勝手気ままな落書き帳
頭の老化防止(まあ本質的には無駄ですけど)に思うがままに振り返ってみたいと思ってます。
2026/10/21
機種変更
6年間使っていたiphoneが先日から急に熱くなったりし始めて、「こりゃいかん」とばかり、新しい携帯を探す。調べたらどんどん「高く」なっていて値上がり傾向は今後も続くらしく、「今が替え時」と思い機種変更に踏み切る。
携帯が送られてくるまでYouTubeで機種変更の動画ばかり見てかなりの知識を得たつもり。
明後日くらいに来るものと思っていたら今日届く。
計画を変更して今日はデータ転送に絞る。
まず両方の携帯が電池切れにならないようにコンセントにつなぐ。Wi-Fiの準備OKでスタート。
新しい方の携帯が動き出す、学習どおりや。
ただ、それから動きがない。おかしいな。次はもやっとした雲が出てくるはずなんやけど。
うんともすんとも動きなし。焦ってくる。学習してメモった紙を調べる。そしたらBluetoothも繋いでおくのを忘れていた。古い方の携帯のBluetoothをオン。
動き出すけど、新しい方がインストールを始めてそのまんま。焦る。
しばし我慢。インストール完了で晴れて「もやっとした雲」が登場。ようやく学習通り。
古い方はSIMカードがあって、今度のはeSIMなんで不安があったけれど無事通過。
lineも不安があったけれど、パスワードを事前に確認しておいたので無事通過。
というわけで終わってみたら意外と簡単だったという印象。
だいたい6年ごとで機種変更しているけど、次があるかどうかは生きてみないと分からない。
お借りしたこの写真。僕の場合は左に古い方、右に新しい方で、大体新しい方が「大きく」なっているのが普通。
ただ携帯って、パソコンより高いのですね。まあ機能も使われる頻度から考えるとパソコンがなくても携帯は要る生活になっている。
僕は古い方のiphoneはipod代わりに使う予定。1万曲くらいは入ると思う。
2026/09/25
1960年8月16日 オランダでのビートルズ
この写真は非常に有名な写真で、ビートルズが初めてドイツのハンブルグに行くときの道中の写真。
場所はオランダの「アルネム・オーステルベーク戦没者墓地」。なぜここで写真を撮っているのかがよく分からない。すっきりした説明にお目にかかったことがない。僕が一番納得しているのは「道に迷って休憩した」というもの。
リバプールからフェリーでオランダに渡って、そこからハンブルグに向かったらしい。
写真は、左からこのハンブルグの仕事をとってきたアラン・ウィリアムズ、初代のビートルズのマネージャーということになっている。まあそうだろう。
その隣が奥さん、座っているのがロード・ウッドバイン卿といってカリプソ・ミュージシャン、ジョンとポールにオリジナルの必要性を説いた功労者。彼が運転してハンブルグに(どうもアランも後で出てくるバリー・チャンも運転しているみたいです)。その横でサングラスをして立っているのがスチュアート・サトクリフ。楽器(ベース)はあんまり出来ない。
左から5人目がポール、そしてジョージ、一番右がピート・ベスト。この仕事が来た時にはドラムを叩ける人物はいなかった。大至急見つけないとという状況下でピートが登場。正直なところドラムを持っている奴なら誰でもよかったということ。
あと、どうしても5人組を見つけろというハンブルグからの指示でスチュアート・サトクリフも連れていく必要があったみたい。
なぜ、ここにジョンがいないのかという疑問が残る。4つほど説があって
1.ジョンがこの写真を撮った。
2.ジョンはハーモニカを盗んだので身を隠していた。
3.ジョンは体調が悪く車で寝ていた。
4.ジョンはお墓がずらっと並んでいる墓地が怖かったので出てこなかった。
・・・とまあ色んな説があるけれど、いまやバイブルのマーク・ルイソンの本によれば、今のところ「分からない」のが正解みたい。ジョンが語った事実がないから。
1の写真を撮ったのはバリー・チャンという人物でアラン・ウィリアムズの奥さんの兄にあたる人物。2のハーモニカを盗んだのはこの記念写真の後の出来事。4はアラン・ウィリアムズの本(「ビートルズ派手にやれ」)
よく考えたら、5人乗りのバンに10人乗ってイギリスからドイツまで行った訳ですね。
ビートルズの5人、アラン・ウィリアムズ、奥さんのベリル、ベリルの兄のバリー・チャン、通訳のシュタイナー、それにウッドバイン卿。
この写真のバックの記念碑
「彼らの名の永遠に残らんことを」
偶然とはいえ不思議な縁を感じる。
このことはアラン・ウィリアムズもインタビューで述べている。
2026/08/14
1974年12月20日~22日


昔の思い出が突然湧いてくる。本当に人間って不思議な動物だと思う。ほぼ52年前の記憶が蘇ってきた。漠然としているのでネットで暦を調べて確認。
1974年の12月20日金曜日
仕事が終わって、確かパチンコをした。寮に帰って、退屈なんで相部屋だった相棒と先輩から譲り受けた中古車でドライブに出かけた。当時は広島にいたので、岩国あたりまでという軽いノリで出かけた。それがどういうわけかどんどん西へと進み、確か下関駅の前で仮眠をしたのを覚えている。
12月21日土曜日
夜が明けて土曜日。せっかくここまで来たから橋(関門大橋)を渡ろうということに。それでいい加減な軽い気持ちで出発しているから、二人ともほとんどお金を持たずに来ていた。帰りのガソリン代も危ない・・・。そこで考え付いたのが相棒の悪友が飯塚にいるということだった。就職して飯塚の販売店に来ている。今から考えたら、携帯もない時代に、悪友の電話番号をよく知っていたものだと思う。勤めていた会社が大きかったので、販売店を番号サービスに聞いたのかもしれない。
なんとか連絡が取れて夕方に飯塚についたらいいということになって、持ち合わせのお金を考えながら、門司から飯塚までのドライブを楽しむことにした。この時の記憶はあんまり残っていない。広々とした平野の中を走っていた記憶はあるけれど。
まあ、無事に相棒の悪友にも会えて、お金を借りて、安い素泊まりの宿も見つけてくれていて無事に布団で就寝。
12月22日日曜日
この日は、相棒の悪友が(確か)ガールフレンドを連れて来ていて、あとで知ったことやけどその悪友も金欠で、僕らに貸してくれたお金はそのガールフレンドからの借り入れ?だったみたい。で、そのガールフレンドもいれた4人が行った先が「飯塚オート」(一番上の写真)だった。女の子を連れて行くところなのか疑問が残ったけれど。要はオートバイのレース。一攫千金を夢見てるおっさんばかり(笑)。要は1着のバイクを当てたらいいわけで、なんも知らんから、怪しい予想屋に小銭を払って馬券でない車券を買ってレースに参加。
結果は覚えていない。そのあと飯塚市の繁華街?を散策して、広島に向かって帰ることに。
1974年にどれくらい高速道路が出来ていたのか知らないけれど、記憶にあるのは、その日は高校生の駅伝が行われていて、広島の世羅高校がものすごい記録で独走しているのを聞きながら帰ってきたこと。
ものすごい記録というのは、駅伝でマラソンの世界記録より早く走れるか??
考えてみれば、数人で走るので一人で走るマラソンより早いと思うのが普通ですが、駅伝は日本だけの競技、マラソンは世界中のアスリートの世界。今でもマラソンのほうがタイムは早い(はず)。
当時のマラソンの世界記録はデレク・クレイトンの2時間8分33秒(上の3番目の写真を参照)。この時の世羅高校の記録がなんと2時間8分40秒。実況に力が入るのも納得ですよね。
脱線しますがオーストラリアのデレク・クレイトンはこの記録を10年以上保持して、あまりにも長い間破られないので距離が短かったのではという噂があった。
クレイトンはその前にも世界記録を出していてその舞台は1967年12月の日本の福岡マラソンで佐々木精一郎とのデッドヒートは今でも覚えている。(上から2番目の写真参照)
残念ながら、世羅高校はクレイトンの記録を破れなかったけれど、以降はマラソンの世界記録と日本の男子の高校駅伝の記録のデッドヒートが注目されるようになったと思う(僕だけが注目してるのかもしれないけれど)。
1974年の12月20日金曜日
仕事が終わって、確かパチンコをした。寮に帰って、退屈なんで相部屋だった相棒と先輩から譲り受けた中古車でドライブに出かけた。当時は広島にいたので、岩国あたりまでという軽いノリで出かけた。それがどういうわけかどんどん西へと進み、確か下関駅の前で仮眠をしたのを覚えている。
12月21日土曜日
夜が明けて土曜日。せっかくここまで来たから橋(関門大橋)を渡ろうということに。それでいい加減な軽い気持ちで出発しているから、二人ともほとんどお金を持たずに来ていた。帰りのガソリン代も危ない・・・。そこで考え付いたのが相棒の悪友が飯塚にいるということだった。就職して飯塚の販売店に来ている。今から考えたら、携帯もない時代に、悪友の電話番号をよく知っていたものだと思う。勤めていた会社が大きかったので、販売店を番号サービスに聞いたのかもしれない。
なんとか連絡が取れて夕方に飯塚についたらいいということになって、持ち合わせのお金を考えながら、門司から飯塚までのドライブを楽しむことにした。この時の記憶はあんまり残っていない。広々とした平野の中を走っていた記憶はあるけれど。
まあ、無事に相棒の悪友にも会えて、お金を借りて、安い素泊まりの宿も見つけてくれていて無事に布団で就寝。
12月22日日曜日
この日は、相棒の悪友が(確か)ガールフレンドを連れて来ていて、あとで知ったことやけどその悪友も金欠で、僕らに貸してくれたお金はそのガールフレンドからの借り入れ?だったみたい。で、そのガールフレンドもいれた4人が行った先が「飯塚オート」(一番上の写真)だった。女の子を連れて行くところなのか疑問が残ったけれど。要はオートバイのレース。一攫千金を夢見てるおっさんばかり(笑)。要は1着のバイクを当てたらいいわけで、なんも知らんから、怪しい予想屋に小銭を払って馬券でない車券を買ってレースに参加。
結果は覚えていない。そのあと飯塚市の繁華街?を散策して、広島に向かって帰ることに。
1974年にどれくらい高速道路が出来ていたのか知らないけれど、記憶にあるのは、その日は高校生の駅伝が行われていて、広島の世羅高校がものすごい記録で独走しているのを聞きながら帰ってきたこと。
ものすごい記録というのは、駅伝でマラソンの世界記録より早く走れるか??
考えてみれば、数人で走るので一人で走るマラソンより早いと思うのが普通ですが、駅伝は日本だけの競技、マラソンは世界中のアスリートの世界。今でもマラソンのほうがタイムは早い(はず)。
当時のマラソンの世界記録はデレク・クレイトンの2時間8分33秒(上の3番目の写真を参照)。この時の世羅高校の記録がなんと2時間8分40秒。実況に力が入るのも納得ですよね。
脱線しますがオーストラリアのデレク・クレイトンはこの記録を10年以上保持して、あまりにも長い間破られないので距離が短かったのではという噂があった。
クレイトンはその前にも世界記録を出していてその舞台は1967年12月の日本の福岡マラソンで佐々木精一郎とのデッドヒートは今でも覚えている。(上から2番目の写真参照)
残念ながら、世羅高校はクレイトンの記録を破れなかったけれど、以降はマラソンの世界記録と日本の男子の高校駅伝の記録のデッドヒートが注目されるようになったと思う(僕だけが注目してるのかもしれないけれど)。
すごく昔(50年以上前)の思い出です。その相棒とは、お互いに広島の会社を退職してそれぞれの路を歩んで年賀状の付き合いになったけれど、近所に来た時はたまに会ってあほな思い出を語り合った。その後ALSという難病にかかり、埼玉の病院に入院している時に2回ほど見舞いに行った。3回目に行こうと思っている頃には時すでに遅しだった。
人生いろいろあります。
人生いろいろあります。
2026/08/09
岡信子さん
毎年この時期になると「岡信子」さんのYouTube
(https://youtu.be/0CcjmDi0iWo?si=XWDyys3A0CL_oW_x)を見るようになった。戦後76年という題名から5年前の放送だと思われる。
岡さんはすでに亡くなっておられます。
高市さんにも見てほしいなと思いますが、多分こういうものは見ないのでしょうね。
淡々と原爆が落ちた当時の思い出を語られております。
(https://youtu.be/0CcjmDi0iWo?si=XWDyys3A0CL_oW_x)を見るようになった。戦後76年という題名から5年前の放送だと思われる。
岡さんはすでに亡くなっておられます。
高市さんにも見てほしいなと思いますが、多分こういうものは見ないのでしょうね。
淡々と原爆が落ちた当時の思い出を語られております。
2026/08/07
戦後81年
広島に原爆が落ちて81年、ということは敗戦(終戦)から81年。この時期になると毎年雑感的なものを書いている。読み返してみると発展性はない。毎回同じようなことを書いている。
ただ今回は広島に高市さんが行ったことで危機感いっぱい。大体心にもないことを述べてるだろうから。でも広島に行って戦争はしてなならないと思うのが普通の人ですよね。でも彼女には無理だろうね。
ただ今回は広島に高市さんが行ったことで危機感いっぱい。大体心にもないことを述べてるだろうから。でも広島に行って戦争はしてなならないと思うのが普通の人ですよね。でも彼女には無理だろうね。
プーチンもトランプも人の命を何とも思っていないですね。そういう人種がいることは歴然としている。高市さんもその人種に入る??
「強い日本」って何時のこと。
いずれにしても高市さんには早く辞めてもらわないといけない。ニュース見てても顔が映ったらチャンネル変えるのが面倒で困る。
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