これはアベベがローマオリンピックで勝って、凱旋帰国した時の写真です。ものすごい人だかりですね。2012/02/05
2012/02/04
abebe
1964年の東京オリンピックで甲州街道をひた走るアベベです。ホンダのバイク屋の前を走ってます。1964年ってこんな感じだったかなあ。もうちょっと近代化されていたように思ってましたが、昭和20年代と間違いそうです。もう新幹線が走っているんですが・・・田舎を走ったからか?東京近辺ですね。新宿をあがっていけばこんな感じだったのすね。何を考えて走っていたのでしょうか。アベベのすごさというか伝説化の後押しをしたのは、オリンピック2連覇、もう一人おりますが価値が全然違う。さらにオリンピックの勝ちタイムが両方とも世界最高記録、そして蛇足ながらローマは裸足で走った。こっからは全く個人的な思いですが、なにせ風貌が良かった。哲人とはこういうものかなという気が今でも持っている。白人と移民(移住させられた)黒人ばかり勝つ東京オリンピックで自国から参加して圧倒的な勝ち方でしかも賢そうだった(賢人)。
哲学者が走っている雰囲気を後半の独走になってから感じた。
僕はこの中継を中学校の体育館で見た。どういうわけか体育館の真ん中にテレビが置かれて、いすが用意されていて見れるようになっていた。授業はやっていたと思うけれど、初めから見た記憶はないけれど後半はリアルタイムで見た。
2012/02/03
Derek Clayton

マラソンを興味を見るようになったのは、多分「アベベ・ビキラ」というエチオピアのランナーが1960年のローマオリンピックで裸足で走って優勝したという話を親が喋っていたことを覚えていてアベベって・・・・。そういう話題になった人物をすぐに招待する癖は日本には昔からあったみたいで多分次の年(1961)に日本に招待しているのだと思う。昔の記憶なんで、大阪城から岸和田城まで走った(なにマラソン?)ように覚えてるんですが(調べたら毎日マラソンでこの時は浜寺公園発着となっている。お城の記憶は何処だったのか?)。でアベベが日本に来て興味を持って見出したマラソン中継で代表的なマラソンが朝日の福岡マラソンであった。当時は一番権威のある大会だったように思う。何時からか国際大会という名前になって、東京オリンピックから数年後かなこのデレク・クレイトンという人が2時間10分を切った。いわゆるサブテン第1号ですなあ。今でも10分きったらそこそこええ記録だと思うので当時は遂に出た幻の・・・という感じだった。40年以上前に10分の壁は破られた、今は3分の壁が破られて2分、1分そして2時間の壁も・・・。左は佐々木精一郎選手で11分台だったこれもすごい記録だった。アベベの記録より速かったから。この時はどきどきして見ていた。
2012/02/02
1992 小鴨&松野
こんな画像も保存していた。1992年の大阪マラソン。小鴨ちゃんがビックリするようなタイムで優勝。バルセロナへの切符を手にしてしまう。この時の松野は2位で2人とも日本新記録だった。本来ならこの2人でオリンピック行きなんですがそうは行かなかった。有森派が陸連にいたのですね。そこで「私を選んでください」という前代未聞の記者会見をしたのがこの時です。結果は松野は選ばれず。選ばれた小鴨ちゃんはバルセロナでは期待に応えられずその後の人生に尾を引くことになる(と勝手に思っている)、松野はオリンピックには出られなかった(悔しさが尾を引いたか僕には分からない)。ただこの2人のその後の人生は対称的(あえてこの字を使います)で、「派手と地味」というか「露出しすぎと控えめ 」というか、この2人が手を振っているこの写真はある意味不思議な面白さがあります。2位の松野のほうが両手を挙げて1位の小鴨の方が「いいのかな」っていう雰囲気で。僕は偶然次の日所用で天満の辺りに行ってついでにマラソンコースまで行った記憶がある。
2012/02/01
2001エドモントン
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