2026/08/14

1974年12月20日~22日


昔の思い出が突然湧いてくる。本当に人間って不思議な動物だと思う。ほぼ52年前の記憶が蘇ってきた。漠然としているのでネットで暦を調べて確認。
1974年の12月20日金曜日
仕事が終わって、確かパチンコをした。寮に帰って、退屈なんで相部屋だった相棒と先輩から譲り受けた中古車でドライブに出かけた。当時は広島にいたので、岩国あたりまでという軽いノリで出かけた。それがどういうわけかどんどん西へと進み、確か下関駅の前で仮眠をしたのを覚えている。
12月21日土曜日
夜が明けて土曜日。せっかくここまで来たから橋(関門大橋)を渡ろうということに。それでいい加減な軽い気持ちで出発しているから、二人ともほとんどお金を持たずに来ていた。帰りのガソリン代も危ない・・・。そこで考え付いたのが相棒の悪友が飯塚にいるということだった。就職して飯塚の販売店に来ている。今から考えたら、携帯もない時代に、悪友の電話番号をよく知っていたものだと思う。勤めていた会社が大きかったので、販売店を番号サービスに聞いたのかもしれない。
なんとか連絡が取れて夕方に飯塚についたらいいということになって、持ち合わせのお金を考えながら、門司から飯塚までのドライブを楽しむことにした。この時の記憶はあんまり残っていない。広々とした平野の中を走っていた記憶はあるけれど。
まあ、無事に相棒の悪友にも会えて、お金を借りて、安い素泊まりの宿も見つけてくれていて無事に布団で就寝。
12月22日日曜日
この日は、相棒の悪友が(確か)ガールフレンドを連れて来ていて、あとで知ったことやけどその悪友も金欠で、僕らに貸してくれたお金はそのガールフレンドからの借り入れ?だったみたい。で、そのガールフレンドもいれた4人が行った先が「飯塚オート」(一番上の写真)だった。女の子を連れて行くところなのか疑問が残ったけれど。要はオートバイのレース。一攫千金を夢見てるおっさんばかり(笑)。要は1着のバイクを当てたらいいわけで、なんも知らんから、怪しい予想屋に小銭を払って馬券でない車券を買ってレースに参加。
結果は覚えていない。そのあと飯塚市の繁華街?を散策して、広島に向かって帰ることに。
1974年にどれくらい高速道路が出来ていたのか知らないけれど、記憶にあるのは、その日は高校生の駅伝が行われていて、広島の世羅高校がものすごい記録で独走しているのを聞きながら帰ってきたこと。
ものすごい記録というのは、駅伝でマラソンの世界記録より早く走れるか??
考えてみれば、数人で走るので一人で走るマラソンより早いと思うのが普通ですが、駅伝は日本だけの競技、マラソンは世界中のアスリートの世界。今でもマラソンのほうがタイムは早い(はず)。
当時のマラソンの世界記録はデレク・クレイトンの2時間8分33秒(上の3番目の写真を参照)。この時の世羅高校の記録がなんと2時間8分40秒。実況に力が入るのも納得ですよね。
脱線しますがオーストラリアのデレク・クレイトンはこの記録を10年以上保持して、あまりにも長い間破られないので距離が短かったのではという噂があった。
クレイトンはその前にも世界記録を出していてその舞台は1967年12月の日本の福岡マラソンで佐々木精一郎とのデッドヒートは今でも覚えている。(上から2番目の写真参照)
残念ながら、世羅高校はクレイトンの記録を破れなかったけれど、以降はマラソンの世界記録と日本の男子の高校駅伝の記録のデッドヒートが注目されるようになったと思う(僕だけが注目してるのかもしれないけれど)。







0 件のコメント:

コメントを投稿