1963年のアメリカのビルボードのNo.1ヒットの中の僕の記憶にあるシングル盤です。
この年、僕は中学1年でぼちぼち大人の世界に‥という時期。まだ一生懸命ヒットチャートを追いかけるという時期ではないのですが、多分オリジナルより、先日から書いている日本人歌手の輸入バージョンで聞き始めたのだと思う。
それとなんといっても、坂本九というほんまもんの日本人がアメリカでトップになったという事実これが実に衝撃だった。当時は、NHKの土曜日の「夢で逢いましょう」という番組でアメリカの機関から(多分RIAA)坂本九にゴールドディスクを渡しに来たのを覚えている。この事件はすごくアメリカのヒットチャートを身近なものにした。あれから57年経ちますが、他に1位になった日本人はおりません。
1番上のポールとポーラは日本にも来たので記憶に残っている。でもこのような売り出し方をしたら後が大変だったでしょうね。
次のペギー・マーチも、日本によくきて日本語の歌を沢山吹き込んでいる。日本語が上手で「霧の中の少女」なんて絶品です。この曲、実はポール・モーリアの作品でヨーロッパではあのペトゥラ・クラークで大ヒット、そのあとでアメリカにおいてペギー・マーチで大ヒット。このようにこの時期、まだまだグローバルでなかった。ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカの時代。よく考えたら当時はプレスリーの歌を自国で唄う〇〇のプレスリーと称する歌手が各国にいた。だから他の国でヒットした曲をパクる??のが上手いやり方だったとも言えます。
レスリー・ゴーワは当時まだ〇〇才・・・といってもペギー・マーチも若い。この後もヒットを出しますが、僕の印象では短期だったかな。
一番下はジャンとディーンの多分彼らの唯一のNo.1ヒットだと思います。ビーチ・ボーイズのお友達???。個人的にはビーチボーイズファミリーみたいな感じがしてました。「パサディナのおばあちゃん」とか「デッドマンズカーブ」とかヒット曲は多いです。もう忘れましたがどっちかが事故で音楽活動を出来なくなってしまったような記憶があります。この2人の映画があって結構面白かったです。正直、ジャンとディーンとビーチボーイズが一緒に歌ったらもうどちがどっちか分からんです。
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