2022/11/11
「プリーズ・プリーズ・ミー」と「抱きしめたい」
ビートルズの日本でのシングル盤は1964年の2月から順次発売された。
レコード番号OR-1024 プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ
レコード番号OR-1041 抱きしめたい/こいつ
普通、この順番で発売されたはず。
ところが、「抱きしめたい」がアメリカでトップに立ったから、にわかに「抱きしめたい」を先行販売しようということで、「抱きしめたい」が「プリーズ・プリーズ・ミー」に先立って発売されたという伝説がある。
以前から、3つほど説(順番と発売日)があって、どれが正しいのか分からなかった。
公表されている東芝の記録も怪しい。事実と違った日時がある。・・・・どれが正しい?
というのは、伝説の通りだとすれば、「抱きしめたい」の方が先に発売されているから、「プリーズ・プリーズ・ミー」を後で聞いたというのが当然の帰結。
しかし、「プリーズ・プリーズ・ミー」の方を先に聞いた気がするという輩が少なからず存在しているということが以前から言われていた。
ところが問題が解決した。
ネット社会のいいところは、どんどん新事実が明らかになってくることで、個人の記憶で終わってしまうようなことが世の中で共有されるという素晴らしさがある。
当時、「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオ番組があって、僕も1965年くらいから順位を書き写していたけど、ビートルズが出た頃の記録はつけていない。聞くことが主で書き留めようと思ったのはもうちょっと後、まさかチャートマニアになるとは思っていなかった。
それが奇特な方が公表してくださっていて、今では1963年からの毎週の順位がわかる(なんと素晴らしい)。その資料によれば
1964.2.13 プリーズ・プリーズ・ミー 21位(初登場)
1964.2.20 プリーズ・プリーズ・ミー 13位
1964.2.27 プリーズ・プリーズ・ミー 11位
1964.3.5 プリーズ・プリーズ・ミー 9位
抱きしめたい 13位(初登場)
1964.3.12 プリーズ・プリーズ・ミー 7位
抱きしめたい 9位
1964.3.19 プリーズ・プリーズ・ミー 4位
抱きしめたい 8位
上記のようになっており、3週間の遅れで「抱きしめたい」が登場している。
発売日はともかく、発売された順番はレコード番号順だったのは間違いない。
発売日はプリーズ・プリーズ・ミーが2月5日と思うけど、「抱きしめたい」は悩む。2月に出たのは確かだろうけど。
2022/11/09
青春グラフィティ40S~90S洋楽愛好会
庶民がぼやいていてもなす術もないから、最近「青春グラフィティ40S~90S洋楽愛好会」というフェイスブックに参加させてもらって、昔の曲や思い出に花を咲かせて楽しんでいる。
初めは思いつくままに思いついた曲と思い出を投稿していたけれど、もうちょっと網羅的にやってもみようと、自画自賛型の企画で「1964年のビートルズ」「1964~1968のキャッシュボックス誌の1位」「公式でないビートルズのBBCの元歌」等々、好き勝手に書きこんでいる。丁寧に返事をくださる方も多く楽しんでいます。
どうしてもビートルズの関連が多くなってしまうけど、こうやってビートルズがカバーした元の歌を聴いていると、それまで気がつかなかったけど、今になって色々と思いつくことが多い。
基本的に彼らにとってのオールディーズのカバーではないのですね。その時アメリカのR&Bチャートで流行った曲をそのまま彼らなりに演奏していた。時系列で言えば同時進行。
ここでふと思うのはアメリカの白人の若者は黒人のR&Bをカバーしなかったのか?という疑問。
もっと詳しく調べないと分からないけれど、同じタイミングでは出て来ないですよね。当たり前。
で、調べていくと少し時間を経てカバーされたものが結構ある。どうもそっくりそのままは「ためらい」があったようで、白人受けするように手を加えている?
白人受け??ちょっと(かなり)甘くした傾向が強い。
そんな「ためらい」はイギリス勢にはない。どうせアメリカ人が聞くわけがないと思っているから。そのままの完全コピーでいい。
そのあたりのことを調べたら面白そう。なぜ、アメリカのR&Bのコピーが主流だったイギリス勢がアメリカの音楽市場を席捲したのか?
プレスリーから1963年までのアメリカの「白人」のロックンロール歌手はどこから衰えていったのか?色々と考えたら楽しい。
アップしたのは、Arthur Alexanderの「Soldier of Love」でビートルズのBBCライブで歌っている。抜群のボーカルとハーモニー。ジョンのリードボーカルとバックのハモりが秀逸。
2022/10/24
来たるべき世界とは??
来たるべき世界の予想ってまあ当たらない。
一番当たったかもと思えたのは共産主義社会でソ連と中国が出来た。マルクスの予言通り、当然、信者が増えた。でもスターリン、毛沢東を見ていると予言通りの国ではなかった。
共産主義革命は世界史を揺るがす大きな事件ですけど、ぼくが学生の頃のめりこんだ音楽の世界でも、次はこんな音楽の世界になるという話が沸き起こった時代があった。
ただ、ちょっと(大分)違うのは、次に流行る音楽ではなく、次の音楽は「音楽が世界を変える」という趣旨だったので政治的な活動に興味を持たない人種まで巻き込んだことになる。
そのバイブルでもないけど指針っぽい本がアップした「フォークからロックへ」という中村とうようさんが書いた本です。
要は、ボブディランがフォークソングからエレキギターをもってロックに変身したこと、ビートルズがサージャントペッパーズで新しい世界を切り開いたこと、ニューロックの台頭でまさに音楽の世の中が単なるはやり歌から自分たちの生活に入り込んだものになりそうな時代だった。
同世代のロックミュージック世界の代弁者みたいな萩原健太さんの言葉を借りれば、「ロックが世界を変えるかも」と思えたのは数年間だけで、その夢を見た人は今でもその夢を引きずって生きている。僕もその一人。
今のような世の中になるとは全く予想できなかった。少なくともソ連崩壊までは、段々世界が仲良くなっていきそうな雰囲気が醸成されていた。
ソ連の崩壊後、ソ連も15の共和国に分かれた、この時はそれほど別れた国は深刻でなかったように思うけど、アゼルバイジャンとかグルジアとか、要は東欧諸国と同じ、民族、宗教、言語‥の違いからそれぞれ独立しようとする集まりが形成されて、紛争になってしまった。
それで紛争に次ぐ紛争の歴史となっている。
ロシアはまた別の様相を呈していてこれはもうプーチンの妄想としか思えない。ソ連時代を懐かしんでソ連邦の頂点にいた時代に戻したい。
中国は個人的な感想では、後発のメリットを生かして、それまで先端を行っていた企業の技術を真似し追い付いて、世界最大の人口を生かして飛び超えようとしている。しかも独裁国家として。
なんか最終的に民主主義が勝つと思い込んでいたのは間違い??
昔、日本が戦争に負けたのは民主主義でなかったからだと思っていた時代がある。当時の学校の先生ってほとんど左寄りだからそうなりますね。
要は帝国主義、独裁国家・・・まあある個人や集団が統治する国家は最終的に民衆の力で淘汰される(はず)???
ところが現実はどうもそうでもない。妖しい人物が一国の主の国が世界中をみればかなり存在している。
妖しい人物と書いたけれど、その地域の難しい問題を上手くまとめているからトップなんだろう。その手段として武器がいる。その武器を提供しているのが西側諸国とロシアと中国がほとんどで、ここに来ると「正義」なんかどこかに行ってしまっている。西側から武器を買うのについては「ハードル」が高い。民主主義国家でないと売ってくれない。ロシア、中国は主義主張は不問、そういう意味でロシア陣営、中国陣営は伸びしろが大きい。
正直、こんな混沌とした世の中に生きるとは夢にも思わなかった。正直、よくなる処方箋が見えない。
2022/10/17
徒然なるままに
ウクライナにロシアが侵略してもうすぐ8か月になる。どんどん泥沼化して先が見通せない。
一体どういう決着がつくのだろう?
今から考えたら、プーチンの用意周到な計画の元にこの侵略はすすめられたのかなと思う時もある。ヨーロッパにエネルギーを提供してロシアに対する依存度を高めて、長期的にはどこかで折り合いをつけるようにウクライナにヨーロッパは進言するだろうと考えていたのでは。
今から考えたらクリミアの時にEU諸国は毅然とした態度をとるべきだった。あの時のいい加減な態度が、プーチンに自信を与えたのではないかと思う。
アップしたのは、昔のソ連の構成国家です。崩壊後バラバラになって、それぞれの道を歩みだした。基本的にロシアべったりなのはベラルーシだけで、バルト3国は既にNATOに加盟しているし、ソ連ではないけれど、東欧諸国はかなりの国がNATOに入っている。
ものすごく単純に考えたら、ソ連時代は生活がよくなかったと考えた人が多かったということだ。
西側の国がよく見えた。
僕には、基本的に、そこが問題の原点のように思えてならない。ソ連時代は「楽しい国」でなかった。ソ連も中国も共産主義国家って楽しそうでない。ここが一番の問題だと思っている。
どうも長いこと生きてきて「正義」というものもあやふやな気がしているし。「神」さんもいない気がしている。
これでロシアが勝ったら「とんでもないロジック」が生まれてしまう。
「力こそすべて」「持てる者が勝つ」
どうしてでもロシアをやっつけないといけない。そういうことをイタリアは分かっているのだろうか。
相変わらず、外交で解決すべきだというだけの人がテレビに出ますが、プーチンに外交が役に立つのかな。
それと鈴木宗男という議員さん。もう辞めてくれないかな。北方領土が帰ってくればいいというだけの議員さん。言われていることが僕には理解できない。
一体どういう決着がつくのだろう?
今から考えたら、プーチンの用意周到な計画の元にこの侵略はすすめられたのかなと思う時もある。ヨーロッパにエネルギーを提供してロシアに対する依存度を高めて、長期的にはどこかで折り合いをつけるようにウクライナにヨーロッパは進言するだろうと考えていたのでは。
今から考えたらクリミアの時にEU諸国は毅然とした態度をとるべきだった。あの時のいい加減な態度が、プーチンに自信を与えたのではないかと思う。
アップしたのは、昔のソ連の構成国家です。崩壊後バラバラになって、それぞれの道を歩みだした。基本的にロシアべったりなのはベラルーシだけで、バルト3国は既にNATOに加盟しているし、ソ連ではないけれど、東欧諸国はかなりの国がNATOに入っている。
ものすごく単純に考えたら、ソ連時代は生活がよくなかったと考えた人が多かったということだ。
西側の国がよく見えた。
僕には、基本的に、そこが問題の原点のように思えてならない。ソ連時代は「楽しい国」でなかった。ソ連も中国も共産主義国家って楽しそうでない。ここが一番の問題だと思っている。
どうも長いこと生きてきて「正義」というものもあやふやな気がしているし。「神」さんもいない気がしている。
これでロシアが勝ったら「とんでもないロジック」が生まれてしまう。
「力こそすべて」「持てる者が勝つ」
どうしてでもロシアをやっつけないといけない。そういうことをイタリアは分かっているのだろうか。
相変わらず、外交で解決すべきだというだけの人がテレビに出ますが、プーチンに外交が役に立つのかな。
それと鈴木宗男という議員さん。もう辞めてくれないかな。北方領土が帰ってくればいいというだけの議員さん。言われていることが僕には理解できない。
2022/10/01
アントニオ猪木
アントニオ猪木さんが亡くなった。
どうも、僕のプロレスファンの人生も猪木全盛の頃で終わっている。
現時点からのプロレス史からでは、どの時点までなのか分からないけれど、前田とかいう人物が提唱する新しいプロレスの時代になって見るのを辞めたような気がする。
記憶に残っているのは1969年の12月のドリー・ファンク・ジュニアとのNWAタイトルマッチで、この時僕は浪人中で年が明けたら試験ラッシュで追い込みせんとあかん時期やったけど、この試合は見ないといけないということで見ました。結果は覚えていないけど、それまで見た試合で一番感動した試合だったと記憶している。
僕のプロレス観戦史はほとんどの70歳代と同じで、テレビの黎明期に力道山と共にプロレス中継がお茶の間に浸透して、力道山、グレート東郷、ブラッシー、デストロイヤーと続く。
その中でなかなか日本人の後継者が出て来ないと思っていたら、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が出てきて、並んで日本のエースに。
倍賞美津子と結婚していた時は、ものすごく「いいカップル」に思えた。こういう組み合わせは滅多にないと思っていた。
プロレスラーを辞めてからの人生には賛否両論はあると思うけれど、猪木に会いたいという人が世界中にいて、出来の悪い政治家よりよっぽどネームバリューはあった。なにせあのカストロにあっているのやから。なかなか会えないですよ。
大丈夫かなと思うことも結構ありましたが、猪木さんの人生そのものを楽しませていただきました。ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。
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