昨日に続きまして、パリのオリンピア劇場の3人(正確には2人と1グループ)、トリニ・ロペスだけおじさん。シルヴィ・ヴァルタンは19歳です。ビートルズは22から24歳だったはず。 ・・すみません、調べてみたらトリニ・ロペスもお若いでした1937年生まれということで当時20代・・・う~む。なんともいえまへん。
2011/05/31
2011/05/30
sylvie vartan (3)
これが昨日の続きの1964年のパリのオリンピア劇場のプログラムである。一番上が「レモン・ツリー」でおなじみのトリニ・ロペスで、次にシルヴィ・ヴァルタン、それで最後にビートルズ。これってどんな人が見に行ったんだろうと思う。トリニ・ロペスはちょっと(いやかなり)雰囲気が違うのでは??当時のシルヴィ・ヴァルタンはイエイエ路線まっしぐら時代だから、多分「ロコ・モーション」とか悲「しき雨音」などのフランス語バージョンを歌ったと思う(このあたり本家よりいいのではと思うこともあります)。この時のビートルズとシルヴィ・ヴァルタンの写真は沢山世の中に出てます。本当に不思議な気がしてます。特に日本人が一番不思議に感じるかもね。
2011/05/29
sylvie vartan (2)
これは有名な「sylvie vartan 」と「Beatles」がパリのオリンピア劇場にて共演した時の写真。1964年の1月である。この時、もう1人共演者がいてトリニ・ロペスです。この時点では、ビートルズが一番無名。もちろんイギリスでは爆発的な人気であったが、当時はイギリスの1位なんて・・・という時代。僕はこの写真をいつも感慨深くながめてしまう。この時に「抱きしめたい」がアメリカのヒットチャートで1位になったという吉報が飛び込んでくるのである。次の2月にはアメリカ上陸でエド・サリバン・ショーで70%以上の視聴率をたたき出す。そう思えばまだゆったりした時期の写真である。片方のシルヴィ・ヴァルタンはフランスでは既にトップアイドルであったようである。ただこの年の秋に映画「アイドルを探せ」の主題歌が日本で驚異的なヒット曲となって、多分この時には、日本がどこにあるかなんて知らないはずの極東の国に行くなんて夢にも思っていないと思う(さらにレナウンのコマーシャルソングを歌うなんてね)。映画「アイドルを探せ」がいつ撮られたのか今から調べてみたいと思っているが、ビートルズはヤアヤアヤアを3月から撮り始めている。そう思えば両者とも大スターになる一瞬前のワンショットです。
2011/05/26
BEATLES 前夜
1964年の4月に突然、ビートルズを聞き出したのである。その時の思い出は後日書きます。よく考えたら聞き出す下地は出来ていた。要は洋楽(つまり海外のヒット曲)に興味を持つようになっていた。1963年の暮れあたりからこの「ワシントン広場の夜は更けて」という曲が流行って結構気に入ってレコードが欲しいなあと思っていたような記憶があるようなないような。このレコード自体はインストルメンタルであるが、結構日本人が歌詞をつけて歌っていた。曲のサビのところを「ワシントン広場の夜は更けて」と歌ってうまく合っていた。今から考えたら不思議である。このヴィレッジ・ストンパーズというバンドはこのあと2曲くらいベスト100にチャートインさせたけど消えていきました。
2011/05/25
1964.09.01
2011/05/24
I should have known better
2011/05/21
royal albert hall
geraldine sherman
2011/05/20
marianne stone
2011/05/19
wilfrid brambell (3)
2011/05/18
susan whitman (2)
資本主義が危ない
2011/05/16
susan whitman
2011/05/15
prudence bury (2)
この写真はある意味では一番有名な「ヤア!ヤア!ヤア!」の1枚かもしれない。ビートルズの面々の後ろに、左からpattie boyd 、tina williams、 prudense bury、 susan whitman という女の子が髪の毛をそろえている。ここからパティとジョージの仲が発展してゴールインとなる。で僕は他の3人はどうなったのかずっと興味があった。このネット社会のおかげでかなりの情報が手に入るが完全とはいえない。まずポールの後ろのprudense buryは自分で情報を発信しているのでかなりのことがわかる。今日のある方はこの名前だけでヒットするから是非ご覧ください。さて後の2人は・・・次回へと。
2011/05/12
wilfrid brambell (2)
2011/05/11
rosemarie frankland
2011/05/09
誰か教えて(その3)
2011/05/08
wilfrid brambell
THE BEATLESの「A HARD DAY'S NIGHT」はこの爺さん役の「wilfrid brambell」のおかげで実に面白い作品に仕上がった。これは交番に保護された時に先に連れてこられていたリンゴに「拷問されたか?」と聞いているシーン(この顔が絶妙である)。この映画(AHDNと約されていることが多い)は出演者のクレジットにない人でも結構イギリスではそこそこの俳優さんである人が出ていて、今のハリウッド映画ならもういいやん「どこに出てたん」と思うくらい長~く延々と出演者のリストが流れるけれど、当時の映画はあっさりしたもので主だった出演者しか載せないので「えっこんな人も出ていたん」ということがあって楽しい。
2011/05/07
誰か教えて(その2)
IMDBという便利なものが出てきたおかげで、ちょっと出てきた役者さんでもほとんどの人の経歴が分かり、さらに他に出ている映画も分かり次から次へとイマジネーションが広がり、昔のことを考えたら本当に便利になった(その影で、自己製のデータベースで食べていた業界の人は失職しているだろうけど)。そんな中でこの写真の女性が誰なのかわからない。ご存知ビートルズのヘルプの1シーンです。パブでリンゴが落とし穴(床)に落ちたところ。このカウンターから覗き込んでいる女性の名前が知りたい。一応、IMDBに出ている名前はすべて調べたけれど写真が出てこないと分からない。ビートルズの映画は当時のイギリスの有名な俳優さんやこれから羽ばたこうという無名の俳優さんががかなり登場していて結構調べていたら楽しい。
2011/05/06
tessa niles (2)
2011/05/04
tessa niles
clare hirst
昨日、「教えてください」って載せてから、今日は自分で探してみた。過去にも何回もアタックしていたからあんまり自信はなかったけれど。デビッド・ボウイのバックバンドの変遷を記録されている熱心なHPは結構あって今までも見てきたのだけどピッタシという人物に出会えなかった。ところは今日はすんなりと探し当てたというかなんともいえない幕切れだった。僕はライブのDVDはナレーションはどんどん飛ばして見てしまう。特にライブエイドなんかになったら、曲と曲の間が面倒(いちいち聞かない)なのとあんまり知らない曲は飛ばす等々かなり荒っぽい見方なんで、なんとボウイがメンバーを紹介しているシーンを今まで見ていなかった。というわけであっさり「CLARE HIRST」というお方であることが判明、その名でググッたら「IKO IKO]のベルスターズのメンバーだっという。ベルスターズって初めはスカのバンドだったよなあと昔を思い出してました。一件落着。
2011/05/03
誰か教えて
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