広島にちょうど3年間住んでいたことがある。この平和公園の前を何度も通ったけれど、結局記念館とかには行かずに広島を離れてしまった。原爆ドームからぶらぶら歩いて何度も通ったのに。3年間の体験からだけで判断するのはよくないが地元の人は記念行事に意外と淡白なな感じで驚いた記憶が残っている。この近くに市民ホール(呼称は忘れた)があってウィッシュボーン・アッシュとジェスロ・タルとレインボウを見た。それから友部正人も。友部正人はあまりの人の少なさに「今日はひどいや」とつぶやいた。ジェスロ・タルは岩国の基地からの米国兵の家族や兵隊さん本人たちがわんさかとつめかけイアン・アンダーソンと話し出すということもあった。レインボウのブラックモアは完全な手抜きだった(彼は時々これがあるから始末が悪い)。ウィッシュボーンはアンディ・パウエルのフライングVが格好よろしおした。
2011/08/10
HIROSHIMA
広島にちょうど3年間住んでいたことがある。この平和公園の前を何度も通ったけれど、結局記念館とかには行かずに広島を離れてしまった。原爆ドームからぶらぶら歩いて何度も通ったのに。3年間の体験からだけで判断するのはよくないが地元の人は記念行事に意外と淡白なな感じで驚いた記憶が残っている。この近くに市民ホール(呼称は忘れた)があってウィッシュボーン・アッシュとジェスロ・タルとレインボウを見た。それから友部正人も。友部正人はあまりの人の少なさに「今日はひどいや」とつぶやいた。ジェスロ・タルは岩国の基地からの米国兵の家族や兵隊さん本人たちがわんさかとつめかけイアン・アンダーソンと話し出すということもあった。レインボウのブラックモアは完全な手抜きだった(彼は時々これがあるから始末が悪い)。ウィッシュボーンはアンディ・パウエルのフライングVが格好よろしおした。
2011/08/09
ROCK・・とは
この間日本の映画の「ゴールデンスランバー」を見ていたら、何かにつけ「ロックだなあ」というお兄さんが登場して(まあ彼が助けてくれるんですが)、ほう この作者はまだこういう人間を登場させるのかと懐かしく思った。「ロックとは」とか「ロック的人間」とか「ロック的生き方」とまあなんか海の向こうから来た音楽がJAPANでは哲学的な意味合いを帯びて面白かった。もう「ロック人間」が歌ったらフォークでも演歌でもロックだ・・とまあこういう感じになっていた時代があった。
無茶苦茶な定義であるが意外とそうかもしれないと思うことあって、ただ結果的に個人の「好き嫌い」でしか過ぎないのかもしれないと思うことも多い。
個人的には井上陽水はロックで、70年の藤圭子もロックで遠藤賢治もロック・・もう完全に趣味の世界かなあ???
ロックロックといっているユーヤさんは昔からロック人間と思っていない。
なぜユーヤさんが出てきたかといえば、昨日のジョー山中の「メイクアップ」を聞いていたら突然ユーヤさんが出てきたから「あのころはまだましだったかな」と思った。
今日はツエッペリンの2ンドをアップ。ごちゃごちゃ言い出したらまとまりませんが、僕がロックだと思うのはこのレコードだと思っている。なんちゅうてもこれを超えるもんはあらへんです。
2011/08/08
ジョー山中
ジョー山中が亡くなった。どうも最近は○○さんが亡くなったという書き出しが多い。仕方がないといえば仕方がないが・・・出来ればこの出だしは少ないに越したことがない。ジョー山中といっても知っている人がいるのかなあと思う。「491」「フラワー・トラベリン・バンド」「人間の証明」・・・。一般的には角川の映画「人間の証明」の主題歌を歌っていた人というのが一番適切かな。ここにアップしたのは「フラワー・トラベリン・バンド」の名作「メイク・アップ」というレコードジャケットでレコードのときはビニールのカバンに入っていたというかカバンが付いていた。この中に「メイク・アップ」という曲が入っていてそれが実にいい出来の曲で、日立のキドカラーというカラーテレビのコマーシャルに使われたことがある。実に印象的なイントロで始まって歌舞伎役者さんみたいな人が雪の中で舞うというようなシーンだったと記憶している。このジャケットに写っている人々は当時の日本のロックシーンを支えていた人たちで詳しい人ならば知っている顔が並んでいる。ご冥福を祈ります。
2011/08/07
宇宙船シリカ
前田武彦さんのことを調べたらなんと「宇宙船シリカ」の脚本を書いておられたということでビックリ。「ひょっこりひょうたん島」は覚えている人はまだ多いと思うけれど、「宇宙船シリカ」となるとぐ~んと減るだろう。NHKで5時半くらいから6時になるまで10分間ぐらい毎日やっていたと思う。当時(1962年くらい・・もう50年も経つのか、僕は小学5~6年)は生活のリズムが5時半くらいに家に帰って、テレビを見て夕飯を食べて宿題をして寝るという繰り返しだったと思うので、家に帰ったころに毎日見ていたような気がする。主題歌まだ覚えているから「シリカ~シリカ~・・・」。音楽は富田勲・・すごかったのね。今から考えたら、あのころの人形劇、「チロリン村とくるみの木」「ひょっこりひょうたん島」・・・みんないい作品ばかりです。
2011/08/06
東芝ヒットパレード
前田武彦さんが亡くなった。変な言い方になるが自殺でなかってよかった(最近知ってる方がなくなると自殺が多いので)。テレビでおなじみという言い方が本来当てはまると思うけれど、僕にとっての前田武彦さんは1964年にビートルズを聞きだした時の「東芝ヒットパレード」というラジオ番組の司会者という肩書きがほとんどである。あとはコント55号とやっていたお昼のテレビ番組かな。1964年のヒットソングはほとんど東芝音楽工業で占めていて、つまり「東芝ヒットパレード」の1位の曲がその年の日本の洋楽のヒット曲を独占していた。そのうちビートルズがほとんどでそれ以外は数えるほどしかない。その数えるほどに入っていたのが「マット・モンロー」というイギリスの歌手の「ロシアより愛を込めて」という曲であります。東芝ヒットパレードは前田武彦と木元教子の2人で進行されていて、2人の掛け合いが楽しかった。この2人はその後そこそこ有名になりテレビで見かけることになる。その結果、前田武彦は人物的に僕の好きな方に分類され、木元教子は僕の分類では失礼ですがアホの分類になってしまった。アップしたのはマット・モンローのシングル盤のレコードであるがジャケットは007(危機一発サウンドトラック)のワンシーン(ショーンコネリーとダニエラ・ビアンキの有名なシーン)です。マット・モンローの顔写真のジャケットのもあったと思うんですが。
登録:
投稿 (Atom)