2013/11/29

ダラスの熱い日

久しぶりに見る。事件は50年前で作られたのは40年前、10年間の調査の結果を上手にフィクションと混ぜて作られている。昔見ているにも拘わらず狙撃の瞬間までをドキドキして見てしまう。多分真実は当たらずとも遠からずなのかなと思っています。
オズワルド単独では到底できない芸当です。
ただアメリカという国は実に複雑な国であるという感じで、FBIとかCIAとか警察とかそれぞれの思惑で動いていて最終的にどう転ぶのかわからないですね。
ソ連からやってきた奥さんはそのままアメリカにいる?んでしょうね。本も出てますから。実に不思議な人生です。

2013/11/28

Oswald 2

今日は不思議な体験をした。電車に乗ってケネディの新しい本を読もうと思っていた。いつも乗る電車はまず空いていて、まあいつものように乗ったら、どういうわけかいつも座る場所に外人さんが3人座っている。しかも「テキサス・ダラス」と書いてある帽子をかぶっている。この人の前でケネディの本を取り出すのは凶か吉か悩みますわね。「ケネディなんか死んだ方がよかったんじゃ」と思っている人かもしれないし。
話は変わりますがグーグルのストリート・ビユーでは今もオズワルドが借りていたダラスの家が映ってます。まだ現存しているということです。

2013/11/27

Oswald

ケネディを暗殺した(とされている)オズワルドがまた暗殺されたという話は確か学校にいるときに誰かが言ったような記憶があって、何のことか全然分からなかった。ケネディが暗殺されてからオズワルドが暗殺されるまでの時間はあっという間のような気がした。
誰かが「ストリップ劇場の支配人らしい」と言っていたような・・・。大統領とストリップ劇場の支配人??なんかようわからん話に思えた。
そうこうしているうちに1964年になり、ビートルズにのめりこんでいき、ケネディのことは急速に忘れていってしまう。
年齢を重ねてくると、「あの時のあれはいったいどういうことだったのだろう」と思うことが増えてきて10年くらい前にケネディ事件の本を何冊かまとめて読んだことがある。その時に、このオズワルドという人物が実に摩訶不思議な人生を歩んできたことがわかり、日本にもいたことがあって、ソ連に亡命、そんでまたアメリカに帰ってきた(ソ連の嫁はんつれて)・・・ようわからんわ・・とまあ半分呆れるようなチャンポランな人生のような気がして、いいように利用されたんでしょうね(誰に?)。
この写真おかしいと言われてますが、どうおかしいのかは僕はわからないですが、素直にこんな斜めに立てまっか?と思う。
真相がわかる時が来るのでしょうか?

2013/11/25

nantucket

アメリカのマサチューセッツ州にあるナンタケット(nantucket)という島の航空写真です。下側の右ですね。
なんでこの島を思い出したかというと、前回ケネディのことを思い巡らしているうちに、兄弟のエドワード・ケネディが昔スキャンダラスな事件を起こしたことがあったなと思い出して調べたら、下の左側の島(Chappaquiddick島)での出来事でした。こんなに近いところの事件だったのかと変に感激?しておりました。

2013/11/23

JFK

往年の阪神のストッパートリオではありません。ジョン・F・ケネディです。暗殺されて50年ということで、あれから50年かという気持ちです。当時中学1年であの頃から興味ががだんだん視野的に広くなっていった気がしてます。64年にビートルズ、東京オリンピックでしたが、世界の動きを気にしだしたのはこのケネディ暗殺事件からかもしれません。アメリカとソ連とキューバとかベトナムのゴ・ジン・ジェム政権(焼身自殺)とかケネディの記事に関するところを読んでいるうちに入ってきだしたニュース(知識)でした。偶然かもしれませんが、今から考えたらケネディもゴ・ジン・ジェム政権もベトナム戦争の一環みたいな感じですね。
蛇足ながら、ケネディを暗殺したのはオズワルドということになっているが信用している人は少ない。そのオズワルドもまたすぐ暗殺される。たしか暗殺したのは?(名前は忘れた)、確かその犯人は劇場の経営者で、ザ・バンドのラストワルツというDVDを見ていたら、この犯人の経営する劇場で演奏したと言っているシーンがあって驚いた。
アップしたのは撃たれた瞬間、ケネディの頭の一部が飛んでいくのを必死で捕まえようとするジャクリーヌ夫人という緊迫した一瞬の写真(当時の8ミリというか動画からの一コマだと思う)