これについては何種類も憶測めいた話があってどれが本当か分からない。
全部本当かも知れないし(そういうことはないか)、全部嘘かも。
いずれにしても、10月(1962)のデビュー曲の録音にはピート・ベストはおらず、リンゴ・スターが参加している。その時、ジョージ・マーティンがアンディ・ホワイトというセッションドラマーを用意していた。この時の話が諸説あって、
ジョージ・マーティンは、リンゴには会ったことがなく実力のほどが分からなかったので安全のためにアンディ・ホワイトを準備していた。(オーディションの時はピート・ベストでその後、デビュー曲録音まで会っていないことになる。ドラムを替えたという連絡は来ていた模様)
というわけで、この時の「ラブ・ミー・ドウ」は、2つある。
リンゴ・バージョンとアンディ・バージョン。
僕らが聞いていたのはずっとアンディ・バージョンでリンゴ・バージョンはずいぶん後(レアリティーズに入っている)になる。それまではずっとリンゴだと思って聞いていたのかな?アンディ・ホワイトの話は雑誌に載っていたから知っているはず。でも正直あんまり気にしていなかったですね。僕はあんまり気にしないので。
ピタッと聞き比べて分かるやつがいますけどね。
ピート・ベストは、首になった?その時どう思っていたのかはもう本人も分からないと思う。
アップした「ビートルズになれなかった男」によると、リー・カーティス&ジ・オール・スターズというバンドに参加している。
当時のマージービートという情報誌では人気投票の10位にランクされている。(1位はもちろんビートルズ)、その後メンバーが抜けたりして、「THE PETE BEST FOUR」というグループを結成してレコードも出している。
僕らはその後のビートルズを知っているから正しい評価は出来ないけれど、辞めさせられた時に、それほど深刻なことと思っていないのかもしれない。ビートルズの中でピートが一番人気があったという話もいっぱいあって、どちらかと言えばスターが抜けた感じでもあったらしい。リー・カーティス&ジ・オール・スターズにしてみればスターが加入するからこれを梃に上を目指すということで、リバプールのビートグループのメンバーの入れ替わりのよくある話の一つだったのかもしれない。
その後、レコードは売れず、その後苦労を重ねて結局はリバプールの市役所に努めてちゃんとした市民生活を送って、早期退職の応募して余生としての音楽活動に復帰。
今回、上記の本を読み返して、気づいたこと
意外とあっさりと書かれてますけれど、かなり、ビートルズが化け物になっていくのがこたえたみたいで自殺未遂もあったようです。
下の写真「THE PETE BEST FOUR」のピート以外の3人のうちの2人が、トニー・ワディントンとウエィン・ビカトンといって、このグループ解散後リバプールからロンドンに出て、あのルーベッツのシュガー・ベイビー・ラブを手掛け驚異的な大ヒットを当てる。2人とも音楽で成功した。アビーロードの前の2人です。
今回、上記の本を読み返して、気づいたこと
意外とあっさりと書かれてますけれど、かなり、ビートルズが化け物になっていくのがこたえたみたいで自殺未遂もあったようです。
下の写真「THE PETE BEST FOUR」のピート以外の3人のうちの2人が、トニー・ワディントンとウエィン・ビカトンといって、このグループ解散後リバプールからロンドンに出て、あのルーベッツのシュガー・ベイビー・ラブを手掛け驚異的な大ヒットを当てる。2人とも音楽で成功した。アビーロードの前の2人です。
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