2017/12/09

昔の思い出

この家が出来たのは昭和34年の5月で、58年間の寿命だった。住めばもっと長く使えたのだろうと思いますが、父親が亡くなって空き家になって17年経過しているので傷みも結構出ている。
昭和34年に引っ越してきたときは周りは田んぼでカエルの鳴き声が合唱のように聞こえた。
僕が通うことになった茨木の春日小学校というところは、当時基本的にサラリーマンの子供が少なく農業に従事している親の子供が多かったように思う。
そうしているうちに「東レ」のアパートが出来、さらに「三和銀行」のアパートが出来、そこに住むようになった子供がわんさかと転校してくるようになった。
その時思ったのは、大抵勉強がよくできるということだった。
子供心になんでだろうと思ったものである。
まあ親が教育に熱心だったということになるのですが。当時は不思議な気がした。

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