2013/08/31

1970年

藤圭子がブレイクした1970年とはどんな年だったのか?自分の体験しかわからないですが、まずこの大阪万博があった。当時茨木に住んでいたからJR茨木駅には快速が停まるようになり、もう人また人で大いに賑わった。ぼくは晴れて大学生になり内心やや不満ながらも表面上は第一志望校に受かった感じで春が来た。母方が田舎なものでその田舎からの万博訪問客の第1号は3月に来て(9月の終わりまでいったい何人のお客が泊りに来ただろうか?もう旅館みたいだった)、さっそく案内人として万博に行った。何回行ったか覚えていない。4月には、高校の悪友も全員晴れて大学生になり、現役で1年先に大学生になっていた友達が東京の方の大学に行き、旅行社の添乗員のバイトをしてどういうわけか万博に来た。それも4月。さっそくアホの連中がバイト姿を冷やかしに出かけた。もうこの時は僕は数回行っていたと思う。
添乗員なので背広を着ていた。こっちは無精ひげに長髪で異様な記念写真が残っている。
音楽はビートルズのアビーロード、ストーンズのレット・イット・ブリード、レッド・ツエッペリンの2枚目を毎日毎日繰り返し聞いていた。グランド・ファンクが出てくるのもこのころである。
世の中は明るい方向に向かっていると思った。
そうそう、万博のカナダ館は現地からロックバンドを連れてきて生演奏をしていて、当時ライブでロックを聞くなんてそうなかったから楽しかった。スキップ・プロコップ率いるライトハウスも来たという話ですが覚えていない。バンドの名前なんか忘れてしまってますが、この時に聞いた「イーライズ・カミン」はもうすごく恰好よかった。(のちにスリードッグナイトでヒット)
こんな感じの中に藤圭子の歌が忍び寄ってくる不思議ですわ。
8月のころにはエジソン・ライトハウスのラブ・グロウズもヒット。これもよく覚えている。この歌に関してはいくらでも書くことがあるのですがまた後日。

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