2010/08/19

近藤富蔵

八丈島のことを調べるならまず「八丈実記」という書物から入るのが常識なんだそうである。アップしたのがその書物である。東京都所有。この書物を書いたのが八丈島に島流しをされていた「近藤富蔵」という人で、父は「近藤重蔵」という。ここまできたらなんか日本史に出来たよなと思う人が多いであろう。北海道の択捉島にロシアに取られないように標識を立てた人で、間宮林蔵とかみんな「蔵」が付くなあと思って覚えたものである。なんで息子が島流しになったのだ?というと東京の目黒の重蔵の所有する土地をめぐって隣の住人を皆殺しにしたという罪なんですが、事実は事実らしいがそのいきさつについては見方がいろいろあって面白い。この事件で親父さんの方も滋賀の高島に放逐されている。この隣人とのいざこざを調べていたら「目黒新富士」というあまり聞きなれない言葉が出てくるので、ついでにそれも調べていたら面白い事実がいっぱい出てきた。時々仕事で行く東京の恵比寿や中目黒のあたりに近藤重蔵が別宅を持っていたらしい。そこの庭に土を盛って富士山に見立てた山(丘)を作ってそれが評判になって「目黒新富士」と呼ばれたようである(どんなでかい敷地だったのか?近藤重蔵は当時は北海道開拓のおかげで出世していたようである)、今は残っていないが公園に史跡があるようです。安藤広重もこの新富士と本当の富士山を並べた絵を描いているくらいである。それと富士山信仰というのがあったことも知らなかったですね。やたら富士山もどきを作って拝んだようであります。興味のある人は調べてください。で、近藤富蔵は明治になって赦免されて本土に戻ってくるが2年間ほど本土にいて父親の墓参りとかを済ませた後は八丈島に戻って死ぬまで暮らしたそうです。数奇な人生の話が好きな僕としては興味津々の話です。八丈島では英雄のようですよ。

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