2021/05/06

ビートルズ派手にやれ! クリフ・リチャードに欠けていたもの考


 ビートルズの思い出で生計を立てた(立てている)人はかなりの人数に上って、後半になるほどデマも多く信憑性が疑われるものが多い。思い出本がどれだけあることやら。翻訳されていないものを入れたら膨大な数になると思う。
この初代のマネージャーであった(と思われる)アラン・ウィリアムスの」ビートルズ派手にやれ!」は彼なりに大げさに法螺を吹いている部分はあると思うけれど、作為的とは思えず、ほぼ本当の話なんだと思っている。
出版されたのが、今から思えば初期であること、出た時のビートルズは「大物」には違いなかったけれど、今のような「伝説」ではない。まだいわゆる大衆音楽の大スターだとアラン・ウィリアムスは考えていたと思う。

書かれているのは、ほぼハンブルグ時代の思い出。
ハンブルグでトニー・シェリダンと「マイ・ボニー」を吹き込んでレコードを出して、そのレコードをブライアン・エプスタインの店にレイモンド・ジョーンズが買いに来て、そこから次のマネージャーに引き継がれるという構図になる。
ブライアン・エプスタインが見たキャバーンでの演奏はハンブルグ仕込みで、それはもう騒音、汚い、荒っぽい・・・というものであった。それをブライアン・エプスタインはスーツを着せて洗練されたものに変えようとした。
(後で述べるけれど、スーツを着てもそれを超える「ワイルド」さがあったから成功した。
ただ、革ジャン姿でデビューしたらどうだったのかな?このあたりは難しい。ブライアン・エプスタインが正しかったような。)

1962年の正月にDECCAのオーディションを受けて不合格、6月にパーロフォンのオーディションを受けて合格・・・となる。
DECCAのオーディションで不合格にした部長のディック・ロウはその理由を「シャドウズに似ている」と表現している。(本当は演奏のテープも聞いていなかったのに)
ただ、リバプールまで見に行ってオーディションを受けさせたDECCAのマイク・スミスは、当日の演奏がキャバーンでの演奏には全く及ばなかったと感じていた。
結果的に、この日2つのバンドがオーディションを受け、ビートルズは不合格、合格はなんと「ブライアン・プールとトレメローズ」だった(驚き、信じられない。ただ荒っぽさなら彼らの方だったかなとも思うけど)。

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ビートルズがアメリカで成功してから、イギリス勢が当然のようにアメリカでレコードを出せて、ヒットさせた。
それではなぜそれまでのイギリス勢はアメリカに行けなかったのか??という話が当時はよく出た。代表格はクリフ・リチャードとシャドウズである。
それを考えたら、ディック・ロウの「シャドウズに似ている」という表現は含蓄のある言葉であると思う。既に当時、業界はシャドウズを超えるバンドを探していたことになる。
当時、クリフ・リチャードとシャドウズでは、アメリカに行けないという閉塞感があったのではないか??それを突破する勢いがビートルズのキャバーンでの演奏にあった。だからDECCAのマイク・スミスはロンドンまでオーディションに呼んだ。ただ当日の演奏は求められている「ワイルドさと熱気」が感じられなかった・・・ということではないのかな。

そう、必要とされていたのはクリフとシャドウズに欠けている「ワイルドさと熱気」だったと僕は思っている。そういう気持ちでクリフ・リチャードを見ればどことなく「おりこうさん」路線。
プレスリーが出た時に、PTA推薦でパットブーンが出て来たのと同じかなと思った。
パットブーンでは「革命」は起こせなかった。プレスリーでないとね。
それと同じ、クリフとシャドウズではアメリカに風穴を開けれなかった。ビートルズでないと。




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