2022/04/02

1974.04.01


 4月1日は日本のほとんどの企業では入社式である。
それで思い出した。いつやったかな??
1974年の4月1日に広島の自動車会社に勤め始めた。もう当時は今みたいな就職難ではなく、五体満足なら誰でもいいという荒っぽい売り手市場の時代だったので、エントリーシートなんかなく、一回面接して終わり。当時は5月1日(前年の)に解禁で、第一志望に行って合格なら、その日に内定の電話が来た(就職活動1日で終わり。夢みたいな話である。そんな奴がいっぱいいた)。僕は日本で一番大きい自動車会社の内定をもらえなかった(作戦失敗)ので、ホンダかマツダか悩んで広島にした。
そしたら1973年の夏にオイルショックが起こり、ガソリンの価格が上がって、燃費の悪いマツダのロータリーエンジンに逆風は吹き、正直、翌年の1974年の4月には「事務系なんか本当はいらない人材」だった(はず)。
まあ、そういう事情とはいえ、社会的責任もある広島の大企業だから、入社式もやってもらい、社員教育(1か月くらい)もちゃんと行われ(その辺は立派だと後で思った)、無事に社会人として羽ばたくことが出来た。
教育期間の一か月ほどは、教室があって、一日中授業や集団ミーティングなどがあって楽しかったですね。理科系の会社なんでもう博士号を持っている奴ら(修士号は当然)と話をすると歳の差もあるし、なんか向こうが偉いように思えて、知らん間に文科系の僕らは敬語使ってたりしていて面白かった。予備校の時に二浪の奴に敬語使ったのを思い出した。「何処を受けられたんですか??」という感じ・・・。
48年前ですね。あの時はオイルショックでこれから世の中どうなるんやろと思ってたけれど、今みたいな深刻さはなかったですね。
車会社は日本にはトヨタと日産しかいらん時代が来るとかは言われてたけどそうはなっていないしね。
ただ、1974年はマツダの車は売れなかった。研修が終わって、営業職で全国に羽ばたいて行った連中がたまに本社に帰って来て、寮で話をよくしたけれど、当時は訪問販売だったので、雨の日は辛い、犬に追いかけられた、水をかけられた・・・等々、厳しい現実に直面していた。僕は経理だったので、営業職の連中に比べたら天国みたいなものだった(のだろう)。

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