レッド・ツエッペリンのこのレコードは1969年に発売されていたが、なにせ1969年は浪人中ということで自分なりに禁欲生活で頑張った。まあ欲しいレコードをなるべく合格してから聞こうと購入をずらしたわけですね。今となっては定かでないですが、ツエッペリンは我慢できずに2枚目は買って、大学に受かってからこの1枚目を買ったような気がしている。2枚目はもう史上最高の傑作と折り紙つきの名盤であるが、この1枚目もなかなか聞けば聞くほど味が出てきて1970年の5月はこればかり聞いていた気がする。万博に行って帰ってツエッペリンを聞くという実に摩訶不思議な生活をしていた(いつ大学に行っていたのだろう)。今でも1970年の5月といえばこのレコードばかり聞いていたことを思い出す。特に「ゴナ・リーブ・ユー」のイントロのギターねもう最高でした。
それにこのジャケットですね。もう何とも言えない。
2013/09/07
2013/09/04
1970年 5
1970年の3月はこのよど号事件で幕を閉じた。ある意味学生運動が終焉を迎えようとしている頃だと思う。僕の受かった大学も前年の秋まで学生に封鎖されていて授業ができなかった。秋ごろに封鎖が解除されて前年に合格した学生は半年で1年分を学んで何とか2年になれて、我々も晴れて1年になれそうだった。
そんな感じで1970年になったらぼちぼち大半の大学も元通りの様相を呈してきた感じがする。3月にこの事件で締めくくられ、あさま山荘事件までもう過激派という言葉も忘れていく時期に来ていた。
今の大学生と当時の大学生を比べてることは不可能だけど、43年たって進化?退化?比べること自体が不可能?よくわかりませんわ。
そんな感じで1970年になったらぼちぼち大半の大学も元通りの様相を呈してきた感じがする。3月にこの事件で締めくくられ、あさま山荘事件までもう過激派という言葉も忘れていく時期に来ていた。
今の大学生と当時の大学生を比べてることは不可能だけど、43年たって進化?退化?比べること自体が不可能?よくわかりませんわ。
2013/09/03
1970年 4
1970年の春には晴れて大学生になれて3月くらいからのことは記憶に残っているが1月2月のことは受験であんまり世間のことは覚えていない。ただ1月に関西の私立大学の願書を出しに行った帰りに吹田の駅前のパチンコ屋に入って運だめしに多分当時やから100円投入して占ってみた。結果は忘れてしまったけれど、その時パチンコ屋でこの森山加代子の「白い蝶のサンバ」が盛んにかかっていたことだけ覚えている。森山加代子と言えば1960年代の初期にアメリカのヒット曲さらにイタリアのヒット曲の日本語バージョンで一躍スターになった歌手で僕がビートルズを聞き出した1964年にはほぼ消えていた。個人的には初期の功績を大いに讃える主張を持っていて、この歌で復活する必要はなかったと思ってますが、本人にとっては復活の起死回生の曲になりました。
結局この歌による復活によって伝説にならなかった。結局通俗的な歌手に成り下がってしまった。
ぼくは伝説になる方を選択しますけどね。
結局この歌による復活によって伝説にならなかった。結局通俗的な歌手に成り下がってしまった。
ぼくは伝説になる方を選択しますけどね。
2013/09/02
1970年 3
万博が始まった時と同じころに覚えているのは天六で起きたガス爆発事故である。4月の初めだった。この時も既に2組目の来客で一緒にテレビで事故のニュースを見て大阪に行くのは取りやめた。天六の地下鉄工事だったわけで結構今でも利用するけれどもうそんな事故があったことを知らない人も多い。
2013/09/01
1970年 2
1970年の春には大阪まで出かけることが増えた。学校が大阪だったのと万博のために来た親戚の客を案内して京都と大阪はどうしてもセットになっていたから。もともと映画は好きだったけど浪人中は我慢我慢の生活だったから、今から見るぞっと意気込んでいたら、大阪駅に隣接する映画館の看板が目に止まった「雨の訪問者」・・ほうなかなか面白そう・・フランス映画・・チャールズ・ブロンソン・・知らんなああ???、もう音楽もラジオでかかりだして、雨の訪問者とともに僕の映画三昧の生活が始まることになる。
ただあの映画今から考えてもストーリーがいまいちよくわからんですわ。雰囲気で一気に押し切る感じでしたね。まあたいていの観客は押し切られたということです。
ただあの映画今から考えてもストーリーがいまいちよくわからんですわ。雰囲気で一気に押し切る感じでしたね。まあたいていの観客は押し切られたということです。
登録:
投稿 (Atom)




