マラソンを興味を見るようになったのは、多分「アベベ・ビキラ」というエチオピアのランナーが1960年のローマオリンピックで裸足で走って優勝したという話を親が喋っていたことを覚えていてアベベって・・・・。そういう話題になった人物をすぐに招待する癖は日本には昔からあったみたいで多分次の年(1961)に日本に招待しているのだと思う。昔の記憶なんで、大阪城から岸和田城まで走った(なにマラソン?)ように覚えてるんですが(調べたら毎日マラソンでこの時は浜寺公園発着となっている。お城の記憶は何処だったのか?)。でアベベが日本に来て興味を持って見出したマラソン中継で代表的なマラソンが朝日の福岡マラソンであった。当時は一番権威のある大会だったように思う。何時からか国際大会という名前になって、東京オリンピックから数年後かなこのデレク・クレイトンという人が2時間10分を切った。いわゆるサブテン第1号ですなあ。今でも10分きったらそこそこええ記録だと思うので当時は遂に出た幻の・・・という感じだった。40年以上前に10分の壁は破られた、今は3分の壁が破られて2分、1分そして2時間の壁も・・・。左は佐々木精一郎選手で11分台だったこれもすごい記録だった。アベベの記録より速かったから。この時はどきどきして見ていた。
アベベは岸和田を走りました。
返信削除1961年6月25日の毎日マラソンです。
当時高校生だった私は後姿ですが写真を撮りました。
アドレスを連絡いただければ写真送ります。
シークガイのいさヤン
書き込み有難うございます。僕は小学校5年でした。テレビで(もちろん白黒)で見たのを覚えております。なにかお城の記憶がありまして、それが大阪城だったのか岸和田城だったのかもう今となってはわかりません。
返信削除もしよろしければ、何時でも結構ですので下記のアドレスまで送っていただければうれしいです。
applejack1■nifty.com
■を@にして送ってください。