笑福亭仁鶴さんが亡くなった。
もう最近は落語も聞かないし、お笑い関係のテレビも見なくなったから、最近どうされているのかも知らなかった。
僕らの中学・高校の頃の深夜放送の「夜明けまでごっしょに」(明け方までやっていて最後まで聞いて、仮眠して学校に行く)のパーソナリティで気持ち的には永遠の友達みたいなもの。
断片的な思い出になりますが
「郵便馬車の馭者だった??(ちょっと違うかな?)」というロシアの歌を時々披露してました。歌は上手いというよりも味がありました。僕はその仁鶴さんの歌う歌が好きでした。
リクエストが貯まると時々歌ってくれたように思います。
「寝屋川に帰ってねやがわ」放送の終わる時にこれで締めくくる。
洋楽に疎いから、クロード・チアリさんがクロード・チャーリさんになる。
「どんなんかなあ」というレコードも出していた。
ボンカレーの宣伝で大ヒット「バテとるなあ・・」の流行語も。
「3分間待つのだぞ」も仁鶴さん??
それと「結構毛だらけ、猫灰だらけ、あーたの周りは・・・・」というのも仁鶴さんから聞いたような記憶が、特に「あなたが」のところが「あーたが」になる。何とも言えない太い声で「あーた」と言うのが印象的でしたね。
有名になってもタレント活動より落語家としての道(本業)を選ばれたようで当時の他の落語家(落語家というよりお笑い芸人さん)よりマスコミへの露出度は低かったように思います。
当時、毎日放送に「ヤングタウン」というラジオ番組があって、毎日夕方に千里丘のスタジオに学生達を入れて公開で収録して、その日の夜中に放送されていた。
よくあほ連中連れだってスタジオに行きました。そういえばその頃山本リンダにも会ったことがあるわ。
その時に仁鶴さんにもらったサインが残ってます。大学ノートの裏表紙にサインと「ベンベンコーナー」って書いてもらった。
「ヒョウのようでヒョウでないベンベン、
ライオンのようでライオンでないベンベン、
それは何かと尋ねたら・・・・・レオポン、レオポン・・・」
「虎のようで虎でないベンベン、
ライオンのようでライオンでないベンベン、
それは何かと尋ねたら・・・・・ライガー、ライガー・・・」
懐かしい思い出です。
ちょっと難しい病気だったのですね。
舞台の端から走って出てきて「笑福亭ニカクンスキーです」と名乗る。・・とかね。実に楽しかった。
ご苦労様でした。合掌。
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