今月はこのサイモンとガーファンケルで〆ましょう。「卒業」という映画は今見たらばそう感激しなかったということは既に書いたけれど、「スカーバロ・フェア」が歌われるシーンは今見ても感激もんでした。当時はLPレコードをどんどん買えるほど余裕もなくヒットシングルがようやく買えるかどうか時代です。知っているのは「サウンド・オブ・サイレンス」以降のシングルヒットのみ、最初に聞いたときのなんともいえない不思議な感激が今も記憶に残っています。調べてみたら昔から歌い継がれてきている歌なんですね。ロッド・スチュアートのアメイジング・グレイスと同じ範疇に入るのかも。
2009/07/31
2009/07/29
simon & garfunkel(5)
これは彼らの4枚目のアルバム、多分1968年前半にでた名作の誉れ高き「ブックエンド」です。僕の好きな「オールド・フレンド」が入ってます。これはいわゆる僕の言い方からしれば「サージャント・ペッパーズもん」に当たります。ビートルズが1967年に「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というLPを発表します。当時のヒット曲とその穴を埋めるそこそこの曲のオンパレードという当時のポップスLPの常識を打ち破った革命的なレコードでした。1枚のLPレコード(当時は裏表で40分)が一つのコンセプトで作られているというコンセプト・アルバムの登場です。このあと沢山のアーティストが真似をしてコンセプトアルバムを作ります。ローリング・ストーンズ(完全な失敗作)、ビーチ・ボーイズ(完成せず破綻)、ホリーズ、スモール・ファイセス、ゾンビーズ、そしてこのサイモン&ガーファンケルもまたコンセプトアルバムを作りたがりました。レコード会社は止めようとします。そんなこんなで合意に達したのが、前半コンセプトアルバム、後半ヒットパレードっぽいという折衷案がこれです。ただ折衷案とはいえ、全体としてよく出来てます。
2009/07/26
simon & garfunkel(4)
simon & garfunkelというデュエットが日本で一躍有名なるのは、「sound of silence」がアメリカで大ヒットしてから、何年あとかすっかり忘れてしまったけれど、「卒業」という映画に彼らの歌が使われたのがきっかけだったと思う。この映画が発表された時には「ミセス・ロビンソン」というシングルが全米NO.1になっているし、その他にも名作「スカーバロ・フェア」も映画の中で使われ完全に時代の人となってしまった感があった。写真はヤフオクからいただきました。僕はこのレコードは持っていない。ただsimon & garfunkelと「卒業」の話にはこのレコードジャケットが一番いいと思ったから。ジャケットに映っているのはダスティン・ホフマンとアン・バンクロフト(ミセス・ロビンソン)の足です。今から考えたら何故これが「ニューシネマ」なのか理解できないというか当時の空気を忘れてしまったというか・・・ちょっとズレたらよろめきドラマなんですけど。この間久しぶりにDVDを借りてみたら何であの頃「これは名作!」だと思ったのか理解できなかった・・・年をとるってこういうものなのかなって思いました。
2009/07/24
simon & garfunkel(3)
この2人の登場までの話はもうすっかり有名だから、ここで改めて書くこともないのですけれど、1965年だったか、フォークからロックへの過渡期の時代があった。フォークギターからエレキギターに持ち替えて時代を変えていったボブ・ディランの話は有名ですが、僕はまだボブ・ディランという歌手には馴染めなくて、ヒットチャートに出てくる「ソニーとシェール」とか「ミスター・タンブリンマン」の「バーズ」の方が聞きやすくて好きだった。そんな中で彼らよりより知的な雰囲気があるsimon & garfunkelは知的な雰囲気でもボブ・ディランに負けていないし、曲は聞きやすい・・ということで僕はこっちの方のファンにというか、レコードを買う小遣いにも限りがあるので、ボブディランよりサイモンとガーファンケルのほうを買うことが多かった。
これは「水曜日の朝、午前3時」というなかなか洒落た題名のアルバムです。
これは「水曜日の朝、午前3時」というなかなか洒落た題名のアルバムです。
2009/07/23
simon & garfunkel(2)
この「明日に架ける橋」というレコードは1970年の春(だったと思う)に発売されて大ヒットした。シングル盤が先行発売されてアメリカで大ヒット。LPには「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」というその後シングルヒットする曲が収められていて、さらにエバリー・ブラザーズの「バイ・バイ・ラブ」が収められ、それまでの単なるフォーク・デュエットから大きく脱皮し(正確には、それまででも充分巷のフォーク・シンガーとは一線を画していたから、大きく飛躍したと言う方が正しい)、「simon & garfunkel」として別格扱いされるようになった渾身の1枚であります。その頃は、ビートルズの「アビー・ロード」、ストーンズの「レット・イット・ブリード」と大物が彼らの実力を見せつける大作が出ていた時期で、このアルバムもその範疇に入るものです。
「ニューヨークの少年」とか「ソング・フォー・ジ・アスキング」などほかの曲も捨てがたい。帝国ホテルの設計者なんてこのレコードで初めて知った。いろいろと思い出深いLPです。この写真はレコードの裏のジャケット、2人の写真がいい雰囲気出てます。
「ニューヨークの少年」とか「ソング・フォー・ジ・アスキング」などほかの曲も捨てがたい。帝国ホテルの設計者なんてこのレコードで初めて知った。いろいろと思い出深いLPです。この写真はレコードの裏のジャケット、2人の写真がいい雰囲気出てます。
simon & garfunkel
時々コメントを差し上げているブログがありまして、差し上げた後のレスポンスがいつもは早いのに数日間音沙汰なしの状況で、なにか異変でもあったのかと気になっておりましたが、その原因が段々判明してきました。その原因は「simon & garfunkel」のコンサートに大阪から札幌まで追いかけておられたようです。simon & garfunkel・・懐かしいですね。来日することは知っていましたが、もう自分で行く気持ちが最近はなくなってきています。ポール・マッカトニー以降は外タレ行ってないしなあ。今やったら誰が来たら行くやろうか??もうほとんど鬼籍に入っておられますしねえ。
simon & garfunkelの「サウンド・オブ・サイレンス」はビートルズの「ウィー・キャン・ウォーク・イット・アウト」とヒットチャートのトップを争って、両方ともトップになったけれど、勢い、質等々ではsimon & garfunkelの勝ちだったような気がしています。新しい時代が来たような、当時「沈黙の響き」と訳された小島正雄さんのDJを懐かしく思い出します。
simon & garfunkelの「サウンド・オブ・サイレンス」はビートルズの「ウィー・キャン・ウォーク・イット・アウト」とヒットチャートのトップを争って、両方ともトップになったけれど、勢い、質等々ではsimon & garfunkelの勝ちだったような気がしています。新しい時代が来たような、当時「沈黙の響き」と訳された小島正雄さんのDJを懐かしく思い出します。
hanshin tigers
2009/07/19
dream theater
ビートルズからアメリカのヒット曲、そしてロックの世界へと入っていった僕は結構新しい音楽を聞いてきたつもりであった。それが何時ごろからは分からないけれど、新譜に対して共感が湧かない作品が徐々に増え、最近はほとんど新しいミュージシャンの作品を買わないようになってしまった。1970年代と80年代のCDに関しても持っていないものが随分残っているので楽しみに事欠かない状況ではあるのですが、ただもう自分で閉鎖的な状況を作り出していることは自覚しているので、やはりちょっと寂しいものがある。最近友達が強力に薦めてきたのがこの「dream theater」というバンド、名前だけは知っていて超馬鹿テクのつわものだというくらいの認識のみ。その友達いわく、クィーンやクリムゾンをやっているから是非聞きなさいよ・・・という。
で、アップしたCDを購入しました。クィーンにはびっくりした。ここまで出来るの???洒落というより真面目さを感じる。オリジナルの方もちょっと聞いてみようかなという気持ちになっております。
で、アップしたCDを購入しました。クィーンにはびっくりした。ここまで出来るの???洒落というより真面目さを感じる。オリジナルの方もちょっと聞いてみようかなという気持ちになっております。
2009/07/18
blue oyster cult
これは「blue oyster cult」というバンドの「some enchanted evening」というCDのジャケットです。昔はレコードだったでしょうからなかなか雰囲気のあるレコードであったことでしょう。このバンドには正確には1曲だけ大ヒット曲があって邦題が「死神」っていいます。原題は「don't fear the reaper」だったと思います。なんでこれが死神なのかっていつも思っていたのですが、それ以上調べるのが億劫でそのまま多分30年余り放っておりました。で、この間調べてみたらreaperていうのは「刈り取り人」でタロットの13番の「死神」が「人間の魂の刈り取り人」なんだそうです。だからこんな格好をしてます。そういえば彼らのこのヒットが入っていたLPはタロットのなんとかという邦題がついておりました。よく考えたら若いときの疑問を今まで放っているものが多いなあ。ちょっと賢くなりました。
2009/07/17
paris sisters
jazz record
2009/07/15
tippi hedren
2009/07/14
2009/07/13
2009/07/09
melina mercouri
2009/07/07
suzanne somers(2)
この写真は「three's company」という連続テレビドラマで日本で放映されたかどうかは僕は知らない。アメリカで大人気でも日本では放映されないものも結構多いので(特にソープものは日本人には分からないと思われているのか輸入されていないものが多い)、多分放映されていないのでしょうね。アメリカでは長期間にわたり作られたみたいで、男の人は既に故人であるJohn Ritter、下はJoyce DeWitt、そして上段がSuzanne Somersです。大体あちらではこのような番組のレギュラーを射止めるとまあ将来なんとか食えるようでそういう意味ではSuzanne Somersはやり手だったんですね。John Ritterは日本でも有名ですのでまたの機会に詳細を・・・。
2009/07/05
suzanne somers
このお方は「suzanne somers」といって今では結構やり手の有名人です。左は「three's company」のころで右は現在(今はもっと老けているハズ)。この俳優さんと僕の出会いは奇遇で、1964年に当時「ベン・ケーシー」というお医者さんのドラマがアメリカでも日本でも大ヒットした。この中の1話に「今夜だけの王女様」というエピソードがあってその子役に「suzy somers」という女の子が出ていた。ものすごく可愛くって一目で好きになり、当時の映画雑誌「スクリーン」に「あのこは誰?」という問い合わせをしたけれどいちいち返事をくれるわけも無く結局分からずじまいで、その後も「あの時のあの子は可愛かったな」という思い出だけが残っていた。(左の写真よりもっと前の頃だからかなり可愛いはずというのが想像してもらえると思う)。
で、この「suzy somers」が「suzanne somers」と名前を変えて出てきたのがアメリカン・グラフィティの「Tバードの乗っているブロンド美人」の役である。この時は同一人物とは全く気がつかなかった。どちらも沢山いる名前だし、雰囲気が違うので。それもベン・ケーシーから10年ほど経っているから記憶も薄れてしまっているし、片や清純な子役から若い男の子に怪しげな流し目をするお姐さん役である。同一人物だと分かったのはimdbのおかげである。まだまだこの人物には書けることは多いので次回に。
で、この「suzy somers」が「suzanne somers」と名前を変えて出てきたのがアメリカン・グラフィティの「Tバードの乗っているブロンド美人」の役である。この時は同一人物とは全く気がつかなかった。どちらも沢山いる名前だし、雰囲気が違うので。それもベン・ケーシーから10年ほど経っているから記憶も薄れてしまっているし、片や清純な子役から若い男の子に怪しげな流し目をするお姐さん役である。同一人物だと分かったのはimdbのおかげである。まだまだこの人物には書けることは多いので次回に。
christina cole
007のデータベースは、世界中のファン(マニア)が独自の工夫で作っていて、見ていて実に楽しくなる。もうちょっとだけ(一瞬だけ)出ていても、結構まめに調べているサイトがあって、ほとんどの出演者の氏名が分かる(特に女性)。ボンド・ガールと認定された彼女たちはそれだけで有名になるけれど、それ以外にでも結構沢山の美女が出演していて、調べていけばハリウッドからは仕事が来なかったけれど自国ではかなりの大物になっている事例も見られる(ある意味では日本の浜美枝もその1人かも)。さてこの女性は「カジノ・ロワイヤル」でバハマかそのあたりのリゾートにジェームズ・ボンドが調査に行ったときのホテルの受付役で出ていたイギリスの「christina cole」です。もっと出してやれよと思ったくらいの可愛らしさでした。
2009/07/02
spee
2009/07/01
alcatraz(2)
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