云わずと知れたドリー・ファンク・ジュニアの必殺技「スピニング・トー・ホールド」。ただこの技なかなかぴたっと決まったところを今まであんまり見たことがない。足を持ってぐるぐる回っているうちに蹴られてしまうというパターンが多い。ただあんまり決定的シーンを見ていない割にはめちゃくちゃ有名な必殺技であります。この写真はブッチャーがかけられようとしているところ。
ドリー・ファンク・ジュニアは1969年の12月に放送された猪木との試合が今でも思い出します。あの頃の2人は強かった。
2011/12/31
アントニオ・スペシャル
2011/12/29
Lou Thesz
ルー・テーズは鉄人ルー・テーズと必ず「鉄人」のいうキャッチフレーズがついていた。ルー・テーズは力道山が修行に行った頃には既にチャンピオンであったというから本当に長いこと第一線で活躍したことになる。日本でテレビ放送をし始めた頃から来日しているから、僕も長いこと見ていたのだと思うが初期の頃はあんまり覚えていないですね。ユーチューブで「力道山対ルー・テーズ」を見ることが出来るけれど、バックドロップであっけなく1本とられている。バックドロップ当時は「岩石落とし」といわれていてもうこれが出たら終わりで、この技を出せないように出せないように戦うというのがスリルがあったように思う。最近のプロレスはなにをかけても起き上がってくるから、ほんまは必殺技(一瞬で決まる)というものはないのだと思うけど夢がなくなったね。そのあたりが小学生の頃に「プロレスは本気でやっているVSやっていない」という論争をよくやった論争の種になっているのだと思う。この写真はきれいですね。
Edouard Carpentier
男の子なら大抵ある時期「プロレス」が好きだった時期がある(とおもう)。僕は力道山からザ・ファンクス対ブッチャー・シーク組の死闘あたりまでで卒業した。その後のプロレスは誰々の息子だとかいわれて時々見るくらいでほとんど見ない(もう中継もないみたい)。だから今の動向は分からない。当時のプロレスラーは必ず各々「必殺技」というものを持っていて、それがいつ炸裂するか今か今かと待っている実に忍耐の要る観戦だったように思う。力道山-空手チョップ、これは誰でも知っている。コブラツイスト、スープレックス、スピニングトゥホールド、ココバット、カナディアンバックブリーカー、四の字固め、卍固め、パイルドライバー・・・・等々 さて誰の必殺技でしょうでしょうか??
で、このエドワード・カーペンティアというプロレスラーの必殺技に「サマーソルトキック」というのがあって、なかなか来日していない幻のレスラーが遂に来日することになったのは昭和45年だった。ようやく必殺技の「サマーソルトキック」が見れるということで期待に胸は膨らんだわけです。この写真はその必殺技が炸裂する寸前です。ここまではよかったんですけど・・。あとはずっこけました。え~~という驚きを尻目にアナウンサーは「出ました!必殺サマーソルトキック」と叫んでました。この時プロレス中継のアナウンサーはなかなかしんどい職業だと思った。
で、このエドワード・カーペンティアというプロレスラーの必殺技に「サマーソルトキック」というのがあって、なかなか来日していない幻のレスラーが遂に来日することになったのは昭和45年だった。ようやく必殺技の「サマーソルトキック」が見れるということで期待に胸は膨らんだわけです。この写真はその必殺技が炸裂する寸前です。ここまではよかったんですけど・・。あとはずっこけました。え~~という驚きを尻目にアナウンサーは「出ました!必殺サマーソルトキック」と叫んでました。この時プロレス中継のアナウンサーはなかなかしんどい職業だと思った。
2011/12/28
うすのろ
2011/12/27
狐の裁判
昔読んだ絵本に「ライネケ」という狐の話があったのを時々思い出す。昔読んだ絵本は数冊今でも記憶にとどまっていて多分岩波の絵本が多いみたい。「ふしぎなたいこ」(げんごろう鮒の話)「子猫のピッチ」「ひとまねこざる(おサルのジョージ)」(今でも有名)それに「狐のさいばん」。この狐のライネケの話は全体はもう覚えていないがライネケがのらりくらりとライオンの王様を言いくらますところだけよく覚えている。まさかゲーテの作品とは(知るわけないですよね・・・幼稚園くらいの時のことだもん)。
今調べたら、今も売っている。ブラックユーモアの本みたい。 きつねがいい加減でうそをつくという固定概念はこの本から形成された(僕の場合)
今調べたら、今も売っている。ブラックユーモアの本みたい。 きつねがいい加減でうそをつくという固定概念はこの本から形成された(僕の場合)
LION'S SHARE
段々年とともに新しいことがどうでもよくなってきて、例のスマートフォンも機能を検討してもそれほど飛びつくものもないので昔のガラパゴスのままである。提供されるアプリに興味が湧かない。今までの僕ならかなり新しい物好きであったから、とっくに買い換えているはずなんですが。新しいことに向かうより昔のことを思い出すことが増えて、今日も昔のいろんなこと考えながら電車に乗っていたら、ふと「LION'S SHARE」ということわざのことを思い出した。この言葉英語の授業にもよく出てきて「ライオンの分け前」って訳したら〇だったけど本当はどんな意味だったのか?とまあこの年まで調べもせずに生きてきた自分にある意味驚いたしだいです。多分、昔の英語の辞書も「ライオンの分け前」とだけ書いていた気もする。それでネットで調べる。意味分かる。便利になった。そういう意味だったのか・・とまあ今日は実に有意義な日だった。
2011/12/26
斉藤チヤ子
2011/12/25
大阪市のバス
さよなら SANYO
三洋電機がいよいよ消えていく。会社というものが永遠でないことを実感することが最近は多い。「ゴーンイグコンサーン」というのは嘘のようである。平家物語でないけれどすべては泡沫のごとくみたいである。昔々(1970年代前半)、僕らのころの就職活動は今の学生さんには到底理解されないような時代で一日会社周りをすれば夜には回った会社のほとんどから内定の電話がかかってくるというもう「五体満足なら誰でもいい」時代であった。そんな時代だから誰もまじめに自分の行きたい会社なんか考えはしない。実にいい加減な時代でありました。会社訪問したなかに、この三洋電機もありました。当然内定の連絡もありました。パナソニックも説明会には行きましたが訪問はしなかった。僕はパナソニックはいやな感じがして三洋のほうが面白そうだった。行っていたらどうなったのかなと不思議な気がして最近の記事を読んでいました。当然「打倒松下」といってがんばってた三洋マンもいるわけで、それがある日「松下(パナ)マン」になれといわれてもねえ。植木等の「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ」はいつも嘘だと思っている。生きるってことは実にシンドイなあって思うことがこういう記事を見ると思いますわ。
Rockin' TOKYO
2011/12/24
grace slick (3)
2011/12/23
grace slick (2)
2011/12/22
grace slick
昨日は、ジャニス・ジョプリンとグレース・スリックの有名な写真で、こちらはグレース・スリックの若かりし頃の溌剌さが表現されている一枚。ジャニスはご存知のように若くして亡くなってしまって、ジム・モリソンとジミ・ヘンとともにあっという間に駆け抜けていってしまった3人のうちの1人。不思議と3人とも「J」で始まっている。残ったこのグレース・スリックはジェファーソン・エアプレインからジェファーソン・スターシップそしてスターシップ・・・とどんどん変身して行き、正直ずっと追いかけるのはとうの昔にギブアップしてます。ただ、もう多分70歳くらいだと思うのですが、びっくりするようなお姿が(別に変なことはないのですが)ネットで見ることが出来ます。なんというか「お婆ちゃん」という感じがピッタシ。これもいい生き方かもしれない。本人は相変わらず過激みたいですけどね。
2011/12/21
grace & janis
ミュージック・マガジンの1月号は恒例のベストアルバム特集で今年に発表されたCDをみんなで選んでいる。みんなと書いたのはいろんな評論家がいるのですが、正直なところ萩原健太さんくらいしか知らないし、しかも書いている内容が萩原健太さんの文章くらいしか分からない。それくらい時代が変わったということです。選ばれたCDも持っているのはあんまり評価が高いから買ったCDであって決して自分の趣味で買ったものでない(当然、1回聞いて聞くことがない)。昔ならほとんど持っていたし、借りてでも聞いていた。それが時代というものかなあと思いますね。とうようさんも死んじゃったし、今野雄二も加藤和彦もみんな自分で死んじゃって、どうもロックって言うのは潔くっていけませんなあと最近思うことが多い。
ミュージック・マガジンのくくりでもロックというジャンルがつけられてしまっていて、何でも包んでいく得体の知れない概念でなくなってます。アップしたのはグレース・スリックとジャニス・ジョプリンでこの時期はやっぱりワクワクしてしまう。
2011/12/20
国富論
種の起源
2011/12/19
狼たちの午後
いつも借りるレンタル屋が時々大安売りをしてくれる。その時に結構古くて見ていないものを借りてくる。意外と有名なものでも見ていないものがかなりある。このアル・パチーノの「狼たちの午後」もそのひとつ。アル・パチーノの出世作ということになっているがいつでも借りて見ることが出来ると思っていたらいつの間にか今になっても見ていなかったので借りてきた。1972年にブルックリンで本当にあった事件で、1975年にシドニー・ルメットの監督で映画化された。銀行強盗の役の相棒のジョン・カザールは実に印象的な顔立ちで髪型もまた超印象的だった。残念ながらこのカザールはディア・ハンターに出た後癌で亡くなっている。この人の出ている映画はいいものが多い。
2011/12/18
proof of life
2011/12/17
Psycho
2011/12/16
Vera Miles
2011/12/15
疑惑の影
突然ヒッチコックである。ちょっとまえに「レインメーカー」というグリシャムものを見た。この映画におばあさん役でテレサ・ライトが出ていたので、そこからこれを思い出してまた見たというわけ。テレサ・ライトとジョセフ・コットンの息詰まるシーンを初めて見たのが多分淀川さんの洋画劇場だったと思うので、ずいぶん日が経っている。この映画は1943年に公開されているらしく戦争中にこんな映画が作られているというのがもう勝敗は決していたと思うのは僕だけかな??。
テレサライトという女優さんは昭和30年ごろに日本に滞在して映画を撮っているらしい。京都と奈良でロケを行ったという記事を見たことがある。(当然リアルタイムではありません)
この映画はヒッチコックものとしては一般的にはトップクラスの評価はつけられていないけれど好きな映画のひとつであります。特にジョセフ・コットンのミステリアスな怖さが魅力です。何か変だと薄々思い出すテレサライトもいい味が出ていて、興味のある方は見てください。
テレサライトという女優さんは昭和30年ごろに日本に滞在して映画を撮っているらしい。京都と奈良でロケを行ったという記事を見たことがある。(当然リアルタイムではありません)
この映画はヒッチコックものとしては一般的にはトップクラスの評価はつけられていないけれど好きな映画のひとつであります。特にジョセフ・コットンのミステリアスな怖さが魅力です。何か変だと薄々思い出すテレサライトもいい味が出ていて、興味のある方は見てください。
2011/12/14
Bob Welch
フリートウッドマックはブルース路線からアメリカン・ポップ的路線に行こうとして、完全に行ききれずジャズやらフォークやらブルースやらごった煮の感じがする時代を通過して新生マック(なんと表現していいかわからない)に至ると個人的に考えている。ごった煮の時代の中心人物がこのBOB WELCHで喧嘩別れというよりは自然と去っていった感じで記憶に残っている。ボブが去って行ったから、残りの3人(ミックとジョンとクリスティン)が新しいメンバーを探しているというような記事をすっごく昔読んだ記憶がある。
そのボブは、辞めてから「PARIS」というバンドを結成し(マニアの中では絶賛(特に2枚目))、このソロアルバムを出す。ややこしげなジャケットで「FRENCH KISS」という言葉はこの時に知った。これがいい出来で、ごった煮マックはこの人が仕掛け人だっという証明がなされている。今もよく聞く。
そのボブは、辞めてから「PARIS」というバンドを結成し(マニアの中では絶賛(特に2枚目))、このソロアルバムを出す。ややこしげなジャケットで「FRENCH KISS」という言葉はこの時に知った。これがいい出来で、ごった煮マックはこの人が仕掛け人だっという証明がなされている。今もよく聞く。
2011/12/13
Fleetwood Mac (2)
2011/12/12
Fleetwood Mac
2011/12/11
christine mcvie (3)
2011/12/10
2011/12/09
christine mcvie
2011/12/08
TWIGGY(2)
2011/12/07
TWIGGY
2011/12/06
moneypenny
2011/12/05
英吉利薔薇
フリートウッドマックのややこしいジャケットはここからスタートしてまして、ブルースのバンドとはまず思えなかった。いつのことだったか、多分1968年くらいかな(調べたら1969でした)、梅田まで出て輸入レコードをあさるというようなことは当時は思いつかないし、お金もないし、出来ることは近場のレコード屋を見て回ることだった。とある衛星都市の阪急沿線の駅前のレコード屋がこの手のニューロックをかなり取り揃えているという、地方では貴重なレコード屋があって、時間があればそこでレコードを眺めるのが実に至福の時であった(いい時代ですなあ)。そこでこの「英吉利薔薇」を見た。SONYから出たと思う。欲しかったですね。なんともいえない魅力を感じた。でも手に入れるのはずいぶんと先のことである。「ミスター・ワンダフル」も変だし、アホウドリ抱えているねえちゃんのジャケットとかも意味深です。 えっと、このジャケットのモデルはドラムスのミック・フリートウッドだということです。サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」も原曲はここに入ってます。単純なブルースバンドでもないのですね。不思議なサウンドが時々出てくるから楽しい。
2011/12/04
kiln house (2)
kiln house
2011/12/03
バンホーテンココア
森永インスタントコーヒー
記憶では小学校のころにこの森永のインスタントコーヒーが家庭に現れた。紅茶は今のティーバッグでなく茶こし(わかりますかね)にカンカンに入った紅茶の葉っぱをスプーンで取り出してお湯を注いで入れるというものであった。ところがコーヒーとなるとちょっと家庭では簡単に飲めない環境であった。そこでこのインスタントコーヒーが登場してきて、家庭でも「コーヒーOR紅茶」の時代になった。このとき森永のクリープも登場してきて、ペアで売り込もうとしていた。ところが、コーヒーはあんまり売れなかったみたい。日本全体の話はわからないが、僕の個人的な家庭では、当時個人タクシーの運転手をしていた伯父が近所に来たついでに立ち寄ったときに「これからはネスカフェやで」と言い残して帰った。僕の家はその後「ネスカフェ」に替わってしまった。クリープは残った。