった。勉強部屋が与えられた。電球からすべて蛍光灯になったような気もする。
また、電気冷蔵庫を買った(それまでは氷を上に入れる冷蔵庫だった。冷蔵庫と言えるかどうか、今となっては疑問ですが)。ただ当時の電気冷蔵庫はアイスクリームは保存できなかった。フリーザーの機能が付くのはもっと先の話である。
縁側に椅子とテーブルを買った。電気の炊飯器も買った。
もう、宝くじが当たったみたいな生活の変化だった。
今から考えたら、その20軒の長屋住まいの面々は同じように定年退職で退職金を手にして、家を建て文化的な生活を営むようになった。日本が高度成長で、健康で文化的な生活を実感できた古き良き時代の始まりの頃の話です。
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