2017/07/31

ジャンヌ・モロー

ジャンヌ・モローが亡くなった。
フランス映画といえばこの人だった。
僕が初めて映画館で観たのは「マタハリ」という実在のスパイを取り扱った映画で「薄物を纏いて男を惑わす」シーンが有名でそれを見に行った(まあいい加減な動機です)。
大学生になって結構この人の出ている作品を見た。いいものが多い。やはり「死刑台のエレベーター」かな。
詳しい履歴等はネットですぐ見れるので省きますが、この写真いいですね。
くわえ煙草が絵になる時代がありましたな。
雰囲気的にジャン・ポール・ベルモンドに似てます。
こういうシーンは実に美しい。今後は無理ですが。
冥福を祈りたいと思います。合掌。

2017/07/28

フェデリカ・ペレグリーニ

世界水泳をやっている。今回はアメリカのレデッキー(上の写真の右)という女性がなんと200,400,800,1500の自由形の金メダルを目指すというのが一番の目玉アイテムだと思っている。
これはなかなかないパターンで、普通、200が入らない。やっぱり短距離と中距離・長距離の泳ぎ方というかその人のタイプで大体100・200・400と400・800・1500のタイプに分かれるのが今までの常識だったように思う。400は両方の選手が混じるから面白いレースが今までもあった。
レデッキーはもともと長距離スイマーだから400以降は多分大丈夫で、ポイントは200だと思っていたら案の定伏兵あのペレグリーニに敗れた。レデッキーは3位。
伏兵と言ったら大変失礼になりますが、リオでそれほどいい結果を出さなかったからもう無理かなと思っておりました。美人なのでモデルさんにでもなっているのかなと・・・。もう過去の人だと。
よく考えたら、この人まだ200の世界記録保持者でした。王者復活なのかな。でもこの人、レース・レースで当たり外れが結構ある人で、そういう意味では今回も想定内の結果だったのかもしれません。ある意味僕の偏見かもしれませんがイタリア人らしい。

2017/07/23

平尾昌晃

平尾昌晃さんが亡くなった。
この人の「星は何でも知っている」という曲は大ヒットして、当時は小学生の低学年だった僕でも口ずさむほどのヒットだった。
ただどうも僕の家族(おばあちゃん、お母ちゃん達)にはあんまり受けがよろしくなく、どうも忌み嫌うべき集団の一人だったようである。
忌み嫌うべき集団というのは西洋かぶれの和製ロカビリーの面々で、他に金語楼の息子ってよく聞いた記憶があるから山下敬二郎なんだと思う。日本の伝統芸能の息子が西洋かぶれで・・・まあそんな感じですね。
ある意味、その後のエレキブーム、グループサウンズも僕の親たちには同じように見えたのかもしれない。
戦後、特にアメリカから押し寄せる若者文化に反応する若者とその親たちのしかめっ面の繰り返しかも。そういえば今のヒップホップに至っては、僕も寄る年波には勝てずしかめっ面側になってしまっている。ズボンをずらすなよ・・・とかね。
話はそれたけれど、その後の平尾昌晃さんの活躍はすごく日本の歌謡曲界で大ヒットを連発だったけれど、僕にしたら、「星は何でも知っている」のようなちょっとどういうのか若者がそれまでの大人社会に反発するようなちょっと棘のある曲を期待していたところがあって、棘がなくなり丸くなっていかれたのが残念といえば残念。期待できる人は少ないのだよね。
とはいえ、偉大さには変わりなく。すこやかにお眠りくださいませ。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

2017/07/19

THE ELECTRIC PRUNES


ここでエレクトリック・プルーンズが出てくるとは思わなかった。
一応「ヘ短調のミサ」というLPで有名なんですが、これは「イージーライダー」の映画で使われたからということで有名でそうたいしたLPではない。どうもグループで作った作品でないみたい。
ほんまは上に掲げた「アンダーグラウンド」というレコードの方が絶対まし。
「今夜は眠れない」というヒット曲があって、本来はこっちの路線です。
ただ当時、変なレコードが伝説になった時代です。
ニューロック、アートロックという名前が独り歩きした時代の泡みたいなものですね。
僕はまったく評価してません。







2017/07/18

THE ASTRONAUTS

ベンチャーズを思い出したら同時にこっちも出てきます。アメリカでどれくらいの人気があったのか分からない不思議なバンドで、それほど鳴かず飛ばずだった感じもしない。レコードもそこそこ出ているし、映画にも出ている痕跡があるし、このバンドもアメリカより日本で売れたみたい。特にこの「太陽の彼方に」は日本で超大ヒット(「に」がついていた)で当時「こいつらは海のない州の出身でサーフィンなんかしたことない連中や」という話を聞いた記憶がある。日本に特化した企画もんもあって橋幸夫の「チェッチェッチェッ」なんかもやっていた。
このグループもディック・デイルのミザルーとかシャンティズのパイプラインも演奏していて、どうもあの頃の大ヒットのサーフィン・ミュージックというかインスト・ミュージックは誰が演奏してもよかったみたいですね。
その後の足取りをwikiで調べてみたら、なんとエレクトリック・プルーンズの「ヘ短調のミサ」という言葉が出てきた。驚きである。ただ全部英語なんでどういう係わりがあったのかはよくわからないけれど、正直驚きである。
このジャケットの左から2人目のリッチー・フィフィールドが流れ流れてエレクトリック・プルーンズに関係しているみたい。