2011/08/31

海洋地形学の物語

ロジャー・ディーンの見開きジャケが気になりだすとレコードの内容は後でということなって、まずレコードを買ってジャケットを見開きで見ることから始まる。あのころどんどん量産された感じがするが1番かどうかは難しいけれどお気に入りはイエスの「海洋地形学の物語」、確か2枚組みで1974年の初めくらいに出たように記憶してます。FM大阪のビート・オン・プラザでエア・チェックした。なにせ長い片面1曲、う~む、なんぼ長いのが好きだからといってもやや長すぎかなと思いながら、でも結構よく聞きました。「こわれもの」「危機」「ライブ(3枚組)」「海洋地形学の物語」というこの4枚がイエスの極めつけだと思います。全てジャケットはロジャー・ディーンでもう1枚「リレイヤー」を加えたら完璧。





2011/08/30

Uriah Heep(2)

ロジャーディーンということならばこれも紹介しておこうということで、ユーライアーヒープの「magician's birthday」5作目です。多分4→5→3作目の順番の出来だと思いますが、これは個人の好みもありますので。1972年頃ですからイエスの「こわれもの」「危機」と同じ頃です。 この路線を引き継いでいけばどうなっただろうかと思うことがあります。イエスはジョンアンダーソンがかなりコンセプトにこだわったということがよく言われますが、ユーライアーヒープはそのあたりの取りまとめ役がいなかったように思います。グループの維持というのも経営活動に良く似てますね。全てが達人でも天才でもあきません。そういう意味で何時分裂しても不思議でないバンドの一瞬の驚異的な3部作とも言えそうです。




2011/08/29

Uriah Heap



突然「ユーライアー・ヒープ」で昨日の「ドアーズ」に比べて数段格下?のバンドに話題がなる。このバンド一応今もやっているらしい。もうほとんど昔のメンバーはいない。記憶というのは恐ろしいもので僕はリード・ボーカルのデビッド・バイロンが今も生きていると思っていたらとっくの昔になくなっていた(1985年アルコールによる肝硬変)。この頃ならまだ真面目に音楽雑誌を読んでいたと思うのですが全く忘れてました。ユーライアー・ヒープはやはりデビッド・バイロンのボーカルに特色があって3枚目(「対自核」と4枚目と5枚目がお薦めです。まあプログレ&ハードロックの入門編くらいの位置づけに今から考えるとなります。「対自核」と「安息の日々」の2曲だけでもいいかもです。8枚目あたりだったかな、ジョン・ウエットンが驚いたことに加入してあっという間に辞めていったり、デビッド・バイロンも辞めてあのクレム・クレムソンとラフ・ダイヤモンド(だったと思う)という名前のバンドを作ったりゴタゴタしていたことを思い出した。
今日、急に「安息の日々」が脳裏から聞こえてきた。沢山の音楽を聞いて生きてきたらこんなことが時々ある。
えっと、このジャケットはロジャー・ディーンです。

2011/08/28

DOORS

受験を控えてビートルズのホワイトアルバムを聞いていたことを昨日書いたが、もう一つその頃聞き入っていたレコードがこのドアーズの1枚目。これを聞くとなぜかチマチマした受験勉強をしていていいのか??さりとて代わりの選択肢は思い浮かばなかったので上手く軌道に乗っていない受験勉強をごまかす詭弁だったのかもしれないなあと今になれば思ってしまう。ただ当時「ジエンド」なんかを聞くとスカッとするという代物でなく、「さあ勉強しよう」という気にはならなかったことも事実である。これはまずい悪魔に魅入られてしまったと思っていた。それくらいジム・モリソンの声は生々しかった。


2011/08/27

赤頭巾ちゃん気をつけて(2)

「赤頭巾ちゃん気をつけて」は映画まで作られた。僕は見に行っていないけどヒロインの森和代という女の子はこの映画に出る前から気にっていて抜擢されて驚いたというか(知る人ぞ知るという世界から羽ばたいちゃった)のでがっくりした思い出がある。この映画が好評だったのかどうかは知る由もないがなんと主題歌まである。佐良直美(この字でよかったかなあ)という歌手が歌っていてヒットしたのかどうかも知らない。僕の記憶では本が売れて映画化されたので両方良かったというのは稀で大抵映画は不評である(ただし当時のは話)。記憶では「二十歳の原点」「風の歌を聴け」「限りなく透明に近いブルー」等々みんな映画が負けていた。両方良かったのは「ジャッカルの日」で、まあこれはジャンルが違いますから。
東大の安田講堂に機動隊が突入したのは1969年1月19日だったと記憶しているけど、その時僕は受験勉強ではなく、なんとビートルズの2枚組み「ホワイトアルバム」を買いにレコード屋に友達と行っていた。友達が全員ホワイトアルバムを買った。このレコードには通し番号が振られていてあと5つで5000番だった。1番は誰がと思った(後日談ではめちゃくちゃ管理がずさんらしく同じ番号がわんさかとあるらしい)。で友達と安田講堂の機動隊と学生の旗を見ながら、我々はいったいどこを受ければいいの?と悩みながら「バック・イン・ザ・USSR」を聞いていた。いい加減なものである。