2011/01/27

高石かつ枝(2)

you tubeでこの「高石かつ枝」さんを検索したら結構な数がヒットした。どのような方々がアップされているのか知らないけれど多分僕より年上の方々ですよねえ。それで色々と見ていたらこんな曲(花の決死隊)もレコーディングされている。昭和37年から数年間活躍した歌手とは思えない選曲のように思える。今から考えたらかなり時代錯誤的な選曲(本人よりスタッフがですね)だと思う。誰がこういう歌があの当時に受け入れられると思ったのかなあ。どういうマーケティングだったのだろう。例えば僕の親父たちの世代も聞かないと思う。この「高石かつ枝」のファンは多分昭和15年から25年頃に生まれた層だと思うけどこんな歌が受けいれらるとはとても思えないのですがね。当時のレコード会社のスタッフがもっと優秀であればとつくづく惜しい気がする。
ただこの歌で歌われている史実は実に悲しいお話でそれはそれとして別の話。ただ昭和38~40年頃にどちらかといえば青春・純情路線の歌手に歌わせる曲だったのかなあと思ってしまいます。
それとこの時代までは、歌手は大先生(作曲家・作詞家)の作品を歌うロボットみたいな感じで自分を出すということは全くないことがよく分かります。そういう意味ではビートルズから湧き起こった日本でのグループサウンズ・フォークブームというのは歴史的に意義があったと思いますね。大先生の作品って変なものが多かったですもんね。なんか着物着て気持ちの悪いじいさんが多かったように記憶してます(かなり偏見があります) 。

2 件のコメント:

  1. はじめまして
    「花の決死隊」が発売された頃、畠山みどりが「氷雪の門」を歌うなど、この事件がクローズアップされていたという背景があります。昨年リバイバル上映されて話題になった映画「氷雪の門」も、この数年後に企画されています。
    高石かつ枝のこの歌も、かなりヒットしましたし、企画としては成功だったのではないでしょうか。因みに、高石かつ枝がコロムビアから新興のクラウンに引き抜かれて最初に出したレコードです。「林檎の花咲く町」のヒットで紅白に初出場したばかりの歌手を引き抜いて、クラウンも力を入れたのでしょう。

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  2. fujikawa93さん、はじめましてコメント有難うございます。僕の当時の知識が乏しかっただけのようですね。「畠山みどり」懐かしいですね。確かはかま姿の歌手であったような。多分、個人的には欧米ポップスに埋没し始めた頃で演歌にはそれほど興味がなかったのだと思いますが、この「高石かつ枝」という歌手は清純路線とクラウンの演歌路線の2つの路線があって、片方(「高石かつ枝」の可愛らしさ)に僕が反応していたということみたいですね。ブログの仕掛けがよくわからず御礼が遅くなりました。

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