2024/08/09

戦後79年

長崎に原爆が落ちて(落とされて)79年。この日になると3年前に見た「岡信子」さんのドキュメンタリーを思い出す。(岡さんは2021年の11月に91歳でお亡くなりになってます)
戦時中の悲惨な体験がどんどん風化して、庶民の戦争体験を語る人がいなくなっている。ある意味平和でいいことなんでしょうが。
今回は長崎市長がイスラエルを式典に呼ばなかったということで、西側の主要な国は式典に不参加を表明して、イスラエルがロシアと同等に取り扱われるを嫌ったということ。
ロシアは侵略で、イスラエルは自衛権の行使だという理論建て。
長崎市が独自性を表明したことは、個人的にはいいことだと思っている。日本が「イスラエルを参加させろ」と命じなかったことは、まだ国家としてましな状況だと思える。
本来は、現状の状況を問わず、すべての国に参加を呼びかけるべきなのだと思う。
核兵器を止めましょうって訴えているのだから。
まあ、しきりに政府は弁解してますけど。ちょっと見苦しいかな。
今、パリでオリンピックが開催されていてイスラエルは出ていてロシアは参加できない。
昔の記憶ではオリンピックの時は、各国戦争を中断して「運動会」を楽しんだという話を聞いた記憶が残っていて、人間は「いいことも考えつく」と思ったもんである(小学生の時代です)。
オリンピック不参加って、意外と過去にもあって、基本的にアメリカとソ連の参加と不参加の繰り返しかな、日本もモスクワオリンピックをボイコットして(日本は一応アメリカ陣営ですからね)、この時参加していたら瀬古は金メダルだったのではと勝手に思っている。
オリンピックのボイコットは要は「共産諸国VS西側諸国」の構図だったのが、その構図は最近では崩れている。
今のところ、ロシアだけが悪者のはずが、長崎がイスラエルも悪者にしちゃったことになる?ただ、あれだけ子供も無差別に殺したらロシアと同じと言われても仕方がない行為をしていると思う人がいて当然。
そういう意味では長崎市の今回の決断は、もやっとした西側諸国に「一石を投じた」と言える。
でも、正直、世界はこれからどうなるのだろう。あんまり心配しても、僕一人の力ではどうにもならんことは分かってるんですけど。


 

2024/07/21

アンバーアラート


 偶然ですが、カナダのドラマを見た。
「アンバーアラート」というけれど、原画は逆さまですね。
失踪者が出てそれを見つけるという単純なストーリーかと思って、エピソードが10まであったから、10人が失踪するのだと思っていたら違いました。
エピソード10で一つの物語が完結。意外と良かった。
カナダのドラマってフランス語なんですね。昔、モントリオールオリンピックがあった時にアナウンスがフランス語と英語の併用?だったのを思い出した。

ストーリーは、文章にするには混み入っているから難しいのですが、
まず離婚した夫婦の間に2人の子供がいて、男の子の2人、弟が自閉症という設定。兄の方は子供の時にキャンプ?に行った時に、弟を木の上から突き落としたということで親から叱られた(本当に突き落としたかどうかは不明)ことがトラウマになっている。そのことが原因かどうかは分からなかったけれど、自傷行為から自殺願望へとエスカレートして人生にけりをつけたいと考えている。
離婚した女性の方は新しい男性が出来て妊娠している。
離婚した男性の方は、父親が軍隊のえらいさんでその幼少の時から高圧的な父親に嫌悪感を抱いている・・・とまあ結構複雑な状況設定になっている。
2人の子供といってももう車が運転できる年まで成長している設定で、兄の方が弟を連れて昔突き落としたキャンプ地?まで「再発見?再確認?そして決着をつける」の旅に出る。誘拐されたのでなく自発的に家出したということになっているけれど、親は誘拐されたということで警察に。そこで「アンバーアラート」が発令。「この2人が行方不明」というニュースが流れる。
さらにそこに麻薬を取り扱う悪ガキ?(もうちょっと年上かな)、麻薬関連のギャング一味等々が絡んでサスペンスムードも盛り上がってくる。
最終的には、「おおむね」ハッピーエンド的にその家族の持っていた長年にわたるわだかまりが解消して新たな人生を迎えることが出来そうかなという感じで終わった。
最後のシーン、どういう意味があるのか全く分からなかった。続編の為??

僕が見るドラマは大半がアメリカ産で、次はイギリスのBBCが多いけれど、最近は北欧(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)のサスペンスも放送されるようになって、カナダは初めてだった。
それと、北欧のドラマと同じことを考えたのは、やはりアメリカと違って「緑が豊か」だということ。なにせ自然が広い。
北欧系は自然いっぱいだけど光が足りない。今回のカナダはケベックを中心に繰り広げられたけれど「光」はあった。画像の明るさが全然違う。
イギリスのドラマもスコットランドが撮影地になると暗いですもんね。

フランス語って響きがいいですね。
考えてみればアランドロン、ジャンギャバンとかいた頃はフランス映画もよく見たことを思い出した。
北欧系は、喋っている長さに比べて日本語の訳が長いと思うことが多い。「えっ」あれだけの言葉でこれだけの意味があるの?と思うことが多い。言葉って不思議ですね。



2024/05/05

ゴジラ -1.0


 訳の分からん題名やなあと思ってAmazonプライムで見始める。しかも何にも知らんから白黒で。思い起こせば4歳の時(70年前)に「ゴジラの逆襲」というのを親に連れて行ってもらったのを覚えている。そこから「キングコング対ゴジラ」と続き、その後は何作見ているのかな、子供が小さい時に見に連れて行ったのもあるけれど、正直いい作品と思えないものもあったように思う。
まあ、プライム会員だから見てみようと思い気楽に見始める。
白黒だから、「ゴジラの逆襲」時代と錯覚してしまう。時は終戦間近の時代。特攻隊の一兵士が飛行機が故障したということで緊急時の避難所(大戸島)に着陸するところから物語は始まる。もう即、大戸島にゴジラが現れてそこにいた兵隊さんたちはほぼ全滅、主人公は助けることができたはずなのに(怖気づいて)出来ず、トラウマが重なっていく。
無事に日本に帰って来て、焼け野が原の東京から再生しようという矢先にゴジラが現れて、さらに日本人を奈落の底に・・・。何とかせねば・・・というお話。
偶然、「ソ連が満州に侵攻した夏」という半藤一利さんの本を再読していて、日本人は昭和20年の8月15日に戦争が終わったと思っているけれど、そこからが大変だったということを再認識したところに、偶然終戦当時の画像がゴジラで出て来るとは変な気持ちになった。
話がこんがらがってしまうけど、ミズーリ号で調印するまで戦争は終わっていなかったわけ、ずっとソ連は攻めてきていた。さらに「シベリア抑留」につながる「人選」を進めていた。
今回のゴジラは、多分、僕ぐらいの年齢でないと分からないだろうなと思えるような戦時中の日本の体質への批判が散りばめられていて面白かった。
最後に特攻隊崩れの主人公がゴジラに特攻して花が咲くという筋書きかなと思っていたら、「死なない」。今までの日本はいかに命を粗末にしていたか云々と言い、「死を美徳としない」路線を明確にしてくる。
(アメリカのインデペンデンスデイの方が昔の日本っぽい作品になっている)
「震電」が出て来たのには驚いた。子供の時のプラモデルに熱中していた時にはあったのかな?珍しい形なので本当にこれが空を飛ぶのだろうかと思っていた。


2024/04/24

MUSIC MAGAZINE 2024.5

ミュージックマガジンの2024年5月号が創刊55周年記念で最重要アルバム110というのをやっている。もう最近は購読していないので久しぶりの「マガジン」を見る。
1969年から年代を5年ごとに区切り、各年代ごとに10枚をリストアップする目論見です。
まず、1969年から74年の10枚。有名どころが10枚。ビートルズはアビーロード、ローリングストーンズはレットイットブリード、ツエッペリンは4枚目、ピンクフロイドは狂気という感じである。
ミュージックマガジンは元は「ニューミュージックマガジン」という名前で創刊されて、1980年の1月号から「ニュー」がとれた。理由は色々と詮索されたけれど、日本国内で「ニューミュージック」というジャンルが出来上がって、ニューミュージックに関する雑誌と思われるようになったのに嫌気がさしたというのが一番の理由だと思っている。ニューミュージックの雑誌だと思って手に取ったら全く違うジャンルの音楽雑誌だったということが起こっていたみたい。
元々、ニューミュージックマガジンの「ニューミュージック」の語源は、「シングアウト」という雑誌の1966年9月号に評論家のポール・ネルソンが「ビートルズの『ラバーソウル』は、ボブ・ディランの『ハイウェイ61』と共に、『ニューミュージック』の金字塔である」と書いたところから来ている。
ビートルズはティーンエージャー向けのヒット曲から、ボブ・ディランはフォークソングから「新しい音楽」を開拓したという意味での「ニューミュージック」だった。
ニューミュージックマガジンの創設者「中村とうよう」という人は、僕が思うに、音楽を社会運動と結びつけて考えているようなスタンスで、フォークソングの生ぬるい音楽では社会改革はできないと思っていた時に激しいロックのリズムが現れて、「これはいける」と思った節があって、その後の「とうようさん」の言動を考えると「ロック」を真剣に思っていたのは数年間ではなかったのかな?と思っている。
明確に書かれた文章には出会っていないけれど、1970年代の後半には次の音楽に目が向いているように感じられるから。
基本的にとうようさんは「資本主義VS共産主義」という対立構図から、「支配者VS一般大衆」「商業音楽VS大衆芸能」・・・とまあ、対立構造としてとらえるのが好き?だったみたいで、クラシックも嫌いだったみたいで、白人のカントリー&ウエスタンも大嫌いだった。1970年初頭の「ニューロック」がその役目を負えないと感じてからどんどん他の音楽を探し求めて世界中の民族音楽を探していたような気がする。
ニューがとれた後のミュージックマガジンは「ワールドミュージックマガジン」になってしまった。
僕は、ビートルズからニューミュージック(当時はニューロック)に来た人間で、フォークソングはほとんど興味はなかった人種です。とうようさんはフォークソング(多分ボブディラン)からニューミュージック(当時はニューロック)に来た人で、ビートルズが1964年にアメリカで旋風を巻き起こした頃は全く興味がなかったのではないかなと思っている。
そのような全く別の道を歩んでいた2つの音楽マニア?が1969年の「ニューミュージックマガジン」にて結集して、数年間熱っぽく「ニューミュージックマガジン」を愛読したことになる。人によって愛読した期間は違うと思うけれど、55年間読んでいる人はいないでしょうね。

 

2024/02/24

ブルー・アイズ(国家陰謀とテロ事件)


 全部で10話で1話がほぼ1時間あって、実質10時間のドラマ。
スウェーデンのドラマで以前見たキリングやブリッジ(デンマークだった?)のような感じかな?と思って見始める。
まず一見して感じることは、何か事件(出来事)がある都度、政党の争いが何時も絡んでくる気がする。画面が暗い(光が少ない)。街を遠望した時に人が少ない。
日本みたいに自民党(と公明党)で過半数を長期にわたって占めるということがなさそうで、連立政権が普通みたいで世間の出来事で支持政党の浮き沈みがあるみたい。
あとは、移民問題、差別、経済の維持と新しい経済活力の話題が何時も出て来る。
物語はまず大臣の補佐官が行方不明になるところからスタートして、後任の補佐官になった女性がその謎を解いていこうというところから始まる。
主となる団体は、①現与党、②連立を目指す野党、③古き良きスウェーデンを目指すテロリスト。
まず②の野党の地方議員だった女性が不審死を遂げ、その娘と息子が調べているうちに③の組織の仲間に組み込まれて、スウェーデンの証券取引所を爆破するテロ行為に参加するはめに・・・。
とまあ、個人的な話と大きな国家的な動機が重なって上手く作られているなと感じた作品。
大きな話は、原子力のウランがスウェーデンには埋蔵されているみたいで、そのウランが埋まっている地域の抱き込み政策に行方不明になった補佐官とか野党の地方議員が絡んでいたという話。ウラン推進派が反対派の与党の議員を追い払いたいので、首相に大規模なバックアップを申し出て・・・
まあ興味のある人は見ていただくとして。
感じたことは、資本家は労働者に移民を使いたい。ほとんど資本家の住んでいる地域には移民は住めないから移民と共存、共生という苦労は関係ない。苦労させられるのは、自分の周りに移民の人が住みだす下層社会の人々、そこから不満が沸き上がる。
移民はスウェーデン語を喋れ云々、スウェーデンの伝統を尊重せよ、自分らだけで徒党を組むな・・・等々
この問題は多分スウェーデンだけでなく、移民、難民を受け入れているヨーロッパの国の共通の問題かなと思われる。
遠い(近い)将来、日本でも起こりうる問題のように思いながら見ていた。
このドラマで国民性の違いを感じたのは、証券取引所のセキュリティの幹部がいったん閉じてしまったドアを人質の命が惜しかったらドアを開けろと命令されても開けない。人質が何人死んだだろう・・・。日本なら命優先で開けますね。開けてもお咎めなしのはず。
人質の命とテロリストを捕まえる効果と天秤にかける?
話は飛ぶけれど、イスラエルとハマスの戦いを思い浮かべてしまった。命の価値って??
あと、ドラマは、テロに加担することになってしまった兄弟が再出発する感じで終わったのですが、姉の方は人質を射殺しているし、弟の方も証券取引所に侵入しているし、完全な犯罪者のはずなんですが、その辺のところは全く感じさせず、再出発!!的な感じで、ちょっと不思議だった。
あっ、それと、直接ストーリーと全く関係がないのですが、エピソード9の終わりの方で、シモンがニルスに多分幼稚園?の校庭にいる先生のところに自分の写真が載っている新聞を持たせて行かせるシーンがなんとも言えず良かった。ニルスの役の男の子の寂しそうな表情がなんとも言えない。「パパに会えるようにしてくれるから」と言って行かすのですが、パパはもう殺されてしまってるのです。シモンは知らないのですね。