この写真は、中里介山の「大菩薩峠」の新聞で連載が始まった時の挿絵です。この小説の主人公は机龍之介といい、必殺技(プロレスみたいですが)は「音無しの構え」・・・どんな構えなんでしょうか??
この小説は本当に不思議な小説で文庫本で20冊を超える大作、最後の方はもうほんまに不思議な世界です。気になる方は挑戦してみてください。今は「ちくま文庫」から出ております。絶版になっていないのがすごいと思います。
2008/12/31
2008/12/30
見かけなくなった!
2008/12/29
伏見奉行所
2008/12/28
smile
ビートルズの最高傑作はと聞かれたら、今は結構分散した意見が上がりますが、一昔前なら「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だと答えるのが常識でありました。この1967年に出た「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というレコードは、ファンだけでなく、同業者(つまり同じ音楽家・・ストーンズとか、ホリーズとか)に多大なる影響を与え、例えばローリング・ストーンズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は「サタニック・マジェスティーズ・リクエスト」が相当することになっている。
さて写真のジャケットはアメリカのビートルズの最大のライバルであったビーチ・ボーイズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に相当する「スマイル」というレコードです(正確にはレコードのジャケットです)。レコードは発売されなませんでした。レコード番号も決まっていたのにね。その理由は興味のある方は人はお調べください。ネットにいっぱい載ってますから。
さて写真のジャケットはアメリカのビートルズの最大のライバルであったビーチ・ボーイズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に相当する「スマイル」というレコードです(正確にはレコードのジャケットです)。レコードは発売されなませんでした。レコード番号も決まっていたのにね。その理由は興味のある方は人はお調べください。ネットにいっぱい載ってますから。
2008/12/27
伝説の歌手
ボンバルディア
この写真は「ボンバルディア」というまあ短距離少人数用の飛行機です。今までに2回(正確には往復で4回か)乗ったことがある。もともと新幹線には週に多かったら3回くらいは乗る仕事をやってますが、飛行機はまずない。たまたま四国の仕事が入ったから、伊丹から松山まで乗りました。
それで目的の会社に着いたら、その会社の人たちが口を揃えて「飛行機、大丈夫でしたか?」という。初めは何のことかわからなかったんですけど、「あのボンバルディアという飛行機、かなり不安な飛行機なんですよね」という。その会社の人たちは東京、大阪に行くのに、この飛行機に始終乗っているので常に不安を感じながら乗っているということであった。
しばらくして高知空港に胴体着陸したニュースをみて、おぉそうかやっぱりと頷いた次第であります。つい先日も片方のプロペラがおかしいということで、片方のプロペラを止めて伊丹に戻ってきてました。
気をつけてチェックしていると他の機種に比べて圧倒的に故障の記事が多いように思う。もう乗らへんで。
それで目的の会社に着いたら、その会社の人たちが口を揃えて「飛行機、大丈夫でしたか?」という。初めは何のことかわからなかったんですけど、「あのボンバルディアという飛行機、かなり不安な飛行機なんですよね」という。その会社の人たちは東京、大阪に行くのに、この飛行機に始終乗っているので常に不安を感じながら乗っているということであった。
しばらくして高知空港に胴体着陸したニュースをみて、おぉそうかやっぱりと頷いた次第であります。つい先日も片方のプロペラがおかしいということで、片方のプロペラを止めて伊丹に戻ってきてました。
気をつけてチェックしていると他の機種に比べて圧倒的に故障の記事が多いように思う。もう乗らへんで。
2008/12/25
初めて買ったレコード
自分の小遣いで初めて買ったレコードというものはたいていの方なら覚えていると思う。正確には初めて買ったLPレコードである。多分記憶では1964年7月18日に買ったはずである。ジャケットを見ていただければお分かりのとおりビートルズの2枚目のLPである。1枚目は「ミート・ザ・ビートルズ」というLPでその年の春に出ている。1枚目は友達が買った。当時はレコードは高価なものだったので共同戦線で順繰りに買っていこうということになった。
確か、期末テストの終わりの日に買って、夏休みはこのレコードばかり聞いていた。9月になって2学期が始まったら3枚目の「ハード・デイズ・ナイト」が出る。もう頭の中はビートルズばかりであった。
確か、期末テストの終わりの日に買って、夏休みはこのレコードばかり聞いていた。9月になって2学期が始まったら3枚目の「ハード・デイズ・ナイト」が出る。もう頭の中はビートルズばかりであった。
sheena easton
2008/12/23
ロッドの1枚目のソロアルバム
上の写真は「セイリング」でおなじみのロッド・スチュアートのソロアルバムの1枚目です。CD化されて今も購入可能ですけどこのジャケットではありません。実はレコードの時代でもこの写真のジャケットは早々に消えてしまって、黄色に名前とタイトルが印刷されている実に無味乾燥なジャケットになってしまいました。
みているとなかなか雰囲気のいいジャケットだとおもいます。見開きジャケットですので内側の写真もなかなかいいのですけど見ていただけないのが残念です。また、このジャケットの写真を撮っているのが今となっては幻の写真家キーフだと思います。
レコードの時代は、レコード+ジャケットで作品という認識でしたから、いつも黄色のレコードを見て残念に思っています。
実は写真のレコードは持っておりません。(写真を掲載するにあたりキーフの特集を組まれていたHPを見つけましたので、そこから拝借しました)
みているとなかなか雰囲気のいいジャケットだとおもいます。見開きジャケットですので内側の写真もなかなかいいのですけど見ていただけないのが残念です。また、このジャケットの写真を撮っているのが今となっては幻の写真家キーフだと思います。
レコードの時代は、レコード+ジャケットで作品という認識でしたから、いつも黄色のレコードを見て残念に思っています。
実は写真のレコードは持っておりません。(写真を掲載するにあたりキーフの特集を組まれていたHPを見つけましたので、そこから拝借しました)
2008/12/22
lena philipsson
この方は表記のとおり「lena philipsson」というスエーデンの歌手さんです。結構大物でいらっしゃるらしい。「らしい」というのはそれほど多くの情報が日本にはやってこないからである。インターネットの楽しいところは、日本に紹介されていない各国の歌手や映画俳優さんを自分で発掘し見ること(聞くこと)が可能になったことである。国と国の間の紹介作業というのは様々な分野において行われてきたわけであるが、その時に生じる恣意性が避けることが出来なかった。その恣意性を取っ払うことが可能になったことは素晴らしいことだと思う。ただ情報の洪水に溺れてしまって自分の進む方向を見失う恐れが多分にある。
この「lena philipsson」さんも全く別の調べ物のついでに現れて、すっかりとりこになっちゃいました。ユーロビジョン・コンテスト1位に輝く時のパフォーマンスはなかなかのもんです。是非見てください。
この「lena philipsson」さんも全く別の調べ物のついでに現れて、すっかりとりこになっちゃいました。ユーロビジョン・コンテスト1位に輝く時のパフォーマンスはなかなかのもんです。是非見てください。
2008/12/21
bonnie & clyde
昔、「俺たちには明日はない」という映画を見て、大変感激した記憶が残っている。実物のボニー&クライドの写真がこれ。フェイ・ダナウエィと比べたらちょっと可哀想かな。この映画を見た時は妙に感激した。しかし、この間見たらなんでこんな映画に感動したのか不思議な気がした。これが年というもなんでしょう。ただ、当時はひょっと間違ったら警察から追いかけられる人生になるかもしれないと思うような予感みたいなものをかなりの若者は感じたものである。今は平々凡々の人生ですが。それが単純に懐かしいだけでいいのか分かりませんけど。最後のシーンの警官に気がついた時の2人の目の表情はその後のマシンガン乱射のシーンより僕には記憶に残る名シーンだと思っている。
2008/12/20
誰がカバやねん
2008/12/19
ミス・マネーペニー
007という映画は僕が中学1年つまり1963年に公開された(と思う)。たしか「007は殺しの番号」とかいう題名でどちらかというとハリウッド的な豪華さではなく、さりとてフランス映画のような粋な雰囲気でもなく、地味なイギリス映画としてやってきた。当時段々と西洋文化に興味を持ち出した者としては(というより西洋のきれいな女優さんが気になりだしただけでありますが)当時の「映画の友」や「スクリーン」という雑誌でアーシュラ・アンドレスという俳優さんの写真を見てどうしても映画が見たかったのを覚えている。
写真は、この007シリーズの映画に「マネーペニー」役で出た3人の女優さんです。左のルイス・マクスウエルが一番有名ですがあとの2人も結構気に入ってます。
2008/12/18
気になる写真
2008/12/16
荒野の用心棒
昨日は「マカロニの安」の思い出を書いたので、今日はマカロニ・ウエスタンの記念すべき第1作「荒野の用心棒」の話を。
僕はこれを京都の四条河原町の映画館で見た。確か1965年の12月である。記憶ではビートルズの「ヘルプ」とはしごした。
メインは「ヘルプ」なのであるが、この映画も捨てがたかった。特に初めから印象深い口笛のテーマソングで、しかも当時のヒットTV番組の「ローハイド」のロディことクリント・イーストウッドが主役である。その時はイタリアに出稼ぎに行って撮った映画だとは知らなかった。しかも黒澤の映画「用心棒」のことも知らなかった。なんにも知らずに引き込まれて見てしまった映画である。
テーマソングの「さすらいの口笛」は後にイギリスのベーブ・ルースというバンドがカバーして僕はこれを今も気に入っている。
クリント・イーストウッドが今のような大スター&監督になるとは夢にも思わなかった。
僕はこれを京都の四条河原町の映画館で見た。確か1965年の12月である。記憶ではビートルズの「ヘルプ」とはしごした。
メインは「ヘルプ」なのであるが、この映画も捨てがたかった。特に初めから印象深い口笛のテーマソングで、しかも当時のヒットTV番組の「ローハイド」のロディことクリント・イーストウッドが主役である。その時はイタリアに出稼ぎに行って撮った映画だとは知らなかった。しかも黒澤の映画「用心棒」のことも知らなかった。なんにも知らずに引き込まれて見てしまった映画である。
テーマソングの「さすらいの口笛」は後にイギリスのベーブ・ルースというバンドがカバーして僕はこれを今も気に入っている。
クリント・イーストウッドが今のような大スター&監督になるとは夢にも思わなかった。
2008/12/15
マカロニの安
昔、高校の同級生に「マカロニの安」というニックネームの友達がいた。なぜ「マカロニの安」かと言えば、名前が「安田」でマカロニ・ウエスタンが大好きであったからである。そのマカロニの安が日本で公開されたマカロニ・ウエスタンの一覧表を作っていて小さな小冊子にして僕にくれた。そしてその小冊子を時々返してくれと言って、追加の映画を記入してくれるのであった。
僕も「荒野の用心棒」をリアルタイムで見ただけに結構すきであったが、マカロニの安の世界には到底及ばなかった。今もDVDに埋もれた生活をしているのであろうか??
写真は、マカロニを超えたカルト映画として名高い「続夕陽のガンマン」である。
なぜか今となってはこれが一番好きである。
僕も「荒野の用心棒」をリアルタイムで見ただけに結構すきであったが、マカロニの安の世界には到底及ばなかった。今もDVDに埋もれた生活をしているのであろうか??
写真は、マカロニを超えたカルト映画として名高い「続夕陽のガンマン」である。
なぜか今となってはこれが一番好きである。
2008/12/14
桜井の駅
2008/12/13
お気に入りの写真
どこかから取り込んで一番大事にしてる写真。多分1962年の秋ごろの写真だろう。
誰だかわかりますか??
左から4人がビートルズ。それから4人がジェリー&ペースメーカーズ、次に立っているのがブライアン・エプスタイン
その後の5人(右から5人)がビリー・J・クレーマー&ダコタスです。
ポイントはブライアン・エプスタインがマネージャーを努めていた御3家であります。
まだ、とんでもないアーティストになるなんて夢にも思っていなかった時代のビートルズが楽しそうに写っています。
白黒の雰囲気もいいですし、なんとなくイギリスっぽくて(場所は多分リバプールなんでしょうね?それともロンドンでしょうか?)とても気に入ってます。
2008/12/12
八鹿駅
2008/12/11
行ってみたい
聖徳太子
2008/12/09
1960年
この写真は1960年のイタリアにおけるローマ・オリンピックのマラソンのエチオピアのアベベのゴール間際の写真である。
この写真では確認できないが裸足のはずである。
裸足のランナーが金メダルを取ったということで当時小学生だった僕の耳にも聞こえてきた。
アベベは翌年、大阪から岸和田城まで走る(確か当時は毎日マラソン)に参加したのを覚えている。このときは平凡な記録だったはず。オリンピックで2連勝はアベベとチェルピンスキーの2人がいるが、チェルピンスキーはボイコット事件のモスクワ大会で勝っているので、実質的2連勝はアベベだけだと個人的は確信している。
なんか哲人的な雰囲気むんむんの姿はもう単なるマラソンランナーを超えたオーラを感じたものである。そう感じたのは僕だけでなかったようで日本にはアベベファンが今もかなり残っているようである。
2008/12/08
雪景色
2008/12/07
廃墟
2008/12/05
まずやってみよう。
登録:
投稿 (Atom)