2024/04/24

MUSIC MAGAZINE 2024.5

ミュージックマガジンの2024年5月号が創刊55周年記念で最重要アルバム110というのをやっている。もう最近は購読していないので久しぶりの「マガジン」を見る。
1969年から年代を5年ごとに区切り、各年代ごとに10枚をリストアップする目論見です。
まず、1969年から74年の10枚。有名どころが10枚。ビートルズはアビーロード、ローリングストーンズはレットイットブリード、ツエッペリンは4枚目、ピンクフロイドは狂気という感じである。
ミュージックマガジンは元は「ニューミュージックマガジン」という名前で創刊されて、1980年の1月号から「ニュー」がとれた。理由は色々と詮索されたけれど、日本国内で「ニューミュージック」というジャンルが出来上がって、ニューミュージックに関する雑誌と思われるようになったのに嫌気がさしたというのが一番の理由だと思っている。ニューミュージックの雑誌だと思って手に取ったら全く違うジャンルの音楽雑誌だったということが起こっていたみたい。
元々、ニューミュージックマガジンの「ニューミュージック」の語源は、「シングアウト」という雑誌の1966年9月号に評論家のポール・ネルソンが「ビートルズの『ラバーソウル』は、ボブ・ディランの『ハイウェイ61』と共に、『ニューミュージック』の金字塔である」と書いたところから来ている。
ビートルズはティーンエージャー向けのヒット曲から、ボブ・ディランはフォークソングから「新しい音楽」を開拓したという意味での「ニューミュージック」だった。
ニューミュージックマガジンの創設者「中村とうよう」という人は、僕が思うに、音楽を社会運動と結びつけて考えているようなスタンスで、フォークソングの生ぬるい音楽では社会改革はできないと思っていた時に激しいロックのリズムが現れて、「これはいける」と思った節があって、その後の「とうようさん」の言動を考えると「ロック」を真剣に思っていたのは数年間ではなかったのかな?と思っている。
明確に書かれた文章には出会っていないけれど、1970年代の後半には次の音楽に目が向いているように感じられるから。
基本的にとうようさんは「資本主義VS共産主義」という対立構図から、「支配者VS一般大衆」「商業音楽VS大衆芸能」・・・とまあ、対立構造としてとらえるのが好き?だったみたいで、クラシックも嫌いだったみたいで、白人のカントリー&ウエスタンも大嫌いだった。1970年初頭の「ニューロック」がその役目を負えないと感じてからどんどん他の音楽を探し求めて世界中の民族音楽を探していたような気がする。
ニューがとれた後のミュージックマガジンは「ワールドミュージックマガジン」になってしまった。
僕は、ビートルズからニューミュージック(当時はニューロック)に来た人間で、フォークソングはほとんど興味はなかった人種です。とうようさんはフォークソング(多分ボブディラン)からニューミュージック(当時はニューロック)に来た人で、ビートルズが1964年にアメリカで旋風を巻き起こした頃は全く興味がなかったのではないかなと思っている。
そのような全く別の道を歩んでいた2つの音楽マニア?が1969年の「ニューミュージックマガジン」にて結集して、数年間熱っぽく「ニューミュージックマガジン」を愛読したことになる。人によって愛読した期間は違うと思うけれど、55年間読んでいる人はいないでしょうね。