これも僕には忘れられない1曲ヒット。正確にはほかにもヒット曲はあるにはあるのですが、さっきの「アメリカン・パイ」と同じように「アローン・アゲイン」が突出してしまっている。 単純に昔ヒットしたよなあ・・・というものでなく。あんまり英語がわからなくても、「ああまた一人になっちゃった」と思うときにこの曲を思い出してしまう。それとこのファッション、唐突にこれで出てきて別にこれが当時流行っていたわけでもなかったので「ヘー」って思った。いつ聞いてもイイというより、これは残るなという気がする1曲。
1曲だけ大ヒットで、あとはほとんど鳴かず飛ばずの歌手は数多いるが、この人もその一人にするのはちょっとかわいそうな気もする。なんというか普通の1曲とは格が違うというかこの曲は後世に名が残る摩訶不思議な大ヒット曲である。初めヒットした時に邦訳がすぐ出て、色んな解説が出回った。まあロックンロールの歴史が歌われていて、今一つ個人的には讃歌なのか鎮魂歌なのかよくわからずに今まで来ているが、比喩というか暗喩というか誰のことか分かりそうでわからない感じのモヤ~としたところがまた魅力のひとつかなと思っている。
何でもそうですが、今となっては当たり前のことでも「初めて」のことを目撃するのは「この時代に生まれてきて得した」と思うことがあるとおもう。今だったら個人的には男子マラソンで2時間を切る瞬間を目撃したいなとか。記録がかかった瞬間はなんにも経緯を知らなくても即その場に入れるからそれだけで楽しい。〇〇連勝がかかっているとか、これを成し遂げたら〇人目とかまあことかかない話題は多い。
橋下徹氏が大阪の市長に当選した。平松氏は負けるべくして負けたように思う。世代別分析では平松氏に投票したのは70歳台であったらしい。
古い話が続いたので新しいとこを。といっても古いですが、僕はピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスの世代なのでプログレはこの御三家が主流である。特に後者の2つは今でも新作(っぽいもの)を出すので買い続けている。実に長い付き合いである。彼らの後継者はかなりいるらしく、イギリスだけではなくヨーロッパの各国にもいいのがあると今もって新しいバンドを追い求めている頑張り屋の友達からいろいろと教わるがいまひとつ聞く気にならない。そうとはいえ時々気に入るグループに出会う。この「DREAM THEATER」がそれ。ただ一番気に入ったのがこのジャケットのCDのスペシャルエディションのクィーンのカバーをしているもの。これは凄い。正直、クィーンよりこちらを聞く機会が多い。他に入っている曲もカバーなんですが凄い出来です。
「リーダー・オブ・ザ・パック」という曲があって1964年の11月頃からヒットした。僕の記憶ではビートルズで始まりビートルズで終わるはずだったアメリカのヒットチャートは年末間際になってから「ラスト・キッス」「太陽に歌って」とかこのシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」がちょっとずつ1位になって、バチッとビートルズの「アイ・フィール・ファイン」で締めくくることが出来なかったような思い出がある。1965年は64年のようにはいかないよという予感がし始めた。まあ当然といえば当然の話。ビートルズの1964年のような現象はこの年しかその後も起こっていないから。
TPPの記事を読んでいたら、農家や畜産の方々は「もう駄目だ、守ってくれないとつぶれる」というような記事ばかり目に付く。僕はメーカー(車と半導体)出身ですからいつも「この産業は国は守ってくれない。弛まざる技術革新と世界中で一番安く作れるところで作る覚悟がないと生きていけない」というようなことをず~といわれ続けてきた。「日本で作っているのはたまたままだ採算がとれるからだ」といわれていた。頑張って日本の生活レベルが上がったら現場の関係者は日本には住めなくなるというジレンマを抱えていることも教えられてきた。
突然ヒットしてびっくりした曲を思い出してはここに書いているが、これもびっくりした。正直初めから終わりまでず~と語りなんでさっぱり分からない。今もって訳を読んでも意味不明。「ケーキが雨の中で溶けてる・・・」(意味深ですなあ)。作詞はジム・ウエッブ(だから難解)。で、歌っているというか語っているお方がなんとダンブルドア先生です。リチャード・ハリスは多才なお方で最後は映画と芝居に落ち着いた感じですが、歌手もやってたのですね。
もう何時ごろのヒット曲だったのかすっかり忘れてしまった(調べたら1966年でした)。ロイヤル・ガードメン(普通はガーズメンですよね)というバンドが「スヌーピー対レッドバロン」という曲を引っさげてヒットチャートを「赤丸急上昇」してきた(懐かしい表現ですねえ)。そのときたいていの日本人はこの「スヌーピー」が何者か知らなかった。まあアメリカ文化のマニアなら知っていたと思うけど。あのスヌーピーですね。スヌーピーが日本でメモ用紙になったり色んなところに出てくるのはもうちょっと後だったと思う。本来ならスヌーピーがジャケットに出ていればもっと売れたと思うけどどうも彼らも承認をもらっていなかったようで大ヒットして慌てたというような話も聞いた記憶があります。彼らの演奏はいまやユーチューブで見ることが可能です。ちょっとコミカルなバンドです。
昔、茅場町に仕事でよく出張していたことがある。お昼は1人のときはほとんど周りの立ち食いそば屋を利用していた。早いしね。東京には関西では全く知らないチェーン店があって、違う文化圏のような気がする。さらにダシが全く違うので(非常に濃い)まあ両立は難しいのだろうと思う。ただ食べているうちに、慣れというのは恐ろしく、こっち(関東)のそばもうまいと思うようになった。
これも衝動買いしたのかな。ただ思いつきで買ったのでなく「これはいい」という結論は出していて買おうか買うまいか悩んでいるときにJOSHIN電器に寄ったのが間違いで、見たら買ってしまった。長く使って今もカバンに入れてある。ただ風景画オンリーになっている。
仕事をしながら時々休憩を兼ねてテレビをつける。今日はほとんどオリンパス粉飾決算事件が中心。それと国会中継をやっていた。菅総理のときは顔を見るのも嫌だったけれど辞めちゃうともう今の総理にはそれほど嫌悪感はなくなった。それはそれとしてテレビを見ていたら平沢さんと今のなんかの大臣が言い争っていた。平沢さん自体はそれほど嫌いじゃないけれど、なんか国会で言い争うテーマなのかなと思ってしまった。というより国会って実に下らんことばかり言い争っている感じがする。もうスキャンダルで足の引っ張り合いばかり。任期を決めてその間は一生懸命仕事(政治)をさせるというのはどうかなと思う。失言で辞めさせて一体誰が損をしているのかといえば国民が一番損をしているような気がする。オリンパスのガバナンスが云々もさることながらこの国のガバナンス制度がおかしいから仕方がないかなとかなり自虐的な気持ちになってしまう。
オリンパスが大変なことになっている。以前から怪しい会計処理丸出しにしていて当然といえば当然な結末になりそう。大胆な予測では上場廃止でどこかに身売りですね。監査法人も危ない感じです。監査法人が粉飾指導までしていたら中央青山の二の舞かも。技術力は高いのにもったいない話です。
予測不能だった大ヒットを考えていたらこんなのも思い出した。1966年の「狂ったナポレオン、ヒヒハハ」原題はこのアルバムジャケットにかかれてます。「奴等が俺を捕まえにくる・・ヒヒハハ」というもの。キャッシュボックスではNO.1になっている。
これがボビージェントリーの「ビリージョーの唄」のシングル盤。1967年にあっという間に1位になった。このあたりはほとんど事前に日本の音楽雑誌には紹介されないのでトップ10に入ってきて「なにもんやねん」ということになる。大抵はカントリー系の歌姫ちゃんが多かった。今でもナオミ・ワッツとかその娘とか大物が他にもわんさかといるみたいですが、その方面の紹介はコアなファンがいることはネットを見たら分かってきたが、日本では日の目を見ない。やっぱり感性が合わないのかな思ったりする。ここで以前書いた世界で売れたCDトップ10にもカントリー系の歌姫のCDがあって、こんなのが何千万枚も売れるのかと買い求めて聞いてみたがやはり繰り返し聞く気にはならなかった。
レコードのことを思い出していたら、こんなレコードのことも思い出したので書いておきます。アメリカのヒットチャートを毎週楽しみに暮らしていた頃、大体ビートルズとかビーチボーイズの新譜は事前に話題になってヒットチャートを上り始めるのをずっと見ていた。ところが時々そんな情報網(特に日本では)にひっかからないで突然ビッグヒットになってしまう例を何回か経験している。大体はカントリー系の歌手が歌っていることが多い。ここにアップしたジニーCライリーの「ハーパーバレィPTA」という曲もビートルズの大ヒット曲(ヘイジュード)が1位の時に、ほとんど2位だった曲でヘイジュードと時期が一緒でなければこれが数週間トップだっただろうと思われるメガ大ヒット曲であります。歌詞が実に面白くって楽しい。ミニスカートが似合う若いお母さんが「あんたちょっと派手よ」ってPTAから呼び出しを食らって、そこでPTAのお偉方のプライバシーを暴露して逆にとっちめてしまうというような歌だった。あとでドラマにもなったらしい。そんな感じのレコードジャケットであります。
東通商店街のレコード屋について思い出していたら、「LPコーナー」に行ったら、「VIC」にも必ず行っていたなあと思い出した。ただ買った記憶はかなり少ない。VICはちょっと主流のジャンルが違っていたように思う。中古はミナミのワルツ堂でほとんど買っていたと思うし、日本盤は近所の今で言うポイントがつくところで買っていた。今から思えばレコードといっても膨大な種類があるので全部置くわけにいかないから自ずと傾向が出てくる。近所のレコード屋は大阪のど真ん中でもない近郊ベッドタウンの地方都市であったにもかかわらず、この手(新しいロック)のものをかなり品揃えしていたので日本盤はそこで買っていた(普通のレコード屋は演歌とアイドル系と洋楽ヒットのシングルが主だった)。途中から知り合いがレコード屋でアルバイトするようになってからそちらの方が割引率がいい(社員割引)のでそちらになった。学生時代(それも中・高のころ)は世の中のことをなにも知らないから将来レコード屋なんか好きなレコードかけていたら勝手に客が来て買っていくしよさそうと本気で思ったことがあるけど、町のレコード屋で今も残っているところは皆無で大手もなくなってしまった。わずか30年くらいで消えていってしまった。
やはりネット社会は便利でLPコーナーの紙袋をアップされている貴重なお方がおられました(拝借してます。スミマセン)。昔、買ったレコードをノートに付けていた時期があって、LPコーナーは「LPコ」と書いていた。今のように通販で来る時代(クリックしたら次の日に来ている)でなく、足で直に見て品定めをして買ってきた。バイトして数枚買って帰るなどということは天国に昇る気持ちであった。数枚買って帰る行為はもうあなた1日仕事であった。レコードは文化品で再販維持価格で値崩れしない。貴重なものであった。輸入盤なんぞはもう金持ちしか買えないものだった。(今と大違い) 何時からだろう?輸入盤のほうが安くなったのは。
遂に出ました。46年間の長き時間を経て遂に出ました。今のところ3種類出てまして。アップしたのは一番豪華なCDからレコードまでついたもの。予約してますがまだ来ません(待っとるんジャヨー)。どんなものが来るんでしょうねえ?いろいろ薀蓄を傾けたら面白いレコードは多くありますが、これはまあ薀蓄だけでを本にしても優に上下2冊(ジョブスと同じくらい)はいけますね。