本人の意向で葬儀も行われないみたいでそれも藤圭子という人物にあっているような気もする。寂しく死んでいく運命だったのかもしれない。
当時爆発的な人気が出たとき色んな方々が分析したけれど、今から考えたら本当になんであれだけ当たったのだろう。1969年と言えば「夜明けのスキャット」や「ブルーライトヨコハマ」などが流行り、演歌も今みたいに下火ではなかったけれど若い人が飛びつく音楽でもなかったように思う。僕も全く聞かなかったしね。
まあ前々回書いたようにレコード屋で本人を見たから気にしていただけでヒットするなんて夢にも思わなかった。別に昔からある普通の演歌のように思えたから。2作目の「女のブルース」が1970年の初めに出た時も、何とか1作目がそこそこ売れたから次も出してもらえたんだ(よかったよかった)と思っていた。そしたらこれが当たった。LPレコードも売れた。赤いジャケットで本当に昔からの普通のジャケットで、ロックの方はもういろいろ素晴らしいジャケットが百花繚乱の時代に「なんでっかこのジャケットは??」と突っ込みたくなるほど普通すぎるジャケットで正直購買意欲が半減するものだった(僕にはね)。それでも売れました。周りにも買った奴が結構いて、なんか今までの演歌歌手とは違う雰囲気になっていた。それが万博真っ只中の1970年の夏ごろですね。
そしたら次に園まりの「夢は夜ひらく」のリメイク版が出てきてなんか苦し紛れの作戦に出てきたなあと思っていたら、またそれが当たった。もうこうなると手が付けられない感じになってきて、この年のLPレコードのチャートはほとんど藤圭子が1位だった様な気がしている。
いまの何人いるかわからん集団で歌うのではなくってほんまに小さい痩せた女の子が歌う何とも言えない寂しい歌が毎週トップ10に入っていた。
今から考えたら不思議な時代だった。世の中は決して暗くなく万博で関西は活況を呈していたしそれほど暗い時代でもなかった。ただなんか浪曲師の娘で中学を出て貧乏で高校にも行けず親について自分も歌っていたという実に「浪花節」的な話(もうそんな話はドラマの中にしかないと思っていた)の「ほんまもの」が歌うレパートリーに完全に参ってしまった。自己主張するフォークソングに比べて全く自己主張なしの他人の歌ばかり借り物の歌を切々と市松人形のような美少女が顔に似合わないどすの効いた声で歌う姿の実にややこしいアンビバレンツな世界にはまってしまった。それがアップしてる「歌いつがれて25年藤圭子演歌を歌う」だった。このレコードが彼女のレコード・CDの中では最高の出来だと確信しているけれどなぜか今は手に入らない。
レコード会社の方、追悼盤で出してください。ボーナストラック付きで。
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