アントニオ猪木さんが亡くなった。
どうも、僕のプロレスファンの人生も猪木全盛の頃で終わっている。
現時点からのプロレス史からでは、どの時点までなのか分からないけれど、前田とかいう人物が提唱する新しいプロレスの時代になって見るのを辞めたような気がする。
記憶に残っているのは1969年の12月のドリー・ファンク・ジュニアとのNWAタイトルマッチで、この時僕は浪人中で年が明けたら試験ラッシュで追い込みせんとあかん時期やったけど、この試合は見ないといけないということで見ました。結果は覚えていないけど、それまで見た試合で一番感動した試合だったと記憶している。
僕のプロレス観戦史はほとんどの70歳代と同じで、テレビの黎明期に力道山と共にプロレス中継がお茶の間に浸透して、力道山、グレート東郷、ブラッシー、デストロイヤーと続く。
その中でなかなか日本人の後継者が出て来ないと思っていたら、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が出てきて、並んで日本のエースに。
倍賞美津子と結婚していた時は、ものすごく「いいカップル」に思えた。こういう組み合わせは滅多にないと思っていた。
プロレスラーを辞めてからの人生には賛否両論はあると思うけれど、猪木に会いたいという人が世界中にいて、出来の悪い政治家よりよっぽどネームバリューはあった。なにせあのカストロにあっているのやから。なかなか会えないですよ。
大丈夫かなと思うことも結構ありましたが、猪木さんの人生そのものを楽しませていただきました。ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。
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