1969年の4月号から発行されたこの本は今も続いていて、考えたら奇跡に近いと思っている。どう考えても10年もつかなと思っていた。
2019年に50周年を迎えるのを記念して、創刊号を2019年4月号の付録に着けて、1969年の5から8月号と9から12月号の4冊ずつをひとまとめにして販売した。面白いことを考えたものだ。買う人間がいたのだろうか?
僕は、当時7月号から買いだして、ずっと古本屋に行けば探していたけれど結局見つからなかったので、5月号と6月号がある上記の別冊を買い求めた。
先日から、コロナで時間もあるので4月号から読みだして。さすがに52年も経てば当時分からんかったことも(当時は難しかった)ある程度というか、今読めば意外と幼稚な文章が多い。
その中で1969年9月号に「矢部波人」という人物の「アメリカ文化革命におけるロック」という記事があって、どうも他の評論家さんたちと異質な文章(レベルがけた外れに数段高い)でこんな文章書く人ならさぞ有名な評論家になっておられるだろうと思ってネット検索したら。驚きました。
「青木昌彦」!!!さんのペンネーム?
ちょっと待ってよ。あの経済学者の!!!しかも超高名な!!!
学生の頃(60年安保)学生運動で逮捕されて、その後マルクスでなく近代経済学路線へ、しかも研究成果バッチシ、一時はノーベル賞有力候補とも言われていた。
学生の頃(60年安保)学生運動で逮捕されて、その後マルクスでなく近代経済学路線へ、しかも研究成果バッチシ、一時はノーベル賞有力候補とも言われていた。
こういう人だからヒッピーの時代のサンフランシスコ文化にも興味があったわけですね。
でも、経済学者さんとして活動(研究)されていたはずで、マイク・ブルームフィールドのお父さんが市長だったとかそういう類の情報も仕入れているのがなんとも恐れ入ります。
他にも、単なる興味以上の情熱を当時の若者の状況について持っておられたのを感じるのです。ひょっとしたらこういう社会改革もあるのかなと密かな思いをお持ちではなかったかと勝手に思っております。そうでないとたまたまあの時期にサンフランシスコにいただけでなんぼ賢くてもあそこまで書けないでしょう。
あと、植草甚一さんの文章も味があって、あの時期には分からなかったことが50年経って新鮮に読めております。
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