2013/08/30

藤圭子 8

急に東京に行く用事が出来たから上の場所に行って拝んで来ようと思っている。場所は仕事で近所によく行っていたから大体勘所はある。
いろいろ週刊誌に書かれてあと2~3週間もすれば収束していくのだろう。
ネットに載ってきたものは読めるので適当に見ていたら、1970年の1年間が驚異的な人気沸騰で1971年になると急速にしぼんでいったと書かれてあることが多い。
その通りで、すでに書いたけれど、僕も1971年の3月くらいに出た「さいはての女」のLPを買って卒業したような感じであります。その後もテレビに出ていたら元気で活躍しているなあ・・くらいな感じで見ていた。まあ変な話、あれだけヒット曲があればそこそこ食えていけるだろうめでたしめでたしの感じだった(ほとんどの演歌歌手が自分の往年の大ヒットで食っているわけで、まあそういう生活をするのだろうと思っていた)
シングル盤「さいはての女」の前にもう1枚シングル盤が出ていて、それが普通の演歌歌手になったなあと思った記憶がある。それまでの4枚はすべて自分自身の歌のように思えた(1枚目は違ったと思うけれど)2枚目から3枚目、3枚目から4枚目とどんどん藤圭子が自分のことを歌っているような錯覚に陥っていた気がする(今から思えば)
青江三奈が伊勢佐木町ブルースを歌ってもご当地ソングねという感じで歌手がいろんな盛り場の歌を歌って当たればいいねという感じで聞いてしまいますが、藤圭子に抱いた感覚は全く違っていた。
1970年だけ「圭子ちゃん幸せになれてよかったね」とエールを贈っていたのかな???もう43年前の気持ちですからね・・・よくわからない。
ただですね、「自殺なんて個人の自己責任だ」ということで片付ければ簡単ですが、あの1年間の熱気が彼女に与えたものがなにか今回の結末に尾を引いてしまったと思えてならない。
だからなんか最近気がしんどいのですわ。
僕が気にしてもどうなるもんでもないのですけどね。
レコード(CD)が売れて増刷?だそうです。
確かに何をきいても魅力的です。
最近は「川は流れる」ばかり聞いてます。しかし当時(昭和35年くらいか)働きに東京に出てきた人はこういう感情を持っていたのかな・・・と別のことを考えたりね。







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